第35話 そんなこと、知りたくなかった
翌日、アルルカはエノクを訪ね、図書館に向かった。
つい一昨日までの勉強会のように、チセとマリーを外した席で、アルルカはここまでアルルカの身の周りに起きたことを、ひとつひとつ語って聞かせる。
魔神のこと。大浴場の精霊が言いかけたこと。様々な疑問を投げかけられたエノクは、紅茶のカップに口をつけたまま押し黙っていた。答えがない、というよりは、答えを伝えることをためらっているように。
「エノク?」
「済まない。……
エノクは深く息を入れ替えてから、改めて口を開く。
「概ねの事実はベルガトリオ殿の話通りだが、少し欠けが有るね。無理も無い。
「七つの、超災害……?」
「水を汚す劇毒。大地を焼く溶岩流。突き崩す地震に、全てを圧砕する異常空間。空を塞ぐ闇、狂乱の波動、蔓延する疫病。
「待って。理の外って……。接触しようとしたって、できるものじゃないだろう」
「然り。尋常な手段では……理の内の手段では通らない。
知らないわけがない。アルルカは朗々と答える。
「世界の理を自分好みに書き換えて、好き勝手する魔法だろう」
「本質を捉えた、良い知識だ。そして、其れこそが、彼の龍が不滅たる要因でもある。外理侵食の使い手は、世界の基盤に限り無く漸近し、深く根を張って居る。魂の、存在としての規格が、一次元違うのだ。理の中の手段では、外理侵食の使い手は打ち破れない」
「……理の、外の手段なら、勝てるの? だったらワタシは、それを、もう持っているはずだ」
「今、何と?」
「同じ外理侵食なら、対抗できるの?」
「……。然うか。同じ外理侵食、か」
一瞬輝いたように見えたエノクの瞳が、みるみるうちに曇っていく。
「エノク?」
「……然うでは無いか、とは、思って居た。其方らがパルメで腐竜を討伐したと云う
エノクはカップを受け皿の上に置き、立ち上がる。ぱき、とかすかに聞こえた音に視線を落とすと、エノクの置いたティーカップには、小さなヒビが入っていた。
「アルルカ。其方の質問に答えよう。同じ外理侵食を以て、外理侵食を下す。其れは、不可能だ」
「少なくとも同じステージには立ってるんだろ? 試してみても──」
「複数の外理侵食が同じ時間、同じ場所で発動すらば、世界の方が持たない。世界のルールを捻じ曲げる外法
「世界を、壊す……?」
「……例えば、形を失った精霊が再び形を成した事。邪龍の欠片の復活が早まった事。古い封印が急激に力を失った事。魔物の量と質が年々高まって居る事。此の世界は混沌に侵食されつつ在る」
「なん……え? ワタシのせいって、こと? ワタシがあの魔法を使ったから?」
「其方の
そう語りつつも、エノクの瞳の中からは熱が消え、冷たい感情に詰め替えられていく最中だった。どこまでも冷徹な、敵意。半ば生物的な反射で、アルルカはがたんと椅子から立ち上がる。
「アルルカ。其方の所為では無い。けれど其方は、外理侵食への対抗手段では無く。邪龍と同じく、此の世界を侵す毒でしか無い。……嗚呼。知りたくは無かった。知りたくは無かったよ。本当だ。けれどね、アルルカ。知ってしまった以上、此方は、手を打たない訳には往かないのだ」
「え──ま、待ってよ。それならそれで、ワタシだって」
「其方は、既に知って居る事だろうが。せめて最後に、道義を通そう。此方は、エノク・ソーバード。
「さあ、アルルカ。最後の対話を、始めよう」
エノクが拳を振り上げ、握った砂時計を、机の上に叩きつける。
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