第9話 地下室の暗がり

 そこは、直線と半円を用いて厳格に構成された立派な教会堂だったが、いまやその荘厳も虚ろだった。

 調度どうこうを語る余地もないほどに、あらゆる家具が除外されている。かつて信徒たちが腰かけた長椅子があったのだろう場所にも、僅かに日焼けの跡が残っているだけだ。


「こちらです。以前はここにオルガンが置かれていたのですが……」


 祭壇の左右に出っ張ったバルコニー様の空間のうち、左側をマリーは指差していた。長い間重いものが置かれていたせいか、日焼けとはまた別の、変形を伴う深染みが見られる。

 そしてその中央に、くだんの開かずの扉はあった。

 ちょうど人ひとりが入れるくらいの大きさの、金属製、正方形の物々しい扉だ。端のほうはかなり腐食していて、この扉がオルガンの足元で経てきた年月を思わせる。


「聖石教に、金属の扉?」

「はい。おそらく、むやみに開けないようにかと」


 二人のやりとりにアルルカが疑問符を浮かべていると、マリーが簡潔に答えてくれる。


「聖石教には、金属に手を触れてはいけない、という戒律があるのです」

「ほー。それをわざわざ……」


 チセがしゃがみこんで、扉の持ち手に指をかけた。


「私が開けるわ。アルルカ、警戒していて」

「う、うん」


 腰の剣に手をかけて、ごくりと喉を鳴らす。

 チセが小さく息を吐いて扉を持ち上げる。赤錆が擦れる嫌な音。やがて開かれた蓋の先には、暗闇へと続いていく階段がその姿を現した。


「……ひとまず、魔物が飛び出してくるようなことがなくて良かったわね。マリーさん。私たちが中に入るから、あなたはここで……」

「いえ。わたくしにも、司祭としての責任がありますから。どうか、同行させてください」

「いいじゃないか。ワタシが守ってあげるから、心配いらないよ」

「いえ。あなたが先導して。私がマリーさんの護衛につくから」

「えぇ!? 嫌だ! キミばかり美味しい思いをしてる!」

「美味しいって……適材適所を考えただけよ。私、中距離攻撃が主だもの」

「……むう、あとで覚えていろ。具体的には夕食のときだ!」


 びしりと指先を突きつけてから、アルルカは剣を抜き、そろそろと地下室に入っていく。


「はいはい。マリーさん、明かりの魔法を頼めるかしら」

「わかりました」


 先導するアルルカにマリーを続かせて、最後尾のチセは階段を降りながら、頭上の蓋を閉めた。

 マリーの掌の上で輝く光の球が、暗闇の中、小さな太陽のように四方を照らす。

 階段はそこまで長くは続かず、程なくして、先頭のアルルカの踵は広い地面に着いた。

 カビ臭さに包まれた湿った空気。

 腐り落ち、その機能を失った木製の棚と、床上に散乱した魔道具。

 ……だけではない。

 常夜の世界に突如来訪した光に向けて、暗い影から何かが飛び出してくる。


「く、っ!」


 アルルカは震えを圧し殺して、剣を持つ腕を無理やりに跳ね上げた。魔力に呼応した魔剣が神聖属性の魔法衝撃を発射し、飛びかかってきた影を粉砕する。


「はあ、っ……!」


 荒い息を肺腑の底から絞り出して、アルルカは剣を正眼に構え直した。

 次は……。


「そこ!」

「驚いたわね。あなた、昨日とは手際が大違いじゃない」

「フッ、そうかな。魔力を小出しにするのは、昨夜のシャワーがいい練習になったからね。こうも出力の低い強化魔法だと、身体はかなり重く感じるけれど」


 魔剣の光とともに消えていく魔物たちを背に、アルルカはチセたちの方へと振り返る。さて、その得意げな顔に何を言ってやろうか、とチセは考えて、けれど次の瞬間にはそのすべてを投げ捨てていた。


「……アルルカ?」

「何だ?」


 振り返ったその顔からは明らかに血の気が引いていて、瞳孔はいやに開き気味、乾いた唇からは荒い呼吸が漏れている。明らかに異常だった。


「顔色が、悪いわよ」

「気のせいだ」

「いえ、わたくしから見ても……尋常なかんばせとは思えません。もしかして、本当に呪いが──」

「問題ない! ……あ、いや、ごめん。大声を出すつもりじゃ」

「マリーさん。精神異常治癒の魔法は使える?」

「はい。アルルカさん、少しだけ、失礼しますね」


 マリーがアルルカへと歩み寄り、とん、とその額に指先を押し当てる。


「穢れも、呪いも、すべての邪毒は箱の内。人体神秘ミクロコスモス浄化の手ピュアリズム


 薄く緑色を帯びた光がアルルカの周囲をまたたき、ゆっくりと身体の奥へと沈み込んでいく。マリーが指を外したころには、アルルカの気分はだいぶ改善していた。


「……ありがとう。良くなったよ。ごめん、取り乱して」

「ですが、これは……完全に治療できた感触はありません。わたくしの術では届かないほど強力な呪い、あるいは、相当に根の深い精神的疾患かと」

「前者なら私たちにも何らか起こっているだろうから、どちらかといえば後者でしょうね。……アルルカ。心当たりはある?」

「ない」


 アルルカは食い気味に答えた。チセが訝しげに目を細めてくる。


「その、アルルカさんさえよろしければ、鑑定魔法で判別はできますが」

「鑑定魔法って、生き物には使えないんじゃなかったかしら?」

「はい。ですが私は、そういう祝福……【神眼の加護】を持って生まれまして」

「聞いたことのないスキルね。相当のレアものでしょう」

「なかなか役立ちそうじゃないか。しかし、いまばかりは不要だ! ワタシの高潔な精神に、そのような不出来などあるものか!」

「そうですか。仕方ありませんね。では、呪いの可能性に注意しつつ、ゆっくり進めていきましょう」


 すっと身を引くマリー。大方、最初から断られる前提だったのだろう。マリーが清純な性情を持っていたことに感謝するほかなかった。

 しかし、そこで終わるはずだった話に待ったの声がかかる。


「マリーさん、お願い。監督役として私が許可するわ」

「するな勝手に! だったらキミのすべても詳らかにしてもらうからな!」

「いいわよ別に。見られて困るものもないし。それじゃマリーさん」

「待て待て待てぇ! 困るだろ! 普通! 血液検査ですらないんだぞ、鑑定魔法だぞ! 身長体重やスリーサイズまでバッチリだろう! たぶん!」


 通常、鑑定魔法は物品の性質を明らかにするために用いるものだ。その精度次第では隠匿系の魔法も貫通して、物品の真なる姿、真なる力を正確に測り取ることができる。それが生物にも用いることができるとなれば……そうなるのが自然だった。


「そ、そうです。とてもデリケートな問題です。いくらチセさんの言葉でも、アルルカさん本人の意思がないのであれば、わたくしにはできません!」

「別に、身体の規格を知られたところで、何にもならないでしょう」

「なるよ!?」

「……チセ・ウェスタ。二十歳。身長172.3セント、体重56.6キルグリム。スリーサイズは──」

「やめろ! こっちが恥ずかしいから!」

「……なんで?」


 なんで……?

 アルルカとマリーは揃って混乱ステータスを獲得した。

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