第18話 旅立ち
「
すでにこの場にいない空間魔法使いに呟いてから、ふとアルルカは思い至る。
「……あ、おい、文句を言い忘れた! せめて転送門のことくらい教えておけ! ワタシは無駄に二週間歩いたんだぞ!」
「……誰に叫んでるの?」
そして、入れ替わりに、新たにチセが声をかけてきた。
アルルカは不自然に体を強張らせて、軋むように振り返る。
「その格好、似合うわね」
「あ、ああ。当然だ。ワタシは何でもよく似合う! しかし悪いな。この服装の通り、いまワタシは忙しい。話は後にしてくれ」
「私も手伝うわ。商談も概ねまとまったし」
チセがパンケーキおじさんに軽く手を挙げると、すべてを察したおじさんがエプロンを投げてよこした。いったいどこから取り出してるんだ。
「……商談というのは、竜の産物の話か」
「そうね。なかなかいい稼ぎになったわよ。まあ、この話は、それこそ後でいいわ。マリーさんが来てからで」
チセはパンケーキを三番テーブルの新たな客にサーブしてから、テイクアウトの客に愛想を振りまいているアルルカの隣に戻り、ぼそりと呟く。
「……
びくん、とアルルカの肩が跳ね上がる。
「魔法は本来、自然を、神秘を……世界を肯定し、賛美するもの。それに対し、外理侵食はその逆、世界を否定し貶める異端の魔法、その究極。世界の敵たる証明」
「知ってるんだね。さすが、一級冒険者」
そう。それは例えば、英雄譚の魔王のような、誅されるべき絶対悪。
世界のルールを自分勝手に書き換えてしまう外理侵食は、大本の世界に悪影響を及ぼす。端的に表現すれば、外理侵食使いが存在する限り、未来どこかの時点で、この世界は必ず破綻を迎えてしまう。ゆえに、世界の敵。
「おとぎ話の存在だと思っていたわ。実在するのね、あんなもの」
「……まあ、ね。でも、心配はいらないよ。ワタシが言うことではないけれど」
しかし同時に、英雄譚には、当然、英雄がいる。
魔王など歯牙にもかけない、絶対的な主人公が、いずれ、魔王の前に現れる。
いまの世界におけるそれは、まさしく『英雄』と呼ばれているらしい、最強の冒険者のことを指すのだろう。
「ワタシが本当に世界を滅ぼす化け物になったら……ベルガトリオがワタシを倒す。ついさっきもヤツ自身に釘を刺されたところだ。化け物になるなってさ。だから、その、ええと……もしよければ、だけど。いつ化け物になるとも知れない、厄介なヤツだけどさ。ワタシと、これからも──あうっ!?」
俯き気味にぼそぼそと言葉を繋げていたアルルカの額を、チセの指が思い切り弾いた。完全に不意を突かれたアルルカは、眉間に訪れた熱っぽい痛みに悶絶する。
「……いつ化け物になるとも知れない、なんて、甘えないで。化け物になんてならないで。あなた自身が、世界の敵を倒してみせて」
ようやく痛みが引き始めたアルルカに、再びチセの手が伸びる。思わずアルルカは身構えかけたが、なんてことはない、伸びてきた手は、手のひらを上に向けたまま、誰かが手を重ねるのをじっと待っている。
「それまでは、見守っていてあげるから。最初からずっとそうだけど」
ざっ、と辺りに風が吹き抜ける。朗らかな草花の陽気と、パンケーキのにおい。
揺れる黒い髪と、優しい視線。
「私は、あなたの監督役だもの」
「フ、フフフ。ククク……アーッハッハッハ!」
照れやら嬉しさやら涙やらを誤魔化すために、過大に笑った。
そしてワタシは、キミの手を取る。
「そういえばそうだ。うん。キミはワタシの監視役だった。これからも、そうでいてくれるのか」
「ええ。あなたは黒髪の女では嫌かもしれないけれど」
「……さあ、どうかな。そもそも、黒が苦手なだけで、若い乙女は基本好きだから、トントンってところだったぞ?」
じゃあ、いまは? どうだろう。
ただ、冷えた氷に触れた手の離れがたさだけを、感じている。
「純血精霊はこれだから」
