第22話 図書館のデュラハン……?

 中央区、アルルカの既知では転送門広場から程近い場所に、それはあった。

 神殿かと疑いたくなる荘厳精緻な風体でありながら、恐ろしいことに右から左までたっぷり首を動かさねば終端が見えないほどの巨大さでもある。まさに威容。王立図書館はその存在の尊さを、外観からして世に知らしめていた。


「これは、凄まじいな。いったいどうやって作ったんだ、こんなもの」

「本当に……ため息すら出てしまいますね……」

「中のほうが凄いわよ、多分」


 アルルカとマリーは、高揚と恐怖を半々に分け合いながら入り口へと進む。

 開け放たれている扉も、アルルカどころかチセが縦に三人入るほどで、自分は人形か何かになったかと思わせられるほど。しかし、その錯覚すらも打ち砕く光景がすぐに目に入ってくる。

 視界一面、本当に、見上げても見渡しても、本棚にぎっしりと詰まった本の群れ。

 すっかり圧倒され言葉を失っている二人の手を引き引き、チセはメインホールの中央に設置されている案内所へ向かう。


 冒険者協会の受付をそのまま三段階ほどグレードアップさせたような案内窓口七つのうち、中央の四番窓口に座している女性が、チセが訪ねてきた人物だった。


 シャツに稲穂色のベスト、群青の前掛けというシンプルな職員制服に身を包みながら、なお人目を惹いてやまない、仄暗い雰囲気の美女だ。アルルカの乳白の髪とはまた違う、色の抜け落ちたような鈍白の髪が長く綱編みにされているのが、また妙な未亡人然とした気配を漂わせている。

 来客を認めると、その艶やかな唇の端が僅かに上がり、「王立図書館へようこそ」とまず定型句を口にする。


「後ろの二人は、初めて見る顔だね。此方こなたはエノクと云う者だ。種は死告精霊デュラハンの王立図書館で、筆頭司書を務めている」


 その低く芯の入った声を聞いた瞬間、アルルカの脊髄に何か嫌な寒気が走った。一度意識にのぼってしまうと、それは強烈な色を帯びてアルルカの全神経を逆撫でていく。


「初めまして。わたくしはマリー・アーシャ・オルチェスカと申します」


 身体を強張らせているアルルカの隣で、マリーは流麗にお辞儀を済ませた。


「しかし、デュラハン……ですか。アルルカさんといい、この短い間に、とても珍しい方によくお会いするものですね。何かのお導きなのでしょうか」

「成程。其方そなた少女おとめも、何某なにがしかの精霊と云う事か。道理で魔の気の騒めく事だ。しかし、些かに変質してるな。判然とせぬが、邪悪天使リングレスか。或いは……」

「……デュラハン……本当か? キミ、もっと大きな……」


 アルルカがたどたどしく告げた疑念に、エノクは束の間、驚愕の表情を顕にした。しかしすぐに、それを打ち消すように、エノクはゆったりと時間をかけて立ち上がる。


「たとい種族が何で在れ、此方は司書以外の何者でも無いよ。さて、ずは其の、司書としての務めを果たそう。如何なる知をお探しかな、少女らよ」

「実は、今日はこの、アルルカの勉強について、お助けいただきたくて」

「勉強か。魔法の、という訳では無いね。嗚呼、う云えば、仮冒険者の精霊が、腐竜の討伐を為したとの噂だ。仮冒険者には余る栄誉。繰り上げで正規登録を提示されるのが自然だろう。其れが其方と云う訳か」

「そ、そうだ! ワタシはアルルカ・ドルス。いずれ最強の冒険者になる、高貴なるヴァンぴゃっ……ヴァンパイアだ!」


 噛んだ。

 顔を青くしたり赤くしたりと忙しいアルルカをじっと見つめ、エノクは口元に拳を当てながら、思索にふける。


「吸血精霊? 其れは、確かに……珍しい。数奇なる星の少女よ。先ずは御茶でも淹れようか。茶は好むか?」

「……飲んだこと、ない」

「然すれば、そうさな、甘い物と、酸い物と、渋い物と。何方どなたを好む?」


 問いかけながら、エノクはさらりとした顔で握った拳を傍らの記帳台に向けて振り下ろす。するどどうしたことか、台の上には手のひら大の砂時計がさらさらと時を刻んでいて、更には、エノクの隣に、もうひとり、まったく同じ姿をした人物が現れている。


「は?」

「嗚呼、驚かせたか。此方の魔法だ。中々便利でな。其れで、何方を好む?」


 砂時計とともに現れたほうのエノクを窓口に残し、もともとアルルカたちと話していたエノクが、カウンターから外に出てきた。

 アルルカは一歩後ずさりつつ答える。


「甘いもの」

「林檎は苦手か」

「いや」

「では林檎を主味とする茶にしよう。甘くて美味しい。チセも其れで構わ無いね。其方はどうだ」

「はい、ありがたくいただきます」

「宜しい。付いて来なさい」


 首から足先まで、一本の棒が入っているような慇懃な背中を追い、やがて一行は図書館の端のほう、司書長室と掲げられた場所にたどり着いた。

 正方形の部屋と、その三分の一くらいの小さな給湯室が一体になった、こぢんまりとした空間だ。

 中央の円形机に備えられた椅子に案内され、腰かけつつ周囲を見渡す。

 四方の壁を覆う本棚には妙な気配を発している本が収められているほか、唯一剥き出しの石壁の前にある古めかしい作業机の上には、修繕の中途らしき、バラバラになった本がいくつも見て取れた。

 隣の部屋でポットにお湯を注いでいる背中が声をかけてくる。


「棚の本には触れ無いでおくれ。呪の濃い故、表には出せず、其方に置いて在る」

「……グローエフ呪本、エセトナ書……名高い呪本もいくつかあるようですね」

「おやおや。流石は聖石教徒。ふるき魔道具にも造詣が深いと見える」

「……触れたらどうなるんだ?」

「魔力を吸い尽くされ、悪魔が召喚される……って話ね。人間はまだしも、あなたみたいな純血精霊が迂闊に触れたら、即死じゃないかしら」

「ヒッ」

呵々カカ。物騒な話は扨置さておき、御茶が入ったよ」


 ふんわりと甘い匂いを漂わせながら、エノクが琥珀色の液体を湛えたティーカップを各人の前に置き、次いで黄金にも似た小麦色が美しいクッキーを運んでくる。

 アルルカは数度息を吹きかけて湯気を散らしてから、そっとカップに口をつけた。

 熟しきった林檎のどろどろとした甘みは、茶葉の渋みと酸味で引き締められて、口内はもちろんのこと、鼻の奥から肺腑に至るまで、柔らかい果実感になって、アルルカの身体中を温めていく。


「……おいしい!」

「何より。しばし楽しみ給え。その間に、其れらしい本を探してこよう」


 エノクはほんの僅かな微笑を残して、司書室から出て行った。

 ……クッキーもおいしい。

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