第13話 急転直下
「ふぅ……ナイスパンケーキ! センキュー!」
「ありがとうございます、パンケーキおじさん」
マリーが木製のフォークを置く。わずかにシロップの跡を残して空になった皿を前に、パンケーキおじさんも満足そうに頷いた。
「パンケーーキ!! 礼には及ばない、プリステス、リトルレディ」
「食べたわね……いくらかしら?」
アルルカが計十二枚のパンケーキを平らげているのもそうだが、チセとマリーも、ちゃっかり六枚ずつを食べていた。しかしおじさんは首を大きく横に振る。
「ジャストセイ。礼には及ばない。ディシズノットビジネス。パンケーキおじさんもしばらくぶりに腕を振るえてハッピーだ」
「なんと。こんなに美味い店があっても人が来ないほどなのか。世界の損失だね」
「イティズワットィトイズ。この街を塞いでいるバッドムードは深刻だ。パンケーキミラクルでも、太刀打ちできないほどに」
「……むぅ。本当に土地に呪いか何かかかってるんじゃないか?」
「いや、呪いであればパンケーキでブレイクできる」
パンケーキおじさんはさらりと告げた。アルルカとマリーも頷いて流す。
「それはさすがに無理があるんじゃ」
「何を言う。チセも食べたじゃないか。あのパンケーキなら解呪くらいできるだろう」
「それとこれとは……」
「イェア。それとこれとは別さ。あれは呪いに食らわせるためのものじゃなく、美味しく戴くもの。呪いにはきちんと解呪用のパンケーキがある。パンケーキ教に不可能はたまにしかないのさ」
「さすがパンケーキだ!」
「ヒュゥ!」
アルルカとおじさんがハイタッチしているのを横目に、チセはマリーへと話を向ける。
「…………本当なの?」
「ええ。実際に見たことはありませんが。パンケーキ教もれっきとした信仰ですから、その聖体とも言えるパンケーキに関して、嘘はつけないと思います」
「れっきとし……聖体? いえ、もう、そういうことだと思っておくわ」
チセは一呼吸置いて、建設的な方向に話を修正する。
「逆に聞くけれど、パンケーキで対応できないものって何なの?」
「グェス……戦闘用パンケーキを上回る物理的な障害。材料費をはじめとする諸経費。それから、毒や
「瘴気……」
チセは口元に手を当てて思案にふける。
「思い当たる節でもあるの?」
「瘴気とも呼べないような微かな気配だったけれど。地下室で作業しているとき、少しだけ感じたのよ。地下ゆえの空気の悪さだと思っていたのだけど」
「リアリィ? するとアンダーグラウンドに何かバァッドなモノがあるのか?」
「いえ、本当に微妙なものだったから、断言はできないわ。アルルカ、マリーさん」
「はい。午後はそちらを調べてみましょう」
毅然とうなずくマリー。アルルカも、頷かないわけにはいかなかった。
「……うむ。マリーとパンケーキおじさんのためだ。頑張る……頑張るぞ! さぁ、善は急げだ! 行くぞ、二人とも。パンケーキありがとう!」
「グッドラァック!」
謎のパンケーキ店に別れを告げ、一行は教会の地下室へと戻った。
相変わらずのどんよりとした重い空気。意識してみれば、瘴気の気配がにおわないわけでもない。暗い暗い闇の底に、うごめく恐怖……。
アルルカが一定の呼吸を意識的に続けているところへ、不意にチセが話を振った。
「……どう、アルルカ?」
「っ、なんだ急に。どうとは」
「あなた精霊なんだから、人間の私たちよりは空気や属性に対する感覚に優れているはずでしょう」
「あ、ああ。そうだな……」
アルルカは自分の内から外へ外へと抜けていこうとする恐怖を押し殺しながら、瞑目し感覚を研ぎ澄ませていく。
「……こちらの方向だ。ほんのわずかだが、瘴気のような気配が……」
目を瞑ったまま、アルルカが手探りで部屋の端へと歩いていく。やがて地下室の角までたどり着こうかというところで──バキッ。
踏み出した足が、乾いた破壊音と共に深く地面の下へと沈み込んだ。
否、それだけではなく、そのままアルルカの全身は地面の……地下室の床に突如現れた穴の中へと、落ちていこうとする。
「なっ?」
チセは瞬時にアルルカに向けて手を伸ばすが、無情にも、わずかに重力のほうが上回った。アルルカは甲高い悲鳴を上げながら、穴を覆い隠していた屑木の群れと共に、暗闇を落下していく。
「アルルカ……!」
「ど、どうしましょう!? アルルカさん、アルルカさん!?」
チセとマリーが穴の縁に駆け寄り、その中を覗き込む。あるのは暗い虚ろだけで、アルルカどころか何も……と、その瞬間、ぞくりと寒気。二人が反射的に身を引いた途端、鉄砲水のように瘴気が穴から溢れ出てくる。
「ゴホッ、ゲホッ!
激しく咳きこみながらも、マリーが迅速に魔法を発動。淡い白光が周囲に降り、瘴気の影響から二人の身を守る。
「……助かったわ。その防護魔法、私にかけられる?」
「すみません。わたくし自身を中心にしか」
「そう」
アルルカが落ち、そして瘴気が噴き出してきた穴。
その周囲をよく見ると、古い魔法陣の痕跡が残されている。封印が施されていたようだが……いまはもはや機能していなかった。それが、封印が解けているという事実が観測されていなかったという理由だけで、形だけ保っていたのだろう。
「……私はアルルカを助けに行く。マリーさんは外に出て……地下室の蓋はきちんと閉じて。それから冒険者協会に事の次第と応援を」
「ですがこの瘴気は、防護魔法なしでは、
「だから行くの! わかったわね、もう行くから!」
「待ってください!!」
強引に穴に飛び込もうとしたチセの腕を、マリーが引き留める。
チセが舌打ち交じりに振り返った先には、マリーの穏やかな微笑みがあった。
「二人で行きましょう。行って助けるまではまだしも、帰ってくるのは、どう考えても十分では利きません」
「……いいのね」
「はい」
チセはマリーを抱き抱え、暗い穴の中へと。
飛び降りた。
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