第5話 王都の夜

 ダンジョンから出た二人は、その足で冒険者協会へと舞い戻った。

 協会本部の建物内は、大まかに三つの役割に分かれている。各種事務手続きや問い合わせを処理する総合受付、クエストをはじめとして様々な情報が張り出されている掲示板、そして今回アルルカ達の用がある、魔石換金所だ。


 魔石には「魔法をため込む性質」があり、様々な、本当に様々な用途に使用される。魔法を生かし、魔法に生かされる現代文明においては、いくらあっても足りることのない、必需の品だ。

 なので、冒険者協会はこれを冒険者から買い取る場を設けている。

 いや、本質的には魔石を買い取っているのは協会と提携している魔石商たちであり、協会はただの中継ぎなのだが。


 換金所の順番を待ちながらチセにあらましを聞いていたアルルカは、そこでうーんと首をひねった。


「……だったら、別に、魔石商とやらが直接買い取ればいいんじゃないか? 中継ぎだってタダではないだろうに」

「そうね。直接買い取っている魔石商もそれなりにいるわよ。ただ、冒険者って、要するに、自らの腕っぷしで口に糊している人間なわけで」

「というと?」

「買取額への不満を暴力で解決しようとするって展開も、容易に想像がつくでしょう? その点、冒険者協会は、冒険者たちにとっての実家みたいなものだから。トラブルを起こして困るのは冒険者のほうになるでしょ」

「ふうん……商売人も大変なんだね」

「冒険者側にしても、特に高く売れそうな希少度の高い魔石でもない限り、魔石商と直接取引するメリットもあまりないし。あなたも基本的には協会で売ってしまうといいわ」

「心得たよ。おっ、順番が来たようだね」


 前で換金を行っていた冒険者の一団が窓口から離れていき、アルルカたちはその後を詰めた。


「よろしく頼むよ」


 アルルカが三つの小さな魔石をカウンターの上に乗せると、つかの間奇妙な沈黙がアルルカと換金対応職員の間に流れた。アルルカが目をぱちくりとさせたところで、職員が咳払いとともに魔石を取り上げる。


「……お預かりします」

「なんかいま、妙じゃなかったか?」

「まあ……どちらかといえば、向こうが思ってることかもね」

「んん?」

「どうぞ。こちら2ルナになります」


 職員が二枚の銀貨をアルルカに渡す。


「ほう。2ルナか……2ルナってどのくらいなの?」


 チセに後ろから肩を押される形でその場から離されながら、アルルカは指先で二枚の銀貨を弄んでいる。チセはどう言ったものかとつかの間瞑目し、やがてうっすらと目蓋を開いた。


「……ロールパン一個と少し分くらい?」

「ロールパン……とは? パンなのはわかるが。あと安いんだろうこともなんとなくわかったが」

「じゃあ、あなたに買ってあげたその服が、全部で46ソルくらい。イコール4600ルナ。その、二千三百分の一よ」

「端切れにもならないじゃないか! 買い叩かれたのか!?」

「適正価格よ。むしろ私は1ルナだと思ってたわ」

「えぇええぇぇ……」


 チセはだらんと脱力したアルルカの脇を支え、玄関口から外に出た。

 日が沈んだばかりの空にはまだうっすらと明かりが残っていて、街を包む魔石灯の光は、少し過剰に見える。街行く人々から疲労と停滞、弛緩と堕落とがにわかに街に溶け込んで、夜の混沌を形作ろうとしている最中だ。


「今回は初めてだから、流れの確認のために来たの。普通は最低でも20ルナくらいになる程度の魔石を持ち込むから、覚えておきなさい」

「つまり、今日の十倍は働かなければならないと」

「そうなるわね」

「…………ま、まあ。そのくらい、なんとかなるさ!」

「だといいけど。さ、自分で歩いてちょうだい。夕食に向かいましょう」

「食か! うん、行こう! ワタシは鳥が好きだよ!」


 ピンと筋が入ったように歩き出したアルルカの隣で、チセはふっと顔を曇らせる。


「……そういえば、あなた、お酒は大丈夫なのかしら?」

「さあ。口にしたことがないからね」

「純血精霊って、うわばみか下戸かの二極なのよね……」

「それでは当然強いほうに決まっているな。ワタシに弱点などないのだからね」

「まあ……一回飲んでみないとわからないか。ここよ」


 チセが軽く指さしたそこは、やや古風な木造りの建物だった。しかし扉や窓など、要所のパーツは比較的新しくなっており、何度か改装しているらしいことが窺える。

 軽やかなドアベルの音を頭の上に聞きながら店へと入ったアルルカは、わっと押し寄せてきた熱気に思わずたじろいだ。

 がやがやよりももう一段階上、ごたごたとした喧騒が、空気中に飽和したアルコールと、何か嗅いだことのないにおいに乗って、アルルカの脳髄をがつんと揺らしている。


「二名。空いてるかしら」

「ご案内します! フェニクス亭へようこそ!」


 女中メイド服を少々アレンジしたようなエプロンドレスの制服に身を包んだ店員は、人懐こい笑みを浮かべて先導を開始した。その腰元、スカートの中からは、滑らかな鱗がタイル細工のように並んでいる尻尾が伸びてきている。


