深海の羽衣〖伍ノ箱〗②


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 世界がゆがんだ。いつも通りの気持ち悪さをやりすごして目を開けると、再び、家の戸の前に立っていた。


 なんだか、三つ目の箱みたいね。


 そう思いながら戸を開けて中に入ると、台所に母が立っているのが見えた。ただいま、と声をかけながら母に近づき、母の手元をのぞきこんだ。思った通りだ。母は切れ味のよさそうな包丁を握り、まな板の上の元気な魚をさばこうとしている。


 私は、さっきと同じ言葉を母に投げかけた。


「ねえ、おかあちