深海の羽衣〖伍ノ箱〗③
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目の前に、低い堤防と川が広がっている。ほんの数十メートル先は、海だ。潮のいい香りがする。
景色の見える高さと手の大きさから、今度のわたしは、七歳か八歳くらいのようだ。
「あ、ここにいたあ!」
見覚えのある数人の女の子が、こちらに向かって走ってくる。全員、近所に住んでいた子どもたちだ。
「ねえ、今日は何して遊ぶ?」
「かくれんぼしようか!」
「ゴム飛びがいいなあ。」
ああ、あの子は、洋服屋さんの子ね。こっちの子は……、そうそう、商店の子だわ。
キラキラした顔で話している子どもたちを懐かしい思いで眺めていると、男の人の声と犬の悲痛な声が、遠くから聞こえた。
……なるほど。この記憶なのね。
私は川の向こう側をキッとにらんだ。
対岸では、棒を持った三人の男が、一匹の犬を追い回している。男が振り下ろした棒が、犬をかすめて地面にめり込んだ。
「ねえ、あれって……。」
川の向こうで何が起こっているのか理解した子どもたちが、恐怖に震えている。両手で顔を覆い、耳をふさぎ、しゃがみこんだ。
「なんかあったのか。」
取り乱している女の子たちを見て心配になったのか、近所に住んでいた男の子たちがこちらにやってくる。私は、対岸を指さして叫んだ。
「あっちで、大人たちが犬をいじめているの!」
私は、堤防によじ登って仁王立ちすると、腕を組んで叫んだ。
「いい大人が、何してるのよ!」
そんな私に触発されたのか、男の子たちも堤防によじ登り、私と同じように腕を組むと、
「大人のくせに、弱い者いじめかよ!」
「そうだ、そうだ! ひきょうだぞ!」
と、口々に叫んだ。
声が届いたのか、対岸の男たちは動きを止めてこっちを見ると、何か叫んでいる。ガキのくせに、とか何とか聞こえたけれど、さっきまで目と耳をふさいでいた女の子たちまでも、ひきょうだ、とか、ヒドイ、とか、対岸の男たちに向かって口々に叫んでいるので、ほとんど聞こえなかった。
「ちょっと行ってくるわ。」
私は、堤防から下りると全力疾走で橋を渡った。
「待てよ!」
男の子たちが私の後を追って走ってくる。その後ろを、女の子たちも追って走ってきた。
全身全霊で走ってくる子どもたちの気迫が凄まじかったのだろう。男たちは棒を捨てると、後ずさりしながら逃げていった。
「わんちゃん、たおれてる!」
後ろのほうで、誰かがそう言った。私たちは、大急ぎで駆け寄って犬を囲んだ。
「大丈夫よ。生きているわ。」
私たちが走っている間に棒が命中してしまったのだろう。白い犬の背中には、うっすらと血がにじんでいる。犬はおびえた目で私たちを見た。逃げていった男たちへの怒りが、ふつふつと湧き上がる。
「だ……、だいじょうぶよ。」
私の後ろに隠れるように立っていた怖がりの女の子が、そっと話しかけた。他の子たちも、優しい言葉をかけている。
「オレ、じいちゃんに聞いてみるよ。オレん家で、手当てできるかもしんねえ。」
男たちに追われ、殴られ、心身ともに傷ついた犬は、子どもたちの優しさに触れ、安心したように目を閉じて眠りについた。
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