「あー、これは、なんだったか……そう、サラマンダー。火炎の精霊だね?」

「オ、そうですそうです! ハーフですけどね! ミレルベリア、ここではミラで通ってます。どうぞ、お見知りおきを! ……そういうお客さまも、精霊ですかね?」

「フフ、聞いて驚け。ワタシは高貴なるハイ・ヴァンパイア、アルルカ・ドルスだ!」

「わあ! ハイ・ヴァン……えっ、ヴァンパイア!? ごめんなさい、お飲み物で血は提供してないんですけど!」

「いいさ。血は飲まない主義なんだ。その代わり、この店で一番いい酒を──」

「やめて。誰が払うと思ってるの。美味しく飲めるならまだしも、下戸にしろうわばみにしろ、驕りがいがないわ」

「むう」

「あはは。こちら、お席になります!」


 二人は案内された席に対面する形で座る。元は簡素な木のテーブルだったのだろうが、長い間使いこまれた故か、その木目には独特かつ複雑な色調が表れていて、ともすれば新品よりも高価そうだ。

 テーブルの傍らにはメモ書き程度の簡単なメニューがあったが、アルルカはそれを一瞥したところで向かいのチセのほうに投げた。


「チセ、選んでくれ。ワタシは名前だけ聞いても、わからないもののほうが多い」

「……葉物サラダ。サワラのフライ。それに、チキンの火竜風とエールを二人分。お願い」

「かしこまりました! 待ってください、バーッと持ってくるので!」


 軽快なステップを刻んで厨房の奥へと駆けていく……が、誰とも何ともぶつからないどころか、足音すら立てていなかった。

 つくづく底が知れない、とチセがその背中を眺めていると、そんなことは微塵も気にしていないらしいアルルカは、高揚感を隠そうともしない声音で訊ねてくる。


「火竜風とは、なんとも壮大だね!」

「ただの誇張表現だけどね。まあ、この店に関しては、サラマンダーの火で焼いているらしいから、あながち誇張でもないかしら」

「すると、さっきの娘が?」

「いえ、たぶん違うわ。店主もサラマンダーなのよ」

「ふーん……では、火精風でいいんじゃないかな?」

「確かに! オーナーに伝えておきますね!」


 と、そこへ両手と頭上、それに尻尾の先に、それぞれ山の料理が盛られたトレイを携えたミラがやってきた。ミラは右手に持っていたトレイを一度卓の上に置くと、てきぱきとそこに乗っていた皿と酒をアルルカとチセに配膳する。


「こちら葉物サラダにサワラのフライ、それにチキンの火風。そしてエール! ごゆっくり!」

「速くないか!? それともこれが普通なのか?」

「速いわね。ここの売りのひとつだから」

「良かった。ワタシの野営が下手だったわけではないな。しかし、なんというか、こう……なんだ? この、空腹感をキリキリ締め付けるような、得も言われぬ芳香は」

「…………ニンニク? それか、ハーブのことかしら。それともオリーブオイル?」

「わからない。確かにローズマリーやニンニクは見てわかるけれど、こんな香りなのか。で、オリーブはどれだ……?」

「……純血精霊の生得しょうとく知識って、何もないほうがわかりやすいんじゃないかってときどき思うわ。いただきます」

「ん? ……あ、いただきます」


 すでにチキンにナイフをかけかけていたアルルカは一度ナイフを置き、手を合わせてから改めてチキンを切り分けて口に運んだ。

 瞬間、アルルカの脳裏に衝撃が走る。


「な、なんだ、この複雑な味わいは……! 香り立つ穏やかな青さと、突き抜ける刺激感。ピリリとくる辛さが肉の甘味をぎゅっと引き締めて離さないようだ。食感もいい、皮はパリパリなのに、中はほろりとするほど柔らかだ!」

「なかなかすごいこと言ってるわね」

「こ、こんなに美味しいのは、実は人間の間では普通なのか?」

「いや、それは答えづらいんだけど。普通に美味しい、というのが適当かしら」

「……やっぱりワタシの野営は下手だったのだな……」

「泣くほど!?」


 アルルカはぼろぼろと大粒の涙を流しながら、特に苦労する必要もなかったらしいパテル神穴から王都までの三週間の旅路が、真に無意味であったことを嘆き伏した。


「ワタシの焼いた鳥はもっと……これに比べれば、無味無臭とすら言える有様だった……美味だ、実に美味だ……」

「大げさ。涙拭きなさい。むやみに塩辛くなるわよ」

「うん、ありがとう。おお、サワラも美味い。癖がないから軽くサクサクと食べられてしまうな。ワタシはチキンのほうが好きだが。……ふむ、これだけ何もかも美味いのだから、その中でなおヒトが美味い美味いと飲んでいる酒は、それは大層美味いのだろうな」

「まあ、それは……飲んでみればわかると思うけど」

「待って。心の準備をする。よもやチキンより美味であったときなどには、正気を保っていられるか怪しいので」

「……あの、期待しすぎないで。それより、酔っ払う前にチキン食べておいたほうがいいんじゃないかしら?」

「いや、止めてくれるな、もう覚悟はできたよ。いざ!」

「あっ」


 アルルカはエールがなみなみとがれたジョッキをあおり、ごくごくと喉を鳴らしていく。チセはこの先に起こることを半ば予想しつつそれを見守る。

 やがて、がつん、と激しくジョッキをテーブルに置いたアルルカは、赤らんだ顔でチセを見やる。


「……そこまで美味いかな? パチパチするのは楽しいのだけど」

「あ、潰れる感じじゃないのね……」

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