第6話 王都に行け。
「満足だ。実に美味だったよ」
「ありがとうございます、またいらしてくださいね!」
「無論だとも!」
満面の笑みでアルルカが返すと、勘定を済ませてきたチセが軽くその額を突いた。
「そのセリフは、自分のお金で飲み食いしたときに言ってちょうだいね」
「むう」
「あはは。でもチセさん、珍しいですよね。いつもおひとりなのに、今日はアルルカちゃんを連れてて」
「おい、なんで『さん』と『ちゃん』を区別した」
「絡まない。仕事よ仕事。この子精霊って言ったでしょ。監督役よ」
「あぁー、なるほどです。懐かしいな。私も店長にやってもらったんですよねー」
和やかな懐古の雰囲気が流れかけたところで、ミラに呼びかける声があった。振り向けば客のひとりが大きく手を振っている。
「あ、それじゃ私はこのあたりで! また来てねアルルカちゃん!」
「だからー!」
「……帰りましょうか。一応聞くけど、あなた宿は?」
「王都には今日来たばかりだ」
「でしょうね。なら……まあ、うん」
そこから、チセのあとをついて歩くことしばし。
王都の中心部から離れていくほど、光と喧騒はなりを潜めていき、夜らしい夜の気配へと移り替わっていく。街並みもまた、それぞれが個性的な商店通りとは打って変わって、似たような三角屋根の家々が連なるようになってきた。
そんな三角屋根のひとつが、チセの持ち家だった。
内装はよく整えられてはいるが、それらは極めて実用重視で、妙齢の女の家としてはかなり味気ないものだった。が、アルルカにとっては、いまだ見たことのない新鮮な空気感でしかない。
はしゃぐアルルカを置いて、チセは風呂場で身体を流し、続いてアルルカにもそうさせた。
風呂場に入ると、アルルカがすっぽり三人くらいは収まりそうな巨大な木桶がまず目についた。そしてその上あたりには、壁に半分埋め込むようにして、流水を作り出す魔道具と、その温度を調節する魔道具が備わっている。
「着替え、ここに置くわね」
「なあ、これ、どうやって使うの? ただ魔力を通せばいい?」
「ええ。でも──」
「ぶへっ!?」
手先に集中して魔力を通してやると、凄まじい勢いで放たれた水が、半ば弾丸のようにしてアルルカの顔面に命中した。
「……ほんの少しでいいのよ。遅かったみたいだけど」
おそるおそる身体を流し、用意されていた着替えに袖を通す。意外にもサイズ感はぴったりだった。もしや昼間買っていたのだろうか?
なんてことを考えてはいたのだが、いざチセに訊ねようとした矢先、彼女にベッドを使うように促されると、そんなことはどうでもよくなってしまった。
「柔らかい! ふはは! それでいてこんなに弾む!」
「やめて。ベッドはトランポリンじゃないのよ。そんなことしてたら簡単に壊れるわ」
ソファに寝転んでいるチセが苦言を呈する。
「……そうなのか」
「わかればいいのよ。さ、明かり消すわよ。疲れてるでしょうから、早く寝なさい」
「ま、待って! その……うすーく点けたまま、というのはできないか?」
「残念だけど、この魔石灯にはそういう機能は付いてないわね」
「そうか。では……いや。なんでもない。忘れてくれ」
「…………消すわね」
ふっと明かりが消え、部屋には暗い闇が降りる。
アルルカは震えようとする指先を握りしめて、喉に力を込めた。
「今日は実にいい日だった! チセのおかげだ」
「仕事だから。監督役は、あなたに人間社会を害させないための存在であると同時、あなたが人間社会で不自由しないための存在でもある。当然の責務よ」
「それでも、本当に不自由しないのはありがたいことだ。それに……そうだ」
アルルカは記憶を辿りながら、出てきた数字で計算をこなす。
「あのお腹いっぱいの夕食が72ルナだったか。で、ワタシに買い与えた装備は46ソル……4600ルナだったろう」
「それが?」
「あの夕食六十回分以上となれば、人間二人がひと月、ともすれば二月以上余裕で食べていける額になるはずだ。仕事というなら、あのエルフがよほど支払いでもしなければ、差し引きマイナスになってしまうではないか。ワタシは馬鹿じゃないんだぞ」
「……ふふ、そうみたいね」
初めて笑ったな。馬鹿にされているみたいなのは気に食わないが。
「感謝の念を抱いているのならそれで結構よ。そもそも私ひとりなら、やろうと思えば一日に10ソルは稼げるもの。一級冒険者を舐めないでちょうだい」
「すさまじいな!」