チセは適当に呆れてみせてから、ふと思いつきを口にする。
「あなたには、なんだか少し親近感を覚えていたのだけど。理由がわかったわ」
「うん?」
「だって、羊みたいでしょう。白くて」
メェー。アルルカの周囲で羊の群れが躍る。幻覚だが。
アルルカはムッと口を結び、繋いでいたチセの手を払った。
「……ワタシは羊じゃないだろーがー」
「か弱さでは大差ないわ」
「そんなわけあるか!」
アルルカはびしりと天に向けて一本指を立て、声高に宣言する。
「ワタシはいずれ最強の冒険者になる。そしてゆくゆくは、ワタシこそがこの世界の主人公だ! いまに見ていろ!」
「はいはい」
「雑!」
ぎゃあぎゃあとわめきながらパンケーキの配膳を進めていると、やがてもうひとりの知己がアルルカのもとを訪れる。
「アルルカさん! チセさん!」
「うっ……マリー。ええと。そのだな。昨日、ワタシは、あー……ひどいことを言ったよな。それに、怖がらせた」
「いいえ。気にしていませんよ。あのままアルルカさんが戻ってきてくださらなかったら、と思うと、確かに少し怖いものはありますが……でも、アルルカさんは、やっぱりアルルカさんでしたから」
「そう言ってくれると助かるが……一発くらい殴ってもいいぞ?」
「い、いえそんなことは! その、代わりと言っては何ですが」
マリーはぐっと胸の前でこぶしを握り、気合十分の姿勢を示す。
「昨日はお断りしてしまいましたが……私も、お二人の旅に同行させてください!」
「……街はどうするんだ?」
するとなぜか、マリーだけではなく、チセまでもが一様に得意顔になる。
「竜を倒したお金を元に、チセさんやエリカさんの取り計らいで、復興団体を組織していただいたのです。それに、王国からも、移住に関する優遇を受けられることになって……」
「う、うん?」
「何から何まで、みなさんのおかげですね。……あと、パンケーキおじさんの評判も物凄いみたいですし」
マリーの視線を受けて、おじさんがぐっと親指を立ててみせる。確かにこのぶんでは、彼のパンケーキ店が大陸有数の名店として紹介される日も近いだろう。
「この街は、きっともう大丈夫です。それに……」
そこでマリーは、彼女らしくもなく、いたずらっぽく笑んでみせる。
「最強の冒険者パーティーの結成の地ともなれば、それも町興しになるというものでしょう?」
アルルカは束の間ぽかんと口を開けていたが、すぐにマリーの手を取って、共に天へと拳を高く突き上げる。
「フフフ……いかにも! 我らこそは、いずれ最強の冒険者パーティーになる、未来の英傑! ワタシたちの旅は、」
「うん。まとまったわね。それじゃ王都に帰りましょう。さすがに疲れたから、自分の家でゆっくりしたいわ。マリーはまだしばらくはここにいるでしょう?」
「おい! まとめる途中! まだ途中だったから!」
「いえ、するべきことはもう済ませています。お供いたしますよ」
「そう?」
「プリステス。よい旅を。それにレディとリトルレディも、手伝いありがとう。そのエプロンは餞別に贈ろう。いつでも、パンケーキがその心にあらんことを」
「あの……ワタシたちの……」
チセが一足先に歩き出す。
「まずは、二階の明かりを新調しないとね。アルルカ用に」
頬を膨らませたアルルカは、マリーの手を左手に握ったままそこまで駆け寄って、空いている右手でチセの手を取った。
「……であれば、いっそ! 家ごと改めてしまおうではないか! この高貴なるワタシにふさわしい、ものすごい大豪邸だ!」
「簡単に言ってくれるわね。値段を知ってから言ってほしいわ」
「あはは……」
つつがない、春の一日。
アルルカ・ドルスの人生は、きっとこんな晴れの日を、幸せと呼ぶ。
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