第17話 晴れの日

 重い瞼をゆっくりと持ち上げる。やや古めかしい造りの木造の壁。

 アルルカはすん、と小さく鼻を鳴らし、ベッドから身体を起こした。


「マリーのにおいだな」


 部屋の中は一見しただけではよくわからない粗雑なつくりの木製飾り(?)か何かがそこかしこに置かれていて、ほかには箪笥と鏡くらいしかない。殺風景……というよりは、清貧というやつか。

 そこでふと自らの身体を顧みたアルルカは、自分の姿格好が昨日と全く変わらないことに気がついた。より厳密に言えば、腐竜に出会う前の……チセに買ってもらったときと寸分違わない服装だった。


「……そういえば、自分の着衣を再生魔法の対象にできるスキルがあったかな。こればかりは吸血して良かった。こればかりは」


 適当に納得したアルルカは、ベッドから降り、無地のカーテンで閉ざされたままだった窓を開ける。

 すぐさま眩いばかりの陽光が部屋の中に飛び込んできて、アルルカは思わず目を瞑った。朝の気配だ。一晩中寝ていたらしい。あるいは二晩かもしれないが。

 どちらにせよ。


「世話になったな。マリー」


 幸運にも、いまはこの場にいない部屋の主に向けて一礼し、アルルカは窓の外へと飛び降りた。

 すたんと地面に降り立ったところで、おや、と思う。

 マリーの家は教会の裏手にあったらしく、すぐそばにあの教会の鐘楼を見上げることができる。しかしどうも、その教会のほうが、何やら騒がしい。

 忍び歩きで細い路地を伝っていくと、やがてその光景がアルルカの目に入った。


 商人だ。ちょっとした町市場くらいの規模で、商人たちが徒党を組んでいる。いや、そう見えるのはアルルカの目にだけで、普通に考えれば彼らは商売敵同士にらみ合っているのだが、どうあれそこは大差ない。

 とにかく多くの商人たちがいて、しかしそれらは単純に市場というわけではまったくない。彼らが扱っている品々は魔石やら魔物の素材やらに限定されているからだ。

 その中に腐竜の鱗らしきものを見つけて、アルルカはなるほどと手を打った。


 確かに、竜が討伐されたとなれば、商人にとっては金銀財宝の山というもの。集まってくるのも当然である。どれだけの量の素材がドロップしていたのかは記憶にないが……まあ、仮に鱗一枚だったとしても競りは大いに盛り上がるだろう。


 あとはチセとマリーがきちんとその恩恵に預かれているのかどうかだが……そこは、心配いないだろう。何しろチセは一級冒険者。このくらいのことは経験しているはずだ。


「……少しは恩を返せただろうか」


 アルルカがしんみりと頷き、その場を去ろうとしたところで、急にその背中に野太い声が突き刺さった。


「リトルレディ、グゥッドタイミング! 悪いがヘルプミー、手が足りない!」


 記憶にも新しい特徴的な声に、思わず振り返る。

 声のしたほうをよくよく見ると、魔石商のテントに交じって、パンケーキの露店が出店されていた。それをなぜアルルカが見落としたのかといえば、ひとえにその周囲に膨大な量の客がたむろしていて、うんと背伸びしなければ露店の看板すら見えないほどだったからだ。

 アルルカは強化魔法のかかった足で人の群れを飛び越え、パンケーキ露店の隣に降り立った。屋台ではパンケーキおじさんが目にもとまらぬ速度でパンケーキを作成している。


「なんだこれは。大盛況にもほどがあるぞ」

「嬉しい悲鳴というやつだな。エニウェイ、このエプロンを着て手伝ってくれ」

「いや、ワタシ、パンケーキを焼いたことないんだけど」

「こうまで大規模になると、仕事はパンケーキを焼くだけじゃないのさ。というわけで、パンケーーキ!! サーブを頼む」

「……どうしても?」

「ああ。パンケーキの心を知るリトルレディにこそ頼みたい」


 アルルカはため息をひとつついてから、受け取ったエプロンに袖を通し、ついでにきゅっと後ろ髪をしばり上げる。


「パンケーーーーキ!! やはりよく似合う。看板娘としても申し分ない」

「そうかな? 悪い気はしないけど……」

「では、さっそくこれを頼む。二番テーブルだ」


 おじさんはパンケーキと紅茶のセットを二つ、トレイに載せてアルルカに託す。


「二番ってどこだ?」

「そこの、口ひげのジェントルと恰幅のいいジェントルの席だ」


 屋台の前に五つ立てられている簡素な木造のテーブル席のうちのひとつをおじさんは指さした。確かにそこには、よく整えられたひげを指先で遊ばせている初老の男性と、いかにも商人然とした気の良さそうな太り気味の男性が座っている。


「……ここから見て右から順番に割り振られているという認識でいいのか?」

「イグザクトリー。こちらは四番テーブルへ」

「まだ持ってもいないのに次が来た!」


 働き出したアルルカは、瞬く間に忙殺の螺旋に囚われた。

 提供しても提供しても次が来る……! テイクアウトくらい勝手に持っていけと言いたい! 魔道具選別といい、なんでワタシの仕事ってこんなのばっかりなんだ!?

