第14話 暗闇
暗い、暗い、闇の中を、涙が上に流れていく。
怖い。怖い、闇の中を。ワタシの身体は落ちていく。
なんで、ワタシは落ちているんだろう。
……いや、違う。防御魔法を唱えないと。
でも、防御魔法って、どうやるんだったっけ?
直後、腰に凄まじい衝撃が来た。骨が砕け、肉が潰れる感覚。そして、静止。
真っ暗闇の中、無事な右手でぺたぺたと自分の身体を探る。どうやら下半身が軒並みつぶれてしまったらしい。
「どうせ、全身潰れても、死なないん、だけど、ね」
喉も生きている。肺も、まあ、動いてはいる。上半身は、あれだけ長く落下したわりには、かなり軽傷だ。パンケーキのおかげか魔力は潤沢だし、再生は比較的早く済むだろう。
久しぶりだ、とおぼろげに思う。
何度も、外に出ようとして。その度、あいつに殺されかけては、アンデッドとしての不死性を盾に、暗い闇の中に逃げ帰っていた。
暗闇は逃げる場所だ。恐ろしい場所だ。とにかく、怖い場所だ。
高貴なワタシが居るには相応しくない場所であり、ワタシの、すみかだ。
「暗い……暗闇は、嫌だ……。怖い……ぐ……ゲホッ、ゴホ、ゴホッ!」
……いや、前言撤回だ。なんだ、この瘴気は。
これじゃあ、自力での再生だけでは、傷を治すところまで追いつかない。
何か……ないか?
再び周囲を探った右手が、こつんと何か固いものに触れた。手繰り寄せ、掴み取る。
「……魔剣か。チセからもらった……。再生に任せるよりは、マシかな?」
細々と魔力を通すと、魔剣はうっすらと光を灯し、神聖の気をまとった。瘴気を完全に防ぐには至らないが、いくらか楽になる。とはいえ再生に回す魔力も減るので、やはり差し引きではわずかに良くなった程度だ。
「そういや……服は、どうなってる? 昨日買ってもらったばかりなんだ。それもたいそう高かった。あんまりひどくすると、あのチセでも、たぶん怒るぞ……」
瞼を閉じて、ゆっくりと、まだたった一日の幸福を、光輝く世界を思う。
チセはそのどの記憶でも、無表情でいるか、呆れているか、たまにほんの少し口元を緩めている。やっぱり、怒った顔は想像できないな。むしろ一回怒られてみたい気持ちすらある。
……チセは、助けに来てくれるのだろうか?
「暗いのは、嫌だ……怖い……チセ……このままじゃ……」
使ってしまう。『血』を。
胸元で、金属の小さな鞠がチャリンと音を立てる。
「……ヴァンパイアなのに?」
「怖いものは怖いだろ……んあ?」
なんとなく返してしまってから、闇の中を歩いてきた小さな光に目を向ける。
「挙動不審だった理由がやっとわかったわ。暗所恐怖症なら、初めからそう言って」
そこには防護魔法の薄明かりに囲まれた二人の少女がいた。
「は? チセ? それにマリーまで」
「アルルカさっ……あ、足が……大丈夫なのですか……?」
「アンデッドだからね。身体の損壊は死に結び付いてないんだ。魔力で身体を治してるところだったけど、できれば手伝ってくれない?」
「すみません。防護魔法だけで手一杯で。つくづく、わたくしが未熟なばかりに」
「ならいい、ありがとう。ここの瘴気は強すぎる。キミたちがまともに吸ったら大変だぞ」
「……あなたの魔力を補充することならできるわ」
「助かるよ。そのぶん復活を早められる」
頷いた瞬間、チセが頭のすぐ横に跪く。そして腰のポーチから青い液体の入った小瓶を取り出し、こちらの口内へと流し込んでいく。
「がぶ、ぐぶ、おぼれる、おぼれる! ぷは、はー、ミントとレモンの香り!」
「……あと二本あるわ」
「ちょうだい。あ、いや、マリーの防護魔法の分を残しておいたほうがいいかな。胴体を再生できれば、脚は後でもいいから」
「アンデッドみたいなこと言わないで」
チセはもう一本魔力ポーションの封を開けて、アルルカに飲ませた。
「……アンデッドだもの。あ、そうだ。ワタシの服、どうなってる? 無傷は、流石にないよね。破れてたら嫌だな……チセ、さすがに怒るだろう」
「心配したの!」
怒っている、と思ったけれど、少し違う。
鋭い声は押し殺した嗚咽に続いていて、俯いたチセの顔は僅かに朱を帯びている。
「……チセ?」
「心配したのよ。何か言うこと、あるでしょう」
「泣いてるの?」
「泣いていないわ」
「…………ごめん。心配かけて」
チセは肩を震わせながらアルルカの首元にすがりつく。
アルルカはその黒い髪に手を伸ばし、できうる限り優しく、頭の曲線に沿って手のひらを上下させた。
「撫でないで。泣いてないから」
「うん」
「撫でないでって言ってるでしょう」
「うん……ん?」
胸の中の小さなぬくもりを愛でていたアルルカの脳裏に、不意に嫌な予感が走る。
いや、予感はもはや予測であり、そして現実になろうとしていた。
「チセ、何か……」
「何よ」
「何かいる。あっち……近づいてきてる!」
「……そのようね。アルルカ、最低限再生が済むまでどのくらい?」
チセは目元を拭いながら身体を起こし、尋常ならざる気配を漂わせている闇を見つめる。
「……二十分。もう一本ポーションを飲めば十分」
「じゃあ飲んで。十分凌ぐ。……二十分は無理だろうから」
チセはポーションをアルルカの手に握らせて立ち上がり、魔弓を顕現させた。
「こんな大物が人の住む街の地下にいただなんて、信じられないわね。でも、この瘴気にも納得がいく相手ではある」
「あれは、まさか……!」
マリーが息を呑む。無理もない。無理もなかった。
闇の衣を脱ぎ捨ててその姿を現したのは、ぎらぎらと輝く紫黒の瞳。
鋭い牙の並ぶ口元からは、黒く重苦しい瘴気が漏れている。
次いで人間三人分はあろうかという長い首が見え、どっしりとした胴体、その躯体を支える四足と、鞭のようにしなる尾が続く。全身を包む鱗の隙間から噴き出す腐臭は防護魔法越しにも鼻が曲がるほどだった。
「腐竜……それも、
チセは努めて落ち着いた歩調で前に出たが、竜はその内心の焦りを見透かしたかのように、ぎろりと笑った。
「チセさん!? 防護魔法の範囲から抜けては……」
「十分なら致命的じゃない、でしょう。オルカの霊弓よ、その真なる姿を現せ──」
ガチリと親指の腹を噛み切り、滴る血を霊弓の核たる指輪へと擦り付ける。
「
千切れんばかりの叫びに応えるかのごとく、腐竜は咆哮を重ねた。
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