第31話 救済

 アルルカは破壊痕を追い、ようやくベルガトリオと再会する。

 両肩に二人の人間を担いでいる英雄の横には、壁を背に預けている男がいる。

 呼吸は荒く、顔はげっそりと抜け落ちたように白い。見るからに死にかけだが、つまりはまだ死んでいない。


「驚いたな。生きていたのか?」

「あなたは、英雄殿のお連れですか」

「……そんなところだ」


 男は、満身創痍という言葉でも表現しきれないほどに傷ついていた。小さな傷はそれこそ健康な肌が残っていないほどで、右腕は肘から先がない。血で塗りつぶされている顔の上半分も、よく見れば両目がやられているらしい。


「ええ、何とか。先ほどまで失血やら魔力欠乏やらで失神していたのですが、それで死んでいると思われたのか、単に見逃されたのか……なんにせよ、幸運でした。おかげで、アレの死と皆の無事を知れた。安らかな気持ちで逝ける」

「安らかなって……何とかならないの?」

「こちらの二人は、手持ちの治癒薬で事足りた。だが。この男は無理だ。死に近すぎる。再生魔法は、生命力を物理化するもの。魂の力が尽きている相手には意味がない。不死者なら話は別だが」

「わかった。なら、ワタシがやってみる。色々と初めての試みだけど」

「できるのか?」

「初めてって言ったろ。失敗する確率のほうが高いと思う」

「失敗しても、恨みませんよ。元より尽きたも同然の命ですから。けれど、お願いします。私は……まだ、死にたくは、ない」

「心得た」


 考えはある。

 参考にすべきは……アルルカの有する、外理浸食。

 因果の逆転という本質や、世界のルールを書き換えるという規格はさておき。

 あれの具体的な効力としては、血に対して、昔日の形と疑似的な命を与える魔法といえる。

 とはいえ、今回はアルルカの血を使うわけにはいかない。どう考えても、アレは人間には毒だ。それに、失血死しかけている彼本人の血も、当然使えない。

 血では不可能。

 ならばアルルカが次に扱いを得意とする物質は、吸血精霊の第二属性。

 不死者と関わり深い、土の属性だ。

 男の前に屈みこんだアルルカは、足元の地面に水を含ませ、泥だまりを形成する。

 もちろん、ただの泥を捏ねたところで、泥人形ができるだけだ。

 これは、でなくてはならない。

 身体の内で、錆び付いていた歯車がごとりと動き出す。

 アルルカはめいっぱいの神聖の気を込めながら、素手で泥をかき混ぜていく。


 アルルカの髪はいつしか蛍光をたたえ、洞窟の水晶にも劣らぬほど、きらきらと輝いている。爛々らんらんと光る瞳は、本来の真紅の上に黄金色のベールを被っていた。


 魔力が魔法を構成し、空想を現実へと組み上げていく。

 光り輝く銀の粘土の精製。

 奇跡が形になりかけた瞬間、アルルカは奇妙な既知感を覚えた。

 ワタシは、この魔法を、知っていた……?


神威ミュトス神の泥クレイ


 きらめく半固体の物資が男の傷口にまとわりつき、発光とともに確かな形となっていく。両脚に。右腕に。眼球に。肉と肌を埋め、ゆっくりと光は引いていく。

 やがて、男はゆっくりと目を閉じ、穏やかな寝息を立て始めた。


「なんとかなったかな?」


 ふう、と肺腑に溜まった息を吐きだしながら額を拭うと、泥がべっとりと額についた。妙な感触でそれに気づき、アルルカは熊の毛皮とベルガトリオの服の裾で迷ってから、後者で額と手を拭いた。


