深海の羽衣〖玖ノ箱〗④


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 場面が変わるときの、乗り物酔いのような目眩の感覚にも、すっかり慣れてしまった。今では、場面が変わっていく様を楽しむ余裕もできた。


「家も年齢も、変化なし、ね。」


 今度の場面も、現在の自分の家だ。ただ、さっきと違って朝食の用意の最中らしい。テーブルには、ご飯とみそ汁、野菜炒めが少しと納豆が並んでいる。台所には、角形のフライパンと溶き卵が用意されていた。玉子焼きを作ろうとしていたのだろう。


 居間のテレビから情報番組の司会者がニュースを読む声が聞こえる。どうやら、平日の朝のようだ。


「おー、いい匂い。卵焼きは、これからかな?」


 居間に入ってきた娘が、テーブルを見て目を輝かせている。その手の中に、木製の小さな箱があった。記憶の箱くらいの大きさだ。


「ねえ、あなた、何を持っているの?」


 娘は、あっと、声を上げて手元を見た。何かに夢中になると、手の中の箱でさえ忘れてしまう癖がある。


「これ、玄関にあったの。たぶん、お母さんの物だと思うんだけど……、違う?」


 娘から受け取った小箱は、記憶の箱ではなかった。羽衣が入っている箱かとも思ったけれど、輝いていないから違うだろう。


 なんとなく見覚えがある小箱の蓋を開けると、ハープのような音の可愛らしい音楽が流れた。


「オルゴールだったんだね。」


 娘は子どものように目を輝かせた。


「この曲はね、オリーブの首飾りっていうのよ。小学校の修学旅行で買ったんじゃなかったかしら。なつかしいわね。──あら?」


 オルゴールの中に、正方形の素焼きのコースターと白い鍵が入っている。『闇の箱』の鍵は黒かった。ということは、この白い鍵は、羽衣が入っている『かがやく密箱』のものだろう。

 私は、素焼きのコースターを手に取った。表面には、鍵がそえられた記憶の箱が描かれている。


 これは、私のじゃないわね。あの子のだわ。


 ふと、そんな考えがよぎり、娘を呼んだ。飼い猫と遊んでいた娘は、猫じゃらしを持ったまま私に近づいてきた。私は、娘にコースターを渡した。


「それ、あなたのじゃないかしら。」


 娘は、ちょっと首をかしげたけれど、思い当たることがあったのか、目をぱちぱちさせた。


「うん、そう。これ、私のだよ。すごく大事なものなの。あ、そうだ。お母さん、このオルゴール、もらっていい? なんか気に入っちゃって。」


「いいけど……。」


 たしかに娘はレトロなものが好きなのだけれど、お世辞にも、奇麗だとも可愛らしいとも言えない、古くさいオルゴールだ。娘にオルゴールを手渡しながら、本当にこれでいいのかと尋ねた。


「もちろん! 今まで見つけたコースターを全部、この中に入れておこうかなと思ったの。なんだかパンドラの箱みたいじゃない?」


 娘は、コースターをオルゴールの中にしまった。そして、オルゴールを大事そうに抱え、居間を出ていった。


 娘が二階の部屋に戻ったのを確認して、白い鍵を取り出し、眺めた。鍵があるということは、例の『かがやく密箱』も近くにあるはず。おそらくここで、箱を探さないといけないのだろう。箱にたどり着くためには、次に起こることを予測して、行動する必要がある。


 今回の場面が、なんの変哲もない朝なのが気になった。白い鍵を見つけるための場面なのではと思ったのだが、場面が変わる様子はない。今までのパターンを考えれば、そのことは、ここでやるべきことが他にもあって、そのヒントがここにあることを示している。


 私は部屋を注意深く見回した。そして、壁にかかっている日めくりカレンダーに目が留まり、言葉を失った。


 今日って、ばあちゃんが亡くなった日じゃないの!


 私は、瞬時に自分のやるべきことを悟り、壁の鳩時計に目をやった。


「今なら間に合う!」


 テレビでもアナウンサーが今日の日付を言っていたし、日めくりカレンダーは目立つところにかかっていたのに、どうして気づかなかったのだろう。


 車の鍵とバッグをつかんで家を出ると、大急ぎで車に乗りこんだ。そして、世界がゆがんだ。

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