第28話 顕現

「まだ魔石が落ちてるな。ダンジョンの中の魔物、ほとんど先行してるパーティーが倒してるんじゃないか?」


 言いつつ、アルルカは足元に転がっていた魔石を軽く蹴り飛ばす。

 もうこれ以上アルルカのポーチには入らないので、拾ってもどうしようもない。


「そうね。それならそれでいいじゃない。私たちがここに来た目的は達成できていると言えるわ」

「凄まじいですよね。こんなに多くの魔物をなぎ倒して進んでいるだなんて、にわかには信じられません」

「二つ以上のパーティーなのかもしれないわね。魔石を拾ってないのも、お互いに手柄を争っていち早く先に進もうとしているために、って流れもありそう」

「なるほど。ですが、それにしては、魔石の落ちている場所が一直線では?」


 意見を交わす二人の声は、普段よりも少し高めで、妙な響きがある。

 なぜなら二人は鼻をつまんでいるから。


「……止めはしないけど、ちょっと腹が立つな」

「あなたはよくそのままでいられるわね」

「だって、鼻つまんでもくさいんだもの」


 発臭源に近いアルルカは、そんな小手先の手段では頼る意味がないのだった。


「しかし、先行者に倒されているにしても、ちょっと魔物が少なすぎないか? 魔物を生み出すのがダンジョンだろうに」

「ダンジョンの恒常性は、より最深部に近い欠落から情報を補完していくから。地上近くの層での魔物枯渇は、あり得ない話ではないわ」

「ふうん……つまり、もっとずっと下で誰かが大暴れしている、というわけか」

「精霊さんの自然知識には、ダンジョンのことは含まれていないんですか?」

「ダンジョンは、自然から一歩進んだところにある概念だからね。魔物や人間のことがわからないのと同じだ。ワタシの場合は生まれがダンジョンだから、表面的なことなら知ってるけど」


 魔石の道に沿って歩みを進めていくと、曲がり角を曲がった先で、突き当りに下へと続く階段が見えた。といっても、一段一段整備されたものではなく、平たい石が段々に繋がっているだけの粗悪なものだが。これも階段には違いない。


「お、階段だ。下に降りられるな」

「……なぜ、こんなにも都合よく階段があるのでしょう」

「概念情報が実体化していく場所だから、と答えるしかないわね。上下を繋ぐのには、階段という概念が一番適格なのよ、きっと。降りるほうはともかく、上方向への接続って、そんなに数がないもの」

「なるほど……?」

「パテル神穴では、大穴の前で勝手に背中に羽が生えてくる階層もあったっけ」

「……それで、飛ぶってこと?」


 訝しげに訊ねる。

 一級冒険者のチセでも、それは未経験だったらしい。


「うん。あれは結構楽しかった」

「背中に羽……アルルカさんだと、意外と想像できちゃいますね」

「まあ、浮世めいた風体だものね。羽が生えたくらいじゃ変にならないわ」

「褒められてるのか貶されてるのかあいまいだな……」


 適当に駄弁りつつ、三人は階段を降っていく。

 やがて降り立った第二階層は、あまり変わり映えのしない空間だった。

 水晶類に覆われた洞窟に、魔物の気配が薄く、魔石が点々と落ちているところまで、上と同じだ。


「なんだ、ここも荒らされたあとか?」

「待って。あれ……」


 チセが指差した先に視線を向けると、洞窟の奥のほうから、よろよろとこちらに歩いてくる女性の姿がある。亜麻色の髪は泥に汚れ、だらんと力なく垂れ下がった右腕は激しく出血している。身体の至るところから滴る血は、重苦しく一歩を進むごとに、その足元に赤い花の群れを咲かせていた。


「ひどい怪我です!」

「少し待って」


 駆け寄ろうとするマリーを制し、チセは視線を女性に向けたまま、鋭くつぶやく。


「アルルカ。あれ、精霊かわかる?」

「違う、人間だ。少なくとも、半血以上じゃない」

「そう。なら疑う必要もないわね。ごめんなさい、マリー。急ぐわよ」


 三人がすぐ目前まで駆け寄ったところで、ようやく彼女はアルルカたちの存在に気がついたようだった。へなへなと脚から力が抜け、アルルカの腕にすがり付いてくる。


「動かないでください。いま、応急処置をしますから」


 重傷の右腕を布で縛って止血してから、マリーは治癒魔法を起動し、緑色に発光した手で患部に触れていく。女性は一瞬顔をしかめたが、少しずつ顔に穏やかな理性が戻り始める。


「……治療は、あとでもいいから。いまはとにかく、ここから離れて。お願い。ううん、私のことは見捨てていい。だから、すぐに街に戻って、冒険者協会に……」

「キミ、しっかりして。何があったんだ」


 女性の顔が辛苦に歪み、再び恐慌に陥る。


「ここの『核』は、化け物よ。生半可なパーティーじゃ、相手にならない。少なくとも、私たち一級冒険者四人じゃ、まるで歯が立たなかった。それにあいつは、単に強いだけじゃない! 恐ろしく知恵が回って……ダンジョンの外に出ようとしてる。あれが外に出たら、終わりよ……」


 それを聞いて、チセが抱いた怪訝を隠さずに訊ねた。


「ダンジョンの、外に? 『核』なのよね?」

「『核』だと、どうなるんですか?」

「ダンジョンを活性化させている根幹の概念だから。ほかの魔物とは違って、ダンジョンから出られないのよ。そもそも、最深部から出てくることも苦痛なはず」


 しかし女性は激しく首を振り、乾いた目を見開く。


「あいつは、もう三階層まで登ってきてた! 自分の魂を昇華させて、別の存在に進化しようとしてるの。三階層以下の魔物はぜんぶ、養分として取り込んだって、自分で話してた……もし本当なら、『進化』も時間の問題かもしれない」