 ぐるぐる目を回しながら客と鉄板の間を行き来していると、不意にそんなアルルカに声をかけてくる影がある。


「おや、大変そうですね。そう、給仕の仕事は大変なのです。あたたかな料理をあたたかなうちに届けることこそわたしたちの使命……」


 アルルカは混乱の中記憶をひっくり返して、その火炎精霊サラマンダーの少女の名前を思い出す。チセに連れられていった飲食店で目にした給仕の少女だ。


「キミは、ミラだったか。いいところに来た。手伝って!」

「えーん、今日は冒険者のお仕事として来たのに! でも構いません、わたしもこっちが本業なので! アルルカさん、わたしの背中に続きなさーい!」


 どこに隠し持っていたのか、戦闘装束だったはずのミラは一瞬にしてウェイトレス姿に変身すると、てきぱきと接客をこなしていく。さすがは本職。


「で、冒険者の仕事というのは?」

「ええ、はい。急に引っ張り出されたのでいまいち把握してないんですけど、なんか、腐竜が討伐されたんでしょう? 状況把握のために冒険者協会本部の職員も派遣されてるんですけど、その護衛に来た感じですね!」

「……護衛対象はどこに?」

「はぐれました! てへぺろ!」

「それでいいのか?」

「よくないわよ……!」


 ゆらゆらと幽鬼のように現れた、長い耳が特徴的な女性が、ミラの肩を掴む。


「……なんだ、エルフ嬢か。キミ、受付嬢じゃなかったか?」

「あなたの! せいなの! 保護観察責任の大本、私! なんで竜なんか討伐しちゃったの!? あなたも私も、超、面倒になってるんですよ!」

「どうどう。落ち着いて、パンケーキでも食べていけ。あ、列はちゃんと並べよ」

「……えっ、何この長蛇の列は……いやいいです。私甘いもの苦手なので」

「バアァァッド! 甘いだけがパンケーーーーキ!! では、ナッシング!」

「ヒィィッ! 何このキャラの濃い御仁は!?」

「マイネームイズ、パンケーキおじさん。ちなみに、スイーツが苦手な方向けにはこちら、塩パンケーキ、それからチキンサラダパンケーキを準備してある。よろしく」

「パン……は? ……じゃあ塩パンケーキを……」

「割り込むなと言ったろう。きちんと最後尾に並べ。ほらあそこで札が立っている」

「はあ……」


 パンケーキおじさんの登場によって脳のキャパを超過してしまったらしいエリカは、アルルカの誘導に素直に従い、客の列を辿って歩いていく。


「うむ、厄介払いできた」

「途中で気づいて抜けてくるか、気づいてももったいないからそのまま並んでいるかで、仲良くできるかどうか分かれますよね」

「知らん。どちらにしてもあの過度に暴力的なエルフは嫌いだ」

「おい。交友を温めるのは結構だ。しかし、俺のパンケーキはいつ届く?」

「あいや、すまない。すぐに……ってウワアァァアア!?」


 アルルカは、たぶん生まれてから一番驚いた出来事を更新した。

 いつの間にか三番テーブルに座っていた、パンケーキおじさんもかくやという巨漢。そしてその等身をも超す巨大な剣を二本重ねて背負っているその姿に、アルルカは激しく見覚えがある。


「……早かったな、ベルガトリオ。薄々来るのではないかとは思っていたけど」

「ベルッ……!?」


 隣でミラが目を剥いている。それに何を返すでもなく、最強の冒険者ベルガトリオは、マイペースに話を続ける。


「それはいい。少しは人間が理解できたようだ。察しの通り。類聚の匣の操作は、こちらで確認できるようになっている」

「少し待て。このパンケーキ屋台の手伝いがある。……別に命乞いしてるわけじゃない。終わり次第、首は差し出そう」

「お前が待て。やはりまだ駄目だな。化け物の感性だ。一か百かしか考えない。それは、人間らしくない。愚かで短絡的な娘よ。俺は、お前を誅しに来たのではない」

「は?」


 困惑するアルルカに向けて、ベルガトリオはわずかに口の端を曲げる。


「正確に言えば。誅しに来たはずだった。しかし。誅するべき化け物はいなかった。よくぞ自らで抑え込んだ。素直に称賛しよう。化け物にはできないことだ」

「……まぐれだ。次はどうなるか……」

「では、次は起こさないことだな。……しかし。気休めだが、吸血の特性上、次があっても、今回ほど理性は飛ばないだろう。お前がお前の血から受ける吸血の効力は、使うたび半減していくに等しい」

「……使わないよ。マリーとチセには、ひどい思いをさせたからな」

「ほう。傷害したのか? であれば話は変わる」


 ベルガトリオが、背もたれに預けていた体重を起こす。その動作で、ぎり、とその背の大剣同士が擦れて不快な音を発した。


「肉体的には害していないが。しかし広義では害したといえるだろう? 少なくとも、仲間のままではいられないことをした」


 しかし、アルルカの言葉を受けて、ベルガトリオは両手を天に向けながら再び深く腰を下ろす。


「……フン。脳の足りない、化け物よ」

「あ?」

「本人に聞け。他人の心を、お前が勝手に推し量った気になるな。無論。聞いて拒絶されることもあろうがな。……で、パンケーキは?」

「ちゃんと注文してたんだな……えっと、これか。……意外とオーソドックスだな。なんというか、似合わないというか」


 ぶつぶつと口にしながら、アルルカは昨日アルルカも食べたような、基本のパンケーキにシロップとバターが乗った品をベルガトリオの席に配膳する。


「二度言わせるな。俺の趣向をお前が決めるな。甘味は良い」


 やたら小さく見えるナイフとフォークで器用にパンケーキを食した大男は、やや満足そうに聞こえる声で所懐を述べる。


「む。この味。美味であることはさることながら。比較的大衆向けの味付けだが、この奥底に眠る力強さには覚えがある。成程、パンケーキ教の有力者か」

「知っているのか貴様……」

「一度教主に会った。人生最大の好敵手だ」

「そんなに!?」


 それきり、ベルガトリオはもはや何を言うまでもなくパンケーキに舌鼓を打つ。

 アルルカも、そろそろ立ち止まってはいられなくなってきたところだ。配膳の仕事に戻ってから、ふと三番テーブルに目を向けると、そこにもはや大男の姿はなかった。

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