「……そのようだ。念のため。飲ませておけ。増血剤だ」

「剤っていうか、葉っぱじゃないか。寝てる人間には飲み込めないだろ」


 するとベルガトリオは葉っぱを手放したかと思うと、空中で手刀を数度叩き込み、葉をみじん切りにしてしまう。


「これでいい」

「えぇ……」


 困惑もそこそこに、ポーチから水筒を取り出し、刻んだ葉を男に飲ませる。


「では、運べ」

「はいはい。あ、その前に」


 アルルカはがり、と自分の親指に鋭い歯を立て、穿たれた傷に類聚の匣を押し付け、血を格納する。やがて視界が暗んできたところで金属球を離し、胸元に戻した。

 それから男を背負い上げる。


「う、重……! やっぱり、地上に戻ってから収納すればよかったかも!」


 ベルガトリオはそれには直接反応せず、代わりに事実を確認した。


「半減を二度繰り返したか。つまり、七割五分のスキル情報は既に損失した。次は元の一割の力も得られまい」

「そうだね。今回はどうにか意識も保てていたし、次回以降は気軽に使えるかもね」

「いや。大して強くもならない。故、使うな。そういう話だ。特に魔神の目がある場所では」

「……そういや、あの魔神も言ってたっけ。器としてどうたらって。そのあたりも含めて、聞かせて」


 上階への道を戻りながら、ベルガトリオは話し出す。


「この国の成り立ちは知っているか?」

「え、ああ。フフン。ちょうど最近勉強したんだよ。冒険者協会のテストでね」

「御託はいい」

「……。千年前、大陸を滅ぼしかけためちゃくちゃヤバい竜を倒した男が、世界を救った英雄として、大陸全土を統べる王になったんだろ」

「そうだ。だがそれは建国説話向けに調整された内容だ。実態は異なる」

「なんだって?」

「当時、神と人の力を総動員してなお、竜を倒し切ることは出来なかった」


 結局、王は竜を八つの石に分け、大陸辺境の地下深くに封印した。

 八つの方角にひとつずつ。しかし、そこで慮外の事象が発生する。

 封印されてもなお、地上の征服を強く渇望し続けた竜の欠片たちは、この世界に『ダンジョン』という、地下から地上へと侵攻する概念を生んでしまったのだ。

 それから大陸では魔物が以前とは比べ物にならないほど増え、あらゆる生物が絶滅に追い込まれたが、そこは今回の主意ではないので、深くは語らない。

 不幸中の幸いは、欠片の封印それ自体は問題なく機能していたこと。


「『核』の縛りのことか?」

「それも封印の名残だが。ほんの百年ほど前までは、竜の欠片は、奴らがお膳立てしたダンジョンの核にもなれないほど、完璧に封印されていたのだ」

「九百年も続いたら十分だな……」

「そうだな。しかし、今の俺たちにはたまったものではない。あれの封印は日々緩んでいる。万一にもあれが地上に露出し、二つ三つと合流してしまえば、いずれは過去の惨劇に逆戻りだ。神もそれを憂いた」

「神様って、まだこの世にいるのか?」

「そうらしい。深くは知らない。しかし、二十年前、まだガキだった俺の夢枕に出てきた神は、俺にこのあたりの事情を告げ、戦えと仰った」


 ほんの少しだけ郷愁を滲ませて、ベルガトリオは言う。


「神に選ばれた英雄ってわけか……」

「いや。選ばれたのは、時間稼ぎにだ。俺は英雄にはなれない」

「は? なんで? キミが英雄じゃなかったら誰が英雄なんだ?」

「買い被るな。俺に出来るのは『魔神を倒し、欠片に戻す』という対処療法だ。根本的に世界を救うことはできない。かつての王と同じように、破局を先送りにしているだけだ。そのうえ、肥大した竜の欠片と衰退した現代の封印術では、その先送りも、千年どころか、十年と持たないだろう。さらには、どうしたことか、かつて俺が神に受けた託宣よりも早いペースで、欠片の復活が進んでいる。ここ、西の欠片の封印は、あと十五年はもつはずだった」

「一大事じゃないか。しかし、キミに倒せないなら、いったい誰が倒すんだ。キミより強い存在がこの世に現れるとは思えない」

「そうだ。かの竜は倒せない。絶対に」


 ベルガトリオはさらりとそう言い放った。アルルカとしては困惑する他ない。

 しかし続く言葉はさらに不可解なものだった。


「故に、倒さずに問題を解決する手段が要る」

「なんだよそれ?」

「それがわかれば、俺が既にやっている。……俺ではわからない。故に、少しでも見込みがある者には、手当たり次第に声をかけた。冒険者になれ、とな」


 二人は二階へ続く階段を登っていく。こつこつと石段を叩く音が空洞に響き渡った。


「……ワタシもか?」

「そうだ。お前は南西の魔神が己の器としてデザインし、ついには魔神の情報の一部を取り込むに至った、特殊な精霊。それが人の心を持つのなら、あるいは見えてくるのかもしれない。そう考えた。首尾は思ったより悪くない。少なくとも、お前は怪物ではなくなろうとしている」


 二階だ。ようやく戻ってきた。

 そこでベルガトリオは一度言葉を区切って、アルルカの頭をやや粗雑に撫でた。


「世界を知り、強く成れ。人として。──英雄になれ」


 アルルカがぼけっとしているうちに、武骨で大きな手は離れていった。


「気をつけろ。お前は魔神の器でもある。『答え』にたどり着くまでは、魔神に関わるな。たどり着かないなら着かないで、王都で好きに生きればいい」

「話はわかった。つまり、そうか。ワタシがこの世界の主人公となる道筋は、キミを越える以外にも存在した、ということだね!」

「何の話だ。本当にわかっているのか」

「もちろんさ!」

「……ならいい。そら、氷姫のところに着いた。俺はもう行く。ではな」

「あ、ちょっ」


 アルルカが止める間もなく、ベルガトリオは担いでいた二人の男女を洞窟の床に寝かせ、空間接続魔法でどこかに行ってしまった。

 ため息をついているところへ歩み寄ってきたチセが、驚きを露わにする。


「三人、生きていたの?」

「ああ。そうなんだ。幸運なことに」

「本当にね……」


 チセが三人の脈を確かめていると、やがてマリーと魔神と戦っていた女冒険者を先頭に、冒険者の一団が雪崩れ込んでくる。女冒険者は自分の仲間たちの姿を見るなり、マリーを押しのけて全力で駆け寄ってきた。


「アルゴ、ニーナ、レプテラ……!」

「生きてるよ。手当てはしてあるけど、いちおうちゃんと休ませたほうがいい」

「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ございます……!」

「ワタシじゃない。魔神を倒したのはベルガトリオだ」


 ちらりと横を見ると、チセがマリーと冒険者一団に、似たようなことを説明しているらしい。

 駆けつけ損になった冒険者一団は不服そうではあったが、やがて『英雄』なら仕方ないという雰囲気に流れていった。

 視線を戻すと、女冒険者はなおも涙に咽びながら感謝の言葉を口にしている。


「収まるところに収まった、のかな」


 ほっと息をつくと、むわっと自分の身体から獣臭が漂っていることに気が付く。

 そういえばあの熊の毛皮を羽織りっぱなしだった。

 ……とりあえず、帰って身体を洗いたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る