「…………心得た。だが諦めるな。何を隠そうワタシのマリーは力持ちでね。キミひとり抱えたところで、問題はない。だよね?」

「はい。持ち上げますよ。痛むようならお伝えください」


 マリーは女性の背中とふくらはぎの裏にそれぞれ腕を回し、軽々と担ぎ上げる。


「念のため、聞くけど。あとの三人は?」

「……第三階層で、足止めをしてる。早々に戦力外になった私だけ、こうして連絡役として……でも、いつまでもつか……」


 様々な感情が入り混じった暗さで、女性は呟くように答えた。

 そして──アルルカは強烈な悪寒を感じて、女性が来たほうを振り返る。


「そうだな。あの雑魚三人が、果たしていつまでもつのかね?」


 目の前に、異形の男がいた。古風な装いを紫色の肌にまとい、額からぐねぐねと歪んだ一対二本の角を生やしている。にたぁり、と笑みに歪んだ目は、黒い角膜と赤橙色の瞳で構成され、禍々しく湿っていた。


「下がって!!」


 チセの悲鳴に近い叫びと同時、複数の光矢がアルルカの目の前を通過する。男はすでに後ろに身をかわしたあとで、鷹揚と肩を開いていた。


「答えは、三分と十三秒だ。かなりもったほうではあるんじゃないか? ククク」


 その、身体的特徴を。その、在り方を。

 アルルカは、知っている。


「──魔、神?」

「……精霊といえ、初見で出てくる単語ではないな。貴様、何を知っている? 少し興味が沸いた。喜べ、貴様だけは生かしておいてやろう」


 軽く笑い、男は冷えた視線でチセたちを順番に観察して、すぐにわざとらしく溜息をつく。


「あとは駄目だな。無意味、無価値。等しく塵に成り下がれ、人間ども」

「マリー、いますぐ。走って。全力で」

は先ほども見たのだがな。まあ、良いぞ。やってみろ。これでも私は話がわかるほうだ。貴様が私を引きとどめているうちは、野暮な追撃はするまいよ」

「チセ……無理だ。魔神には、かつてのワタシですら勝てなかった!」


 そう、そうだ。

 魔神こそ、パテル神穴の長であり。アルルカをあの洞窟に閉じ込め続けていたことわり。ついぞアルルカが恩讐を晴らすことなく、英雄ベルガトリオに討伐された、かつての仇敵に他ならなかった。


「だったら何。逃がしてくれるわけじゃない。戦うしかないのよ」


 怯懦するアルルカに対し、チセはどこまでも冷静に告げる。

 実のところチセの手足が細かく震えていたのは、魔神しか解さなかっただろうが。

 冷ややかに、現実を受容し。確固たる意志で立ち向かう。

 そう在れと自分に言い聞かせるために、チセは毅然と言葉を続ける。


「それに、相手には進撃の意図があり、私にはそれを阻む意思がある」


 吐き出した息は白く凍てつき、微かな輝きとなって散った。


「これは、


 かちりと魔道具が励起するように、チセの有するスキルが起動状態に移行する。

 瞬間──、チセの内側から、莫大な熱量が解き放たれた。


「私、もともと守るのが専門なのよ。マリー、行って。私たちのためにね」

「……っ……!」


 マリーは口の中でいくつもせめぎ合った言葉を飲み込んで、階段に向かて走っていく。それを泰然とした様子で見過ごし、魔神はひとつ頷いた。


「ふむ。限定状況で能力が超強化されるスキルか。少しは楽しませてくれそうだ」


 魔神の言の通り、チセはこれまでのチセとは比べ物にならないほどの魔力をまとっている。人の身でありながら、純血精霊をも凌ぐ極大の魔力の渦。きっとこれこそが、チセ・ウェスタという冒険者の本領なのだろう。

 では、これならば。魔神を、止められるか?

 アルルカの脳は冷徹に、否、と告げた。

 即座に首元のネックレスを引き出し、金属の飾りを握りしめる。


「──っ。類聚るいじゅうはこよ。開け」


 どぷん、と金属球から血が飛び出し、アルルカの吸血によって体内へと取り込まれていく。拡大し、変質していく魔力。赤黒い気迫を満身に滾らせたアルルカは、ぎりぎりと歯を食いしばりながら、己を塗り潰そうとする意志に耐える。


「……ほう。成程、成程。そういうやり方も、確かにあるか。吸血精霊……血の概念。複写と蔓延を司る精霊。その力で、己を別の入れ物に移し替え、『核』の戒めを逃れる、か」

「……。ぐむ……。はあっ……」


 そして、耐えきった。脳から引いていった熱と痛みを深呼吸で吐き出して、アルルカは己が魔剣を正中に構え、魔神と相対する。魔神はなおも余裕を崩さずに、アルルカを、アルルカがまとう魔力の『属性』を眺めている。


「しかし、これはどうした? 転化が不完全……というより、一割も入っていないではないか。むしろ忌々しい不純物のほうが濃く見える。さては、失敗したな。いくら大本の強度を高めるためとはいえ、よりにもよって、鎮め石など材料にするからだ。──とはいえ、神のおりさえ除去できれば、私の入れ物とするのも悪くない。喜べ。やはり貴様は、運命に愛されている」

「何を言ってる……?」

「クク、何も。貴様のことなど、貴様には知る必要がないだろう」

「謎かけか?」

「言ったままだ、たわけるな。そら、準備は済んだろう。始めていいな?」

「……チセ。時間を稼ぐぞ。が来るまで」

「……仕方ないわね。前は任せるわよ」

「心得た!」


「ああ、やってみろ。愚か者ども!」

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