「……まあ。理由があるとしたら、そうね。昔、私はそうして貰えなかったから」
「というと?」
「私はもともと冒険者じゃなくてね、僻地で牧羊地の守衛として生きていたの」
農業を営むに際して最大の障壁は、やはり魔物の存在だ。魔物がいるがために、野生の陸生動物は、鳥などの一部の例外を残して絶滅してしまったくらいである。農地には防衛設備が絶対の必須であり、守衛もその一部だった。
チセもその一員として幼少から訓練を積んでいて、そのときには既に立派な成員として、当番を任されていた。
「娘。その歳で
そこにある日、見上げるような大男がやってきた。隆起した筋肉は大木よりも太く、物語に出てくる魔人か何かかとすら思った。
ただ、チセはその当時からかなり大人びた感性を持っていたので、それは思っただけで、すぐに現実的な解釈で状況を判断し直した。
自分と同じような守衛か、でなければ冒険者だ。
当時のチセには武装した者といえばその二択しか思いつかなかったので、そう断じた。
ただ、どちらにせよ、あるいはそのどちらでもなかったにせよ、不審者だったのは間違いない。チセも警戒の視線を男に向けつつ、言葉を返した。
「……貴方に憐れまれるいわれはないです。そもそも誰ですか」
「ハ。俺が誰か知らぬか。無知な娘よ。では教えぬ。知識は力だ。そして力は己の手で掴み取るものだ。口を開けたまま降ってくる餌なぞではない。どうせお前は、俺の名などよりもよほど知るべきことですら、一切合切知らぬのであろう」
「ここでは知る必要のないことだから知らないんです。そろそろどっか行ってください。仕事の邪魔ですので」
「そうだろう。知る必要がない。ここではな。自らの育てた羊の毛がどう紡がれどう織られていくのかすら、ここではどうでもいいことだ」
いや、どう紡がれるかくらいは知っている。
が、紡がれた糸がどう織られていくのかは確かに知らなかったので、口答えするにはいささか足りなかった。
「それを悲痛する情動がまだ残っているうちに、王都に行け。冒険者になれ。世界を知れ。強く成れ。人として」
「あの、さっきからなんなんですか? だいいち、行けるわけないじゃないですか。転送門の通行料を払うお金なんてないし、その後王都で生活するお金だって」
「手段なぞ知るか。行く意思は有りや無しやと問うている」
「……ないわけじゃないですけど」
と、答えてしまったのがいけなかった。
「そうか。では行け」
「は?」
「
大男は音をも置き去りにする速度でチセの背後に回り込むと、その首元をぐっと掴み上げ、流れるように魔法を詠唱。チセの目前の虚空が波打ったかと思えば、直後には青白い門のようなモノが形成されていた。
「えっ、ちょ……なに!? きゃあぁぁああ!!」
男がチセを綿を扱うように軽く放り投げると、がばりと開いた門がチセを迎え入れた。──よく整えられた石畳と、見上げるような建物の数々、そして煌びやかな装いで街を行く人。見知らぬ世界がそこにあった。
転送、に似た現象だ。それを知ったのも、相当に後のことだったが。
「……とまあ、そんな感じで、何もわからないまま王都の路上に投げ出されたのよ。弓矢を握りしめていたことだけが唯一救いだった……どうしたの? らしくなく黙りっぱなしで」
「いや。なに。なんでもないけど?」
「そう? まあ、それで死ぬほど苦労したってわけ。だからあなたには、少なくとも私のせいでは苦労してほしくないわ」
「うん、まったく気苦労のない一日だったさ。そういうことなら、明日もたらふくご馳走になってやろう」
「……甘やかしすぎる気はないわよ?」
「心得た!」
「調子がいいんだから。……無駄話が過ぎたわね。おやすみ」
「おやすみ」
柔らかく、どこか甘い匂いのするベッドの中で、アルルカはごそごそと自らの胸元を探り、『それ』の表面を指先で撫でさする。ネックレスの飾りに付いた、金属質な、けれど炎のように熱く熱を灯した、小さな珠玉。
王都に行け。冒険者になれ。世界を知れ。強く成れ。人として。
俺がこれをあえて持たせる意味を考えろ。
忘れるな、これがいままでのお前の力だ。
お前が無遠慮に、不作法に、そして短絡的にかき集めてきた、歪な力の結晶だ。
常に肌身離さず、決して用いることなかれ。
その果てにこそ、『賭け』の答えはあるだろう。
アルルカは、ゆっくりと目蓋を閉じた。
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