第35話 そんなこと、知りたくなかった

 翌日、アルルカはエノクを訪ね、図書館に向かった。

 つい一昨日までの勉強会のように、チセとマリーを外した席で、アルルカはここまでアルルカの身の周りに起きたことを、ひとつひとつ語って聞かせる。

 魔神のこと。大浴場の精霊が言いかけたこと。様々な疑問を投げかけられたエノクは、紅茶のカップに口をつけたまま押し黙っていた。答えがない、というよりは、答えを伝えることをためらっているように。


「エノク?」

「済まない。……うだね。其処までって居るのなら、此処で帰れと言うのも、酷だろう」


 エノクは深く息を入れ替えてから、改めて口を開く。


「概ねの事実はベルガトリオ殿の話通りだが、少し欠けが有るね。無理も無い。むしろ、人の身でく其処までを知り得た物だと感服する所だ。……かつて、此の大地を揺るがした邪龍。八岐やまたの大蛇おろち。其れは元々、神にって人の世界から遠ざけられた七つの超災害を、一つの竜が束ねた物」

「七つの、超災害……?」


「水を汚す劇毒。大地を焼く溶岩流。突き崩す地震に、全てを圧砕する異常空間。空を塞ぐ闇、狂乱の波動、蔓延する疫病。いずれ一つでも、此の大陸を滅ぼし得た滅亡要因。神は深い憐れみと共に、其れを残らず、理の外に放逐した。然し、其れから間も無く、とある竜が、無明の彼方に在るはずの七つの災害と接触した。結果、彼等は八つの頭を持つ巨大な一つの龍として、再び此の世に舞い戻る事になる」


「待って。理の外って……。接触しようとしたって、できるものじゃないだろう」

「然り。尋常な手段では……理の内の手段では通らない。外理侵食ワールドエンドだよ。理の外への接続を行う外理侵食と云う訳だ。全く、洒落に為ら無い言葉遊びだ。嗚呼、外理侵食については?」


 知らないわけがない。アルルカは朗々と答える。


「世界の理を自分好みに書き換えて、好き勝手する魔法だろう」

「本質を捉えた、良い知識だ。そして、其れこそが、彼の龍が不滅たる要因でもある。外理侵食の使い手は、世界の基盤に限り無く漸近し、深く根を張って居る。魂の、存在としての規格が、一次元違うのだ。理の中の手段では、外理侵食の使い手は打ち破れない」

「……理の、外の手段なら、勝てるの? だったらワタシは、それを、もう持っているはずだ」

「今、何と?」

「同じ外理侵食なら、対抗できるの?」

「……。然うか。同じ外理侵食、か」


 一瞬輝いたように見えたエノクの瞳が、みるみるうちに曇っていく。


「エノク?」

「……然うでは無いか、とは、思って居た。其方らがパルメで腐竜を討伐したと云うまさに其の時、世界の理が少し傾いだのを感じたから」


 エノクはカップを受け皿の上に置き、立ち上がる。ぱき、とかすかに聞こえた音に視線を落とすと、エノクの置いたティーカップには、小さなヒビが入っていた。


「アルルカ。其方の質問に答えよう。同じ外理侵食を以て、外理侵食を下す。其れは、不可能だ」

「少なくとも同じステージには立ってるんだろ? 試してみても──」

「複数の外理侵食が同じ時間、同じ場所で発動すらば、世界の方が持たない。世界のルールを捻じ曲げる外法などと云う物は、其の行使自体が滅亡の引き金なのだよ、アルルカ。単に使うだけでも、世界を少しずつ壊してしまう程に」

「世界を、壊す……?」

「……例えば、形を失った精霊が再び形を成した事。邪龍の欠片の復活が早まった事。古い封印が急激に力を失った事。魔物の量と質が年々高まって居る事。此の世界は混沌に侵食されつつ在る」

「なん……え? ワタシのせいって、こと? ワタシがあの魔法を使ったから?」

「其方の所為せいでは無いよ。話を聞くに、そも其方は、邪龍の欠片が、己の復活のために用意した物。其処には単純な成り代わりだけでは無く、外理浸食を使わせ、此の世界の理、其の物を崩しにかかる意図が有ったのだろう」


 そう語りつつも、エノクの瞳の中からは熱が消え、冷たい感情に詰め替えられていく最中だった。どこまでも冷徹な、敵意。半ば生物的な反射で、アルルカはがたんと椅子から立ち上がる。


「アルルカ。其方の所為では無い。けれど其方は、外理侵食への対抗手段では無く。邪龍と同じく、此の世界を侵す毒でしか無い。……嗚呼。知りたくは無かった。知りたくは無かったよ。本当だ。けれどね、アルルカ。知ってしまった以上、此方は、手を打たない訳には往かないのだ」

「え──ま、待ってよ。それならそれで、ワタシだって」

「其方は、既に知って居る事だろうが。せめて最後に、道義を通そう。此方は、エノク・ソーバード。刻時精霊クロノス、あるいは死神デスと呼ばれる者。時間と死を司る精霊。単なる概念では無く、此の世界を運営する、理から生まれた精霊。いわば秩序の化身だ。目の前の世界滅亡の要因を、看過する事は出来ないよ」


「さあ、アルルカ。最後の対話を、始めよう」


 エノクが拳を振り上げ、握った砂時計を、机の上に叩きつける。

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