第15話 冒険者になれ。

 魔剣解放・水牢狩猟。魔法弓、オルカの霊弓の主核たる魔法。

 顕現させた巨大な水の球の中へと敵を封じ込める、拘束魔法だ。

 水牢は、腐竜の巨躯すらもを包み込み、いっときはその動きを封印するかに見えた。だが、水球の中にはみるみるうちに黒色の穢れが蔓延していき、十秒と保たずに弾け飛ぶ──直前、水球のあらゆる部分に光の矢が撃ち込まれた。矢は強烈な冷気を発し、瞬く間に水の牢獄を氷の牢獄へと作り変える。

 しかし、


「足りないか……!」


 ピシリと亀裂が走った直後、濁った破砕音と共に氷牢は破裂。腐竜は勝ち誇るように咆哮を上げる。耳を塞がずにはいられないほどの轟音に伴って、その口元から濃密な瘴気が放出されていく。

 とはいえ、チセにしても、これで抑えられるとは最初から考えていなかった。

 そもそも水牢狩猟はほどほどの敵を大量に相手するための魔法で、単一の超級存在に対しては効き目が薄い。それでも魔法を発動させたのは、止まってくれるならそれに越したことはない、という淡い希望と──魔剣解放の特性が故だ。

 あらゆる魔剣は、解放を行ってから一定時間の間、魔力効率が大幅に向上する。

 つまりは、次撃が本命。


「っ!」


 だが、チセは番えた光矢を放つよりも先に、腐竜に攻撃動作を見た。

 首を曲げ、頭部を後ろに下げながら低く構えた竜。胴体と首の接続部分あたりで、橙色の光が肌膜越しに透けて見える。


息吹ブレス! マリー、自衛を!」


 視界の端でマリーが防護魔法を前方に偏向展開するのを確認しつつ、チセは大きく身体を動かして竜の視線を自身に向ける。

 直後、超高温の熱線が竜のあぎとの内から解き放たれた。

 チセは熱線の方向を誘導しつつ、大地を駆け、壁を蹴り、宙に飛び上がって。暗闇に煌めく熱線を翻弄しながら、己が魔法の詠唱を開始する。


「新たなる日よ。駆け抜ける燦光さんこうの矢よ」


 キリキリと引き絞った矢に、さながら黎明を呼び込む陽光のような、白黄の眩い光と炎が点ってゆく。


「大地を統べる闇を払い、影を払い、起こる命を祝い給え」


 それは、夜闇を引き裂く嚆矢。

 暗闇という環境により威力はさらに強化され、光はいまや弓を引くチセの身体をも包み込み、極小の太陽として顕現させていた。


自然礼賛アニマ払暁の矢サンライザー


 静かなる賛美と共に、白焔の矢が放たれた。

 竜が展開した魔法防御を一瞬で砕き尽くし、身をよじった腐竜の翼腕を貫通。即座に炎上し、辺りに油の燃える悪臭と荒れ狂う竜の悲鳴がぶちまけられる。


「次で終わりね……なんとかなって、よかっ──」


 チセは次なる矢を番えかけた、が、その手元が大きく狂い、弓弦に収まり損ねた矢は魔力に還り霧散していく。見れば手先は震え、魔力の操作どころか、まともに指を動かすことすらままならない。


「これは……ゴフッ……!?」


 そして、水気を含んだ咳を最後に、チセは地に倒れ伏した。

 動悸は際限なく高まっていくのに、体温が全く上がっていかない。


「チセさん!」

「来るな! アルルカを……あ、ぐっ……!!」

「いいえ! アルルカさん、少しだけ離れます!」


 マリーがチセの元に駆け寄る。その顔からは血の気が失われ、瞳は濁り、唇は異様に乾いていた。


「……中毒症状ですね。応急処置を……人体神秘ミクロコスモス癒しの手ピュアリズム

「……まだ、五分なのに……」


 柔らかな光を受けると、ほんの少しだけ呼吸が楽になる。

 いまはむしろマリーが苦悶の表情を浮かべていた。


「すみません。瘴気の大本と戦っていては、どうしても……」

「……そう。そうね。当然ね。私、結局、焦ってたのね」

「喋らないでください。ゆっくり呼吸を落ち着けて……」

「いいえ。そろそろ、あいつも起きるわ」


 顔を上げたマリーの視線の先で、ぷすぷすと黒煙を上げながら、竜がこちらを睨みつけている。呼吸は幾分荒くなっているが、その瞳に宿る生命力には一片の陰りもない。

 窮地。壊滅。絶体絶命。どんな言葉で表現しても構わないが、とどのつまりはそういうことだ。このままでいる限り、三人は間もなく死ぬ。


「……アルルカを連れて逃げなさい。あと一分は稼ぐ。そのあとは……幸運を祈るわ」

「チセ……さん」


 戸惑うマリー。諦念にも似た決意を示すチセ。

 そして、そんな二人の後ろ姿を、そこに迫る腐竜を眺めながら。

 アルルカは、穏やかな微笑みを浮かべていた。


「……うん。悪い、英雄。賭けは、ワタシたちの負けだね」


 それはきっと、チセがしている顔に似ていて。

 けれど決定的な部分で違っている。

 ワタシとチセは、まったく別の生き物なのだから。


「でも、ワタシはこれでも満足だ。日の光の下の楽しさを感じられた。ワタシのために戦ってくれる仲間もできた。……満足なんだ」


 アルルカは胸元から、ネックレスを引き出し、その先端にある飾りを親指と人差し指でつまんで、掲げた。

 表面に複雑な細工がなされた、銀色の球。

 それは、収納魔法と呼ばれる、超高位空間魔法が込められた魔道具。

 英雄ベルガトリオが、とある吸血精霊を討滅せしめた証。

 アルルカ・ドルスが、まがい物であろうとも、確かに人間である証。


「そうだ。ワタシは、血を啜り、力を求め、で──

日の光の下では生きられない。認めてやるから、封を開け。類聚るいじゅはこよ」


 指の中で、真円の輝きが巻き起こり、アルルカの頬を伝う涙を照らし上げる。


「ワタシに、かつてのワタシを引き渡せ」


 そして光の中から、赤黒い血が溢れ出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る