第40話 吸血精霊

 虹光のヴェールに包まれたアルルカの剣を、魔神は虚を突かれたように見つめていた。

 魔神の致死攻撃をも防ぎうる、夢幻の防御。あろうことか、アルルカはそのすべてを己が剣の一点に集約させていた。

 七色に変転する剣は、もはや魔神の攻撃と打ち合おうと決して劣ることはない。

 差し迫っていた魔法の燃費の問題も解決されている。

 だが当然、それでは「当たれば死ぬ」という問題は何も解決できない。


「……捨て身というわけか。舐められたものじゃな」


 魔神は回転動作を交えて槍を構え直す。姿勢を低く取り、懐を大きく広げて槍を自由にする。いま下方に流されているその穂先が次瞬どこを貫くのかは、まるで読めない。

 それなのに、防げなかったら負ける。死ぬ。ひどい不条理だ。


「吾がこれまで何度、己の不死性を頼って突っ込んでくるお前を切って捨てたか。忘れたわけではあるまいな?」

「……当然でしょ」


 忘れられるはずがない。

 この光景にいったい何度至っただろう。迷宮から這い出て自由を手にする。その夢は何十何百回と、この景色に打ち捨てられてきた。

 血の巡りが鈍い。指先は痺れたように震え、視界にはうっすらと霧がかかる。

 それでも、光に向かって進むのだ。

 今度こそ、自分の手で。ここから旅立つのではなく、あの場所へと帰るために。


「勝負だ、魔神」


 手首を返す。かちん、と剣の付け根が小さく鳴って、虹の光子を散らした。

 震えはもうない。

 魔神は、アルルカの真っすぐな視線を受けて、口元をわずかに持ち上げる。


「意気はよし。しかし結果は、見え透いているッ!」


 踏み込み。一歩をして三歩を駆ける縮地の法と、尋常ならざる膂力で振るわれる槍。それらは瞬時に合一となり、音をも置き去りにする神速の突きを繰り出した。

 狙うはアルルカの胸の中心。心臓を穿てと黒槍は唸る。

 そして──甲高い金属音が、その槍を天へと打ち上げた。


「なッ……!」


 びりびりと手に伝わる衝撃を感じながら、アルルカは魔神の懐に滑り込む。

 魔神は驚愕の表情を即座に殺し、自身も前方へと身を躍らせる。距離が近すぎるために剣がほとんど振れない。アルルカには、槍の柄をなぞるように上方へと切り払う手段しか残されていなかった。

 そして、彼の首に向けて薙ぎ払った剣は、がぎん、硬質な悲鳴とともに、魔神の歯によって受け止められる。

 ああ。アルルカは深く納得した。それくらいはするか、という諦念。

 そして、それがあった、という興奮だ。


 アルルカは剣から手を放し、魔神に更に肉薄すると、その喉元に噛みついた。


 鋭く尖った牙が魔神の肌を破り、肉を貫き、血を啜る。

 さらに深く、力強く、抉るように傷を広げる。

 顎の中で肉を潰し、骨が軋む音がする。

 噴き出した鮮血が、アルルカの口元をべったりと紅に染めていく。


 魔神はアルルカを引きはがそうともがいたが、急速に血の気を失っていく筋肉は、その意をまるで解していなかった。

 そして、魔神は喉からか細い息を漏らしたのを最後に、だらりと脱力する。

 全体重で寄りかかってきた魔神の身体を身を翻して外すと、それは重力に引かれるままに地に倒れ伏し、そのまま動かなくなった。

 アルルカは口元を拭い、生血で熱された息をほうと吐く。


 勝利の快感と同時に、それ以外の何かが自分の中を満たしていくのがわかる。

 いままでどんな血をどれだけ得ても、こんな感覚はなかった。

 それでもわかる。はっきりと。それは、魔神の血液だ。

 魔神の入れ物として作られた身体にあるべき血潮が巡り、失われていた情報が補完されていく。ただ、それは魔神としての完成とは違う。

 吸血能力を通して再解釈された情報は、あらかじめ存在したアルルカの骨身に筋肉をつけるように、精霊としての枠をひとつ引き上げている。


「…………ひとつだけ。聞かせろ」


 足元から発された声で、ふと我に返る。

 アルルカが視線を下ろすと、完全に血色の失せた肌をした魔神は、仄かに発光し、指の端から、さながら布が解けるように消えていこうとしていた。


「見えたのか」


 擦れる声は、それ以上語るのも億劫だとばかりに短く告げる。


「ううん。でも……キミには何度も殺されかけたから、ワタシも知っているよ。吸血精霊の急所は、血の循環器たる心臓だ。だから、たとえどこに当たってもいい魔槍を振るうにしても、キミなら心臓を狙うだろうと思った」

「だろうな。何百回も気にしていなかったくせして、最後にその読みを通すとは」

「不死殺しの槍じゃなかったら、結局気にしてなかったかも」

「……フン。よいわ、よいわ。この場はお前の勝ちじゃ。しかし、忘れるなよ。大局はそう変わらぬ。ひとつ魔神が潰えたところで、残り七つの魔神と御者は健在だ。吾に打ち勝った以上、せいぜい最後まで足掻いてみせろ」


 魔神はゆっくりとその目蓋を下ろすと、ついに光の粒と消えた。

 ……間もなく、周囲の洞窟の景色が、否、アルルカの精神世界がぐにゃりと歪む。

 魔神然り、アルルカの心の傷も然り、この場をつなぎ留めているものは、もう何もなかった。


「アルルカ。よくぞ、成し遂げましたね」

「ありがとう。これで……大丈夫、なんだよね?」

「はい。あとはワタシがここを去れば、分裂していたアナタの自我は完全に統合されるでしょう」

「え、去るって……」

「アナタの一部を持ち逃げしてしまうわけにもいきませんからね。数少ない『窓』を失うのは痛いですが、少ないなりに、ほかにも己の使徒はいるはずです、多分。あの英雄とか……。そんなことより、アナタは自分の心配をするべきでは?」

「まだ何かあるの?」


 つい聞き返してしまうと、巫女には思い切りため息をつかれた。


「アナタ。戻ったらあの時間精霊との戦いの最中でしょう?」

「え、あ、そうだった!」

「本当に大丈夫なのかしらね」


 彼女の苦笑を見るか見ないかというところで、周囲の空間が急速に白い光に染め上げられていく。


「さようなら、アルルカ。いつかまた、別の形で会いましょう」

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吸血鬼令嬢は縛りプレイで世界を攻略することにした 郡冷蔵 @icestick

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