第30話 英雄

「なんだ、貴様は。神恩解除……凡愚の魔法だと?」


 魔神が眉をひそめ、静かに嘲笑を浮かべる。


「そうだ。凡愚こそが人間だ」


 人体神秘ミクロコスモス神恩解除オーバーロード

 それは、人体魔法の究極にして、最弱の魔法。

 この魔法を使った者は、あらゆるスキル、あらゆる魔法を一時的に失う。代わりに肉体が超強化されるものの、基本的にはデメリットのほうが目立つ。魔法の歴史が生んだ、最大の失敗作。


「フ、ククク……ああ、そうだとも。その点には同意しよう。だが貴様、神魔の加護を失い、ただ人の身のみで私の前に立てると──あ?」


 男の姿が消えた、かと思えば、魔神の視界はずるりと滑って地に落ちた。

 しかし断頭された胴体からは即座に新たな首が生え、後ろを振り返る。


「否。それ故に。人は強い」


 一瞬男が写る、その次には、魔神の身体は千々に切り裂かれている。べちゃりと血と肉片のスープが積雪を紅色に染め、魔力によってまた引き戻される。

 ぐにぐにと粘土をこね回すように再生された口が、恐慌に歪んだ。


「なんなんだ、貴様は……!」

「人間」


 一閃。

 大剣の一振りで、魔神は一度殺される。それが秒間に二、三振り。

 担い手を変えて激しく再構成された、一方的な攻め手と、再生による維持。

 恐ろしい勢いで魔神の魔力が失せていくのを眺め、アルルカは畏敬を通り越して呆れていた。あれが人間なものか。

 魔神でもまるで相手にならない、純然たる最強。

 あれは、英雄と呼ぶのだ。


「あの人は……」

「ワタシと、ついでにキミの恩人でもあったな。ベルガトリオ。最強の冒険者だよ」

「あのときの不審者が、英雄ベルガトリオ……?」

「認識は未だに不審者だったんだね!?」

「だって、事実だけ言えば、幼女誘拐犯よ。故郷のノーザンレストに説明しに戻ったときには、魔物に食われたことになってて、自分の墓参りをする羽目になったわ」

「そうかもしれないけれども!」


 聞き耳を立てていたのか、ベルガトリオはやや苦い声で言う。


「ノーザンレストか。思い出した。羊守の娘だな。当時は俺も若かった」

清冽吹雪ジャックフロストの中でそんな動きをしておいて、喋る余裕まであるの?」

「鍛え方が違う。人間、本気になれば、これくらいはできる」

「できるか!」

「それはそうと。氷姫ひょうきチセが、あの娘だったか。活躍は聞き及んでいる。こと陣地防衛に関しては、大陸五指に入る冒険者だと。お前は、強く成ったらしい」

「どうも。光栄ね、英雄にそう言ってもらえて。でも、まだまだでしょう。玉の子の魔法の中でこんな動きをされてちゃ、設計思想にそぐわないわ」

「いいや。素晴らしい魔法だ。これほど強力な行動妨害魔法は、他に知らない。鍛えた俺も、力の二割も出せないのだから」


 二刀の大剣を操り魔神を細切れにしながら、英雄は告解する。

 チセに思い切りひきつった笑みが浮かんだ。


「……はい?」

「そういや、ワタシのときはもっとえげつなかったな」


 それこそ、こんな会話を交わす暇すらなく、数秒で片付いた。


「俺もまだ未熟ということだ。しかし、今回も、もう終わる」


 ざん、と魔神の胴が泣き別れ、数度雪の上を弾んで転がる。

 その場に残された下半身はしぶとく再生を行おうとしていたが、ついに間に合わず、塵になって消滅した。そしてベルガトリオは魔神の上半身の元へと歩みよる。


「……驕るな、人間。貴様では我らを、人間を、この世界を! 救うことなど出来はしない!」

「知っている」


 ベルガトリオが剣を魔神の怨嗟の上に叩き落す。

 黒煙と共に魔神は消え失せ、代わりに小さな紅色の玉が転がった。それを拾い上げたベルガトリオは、大した感慨もなく、それを懐にしまいこむ。

 チセが遅れて吹雪を解除すると、辺りは元通りの宝石洞に戻り、静かな平穏が舞い降りた。


「ではな」

「待て待て待て!」


 軽く手を挙げてその場を去ろうとしたベルガトリオを、アルルカが引き留める。


「少しくらい説明してから行け。……魔神って、何なんだ」

「知る必要はない。吸血の娘よ。魔神に関わるな。人として生きたいと望むなら」

「違う。人として生きるために、ワタシはワタシのことを知る必要がある」


 アルルカとベルガトリオの間で視線がぶつかり合う。やがて、目線をそらしたのはベルガトリオのほうだった。


「……そうか。では話そう。神恩解除が解けるまでだ」

「うむ。それじゃ、歩きながらでいいかい」

「どこへ行く?」

「下の階。もともとあいつは下の階層から登ってきたんだ。それを押しとどめていた冒険者がいた。……遺品のひとつでも、持ち帰ってやらないと」

「理解した」

「チセはここで待ってて。マリーや増援に事情を説明しないとだろう」

「……まあ、そうかもね。激しい戦闘ではぐれたってことにしておくわ」

「うむ」

「では、急ぐぞ。下への階段は?」

「生存者はあっちから来てたけど」


 アルルカが指さした方向へ、ベルガトリオが駆け出した。瞬時にその姿は掻き消え、後に巻き起こった凄まじい風がアルルカの身体を吹っ飛ばす。

 身体を起こすと、ベルガトリオが通ったらしき一直線の道ができていた。

 そう、一直線に。壁を全部ぶっ壊して。

 ダンジョンも流石にこれでは浮かばれないな、と思いつつ、アルルカは自分にできるだけの全力で、その後を追った。

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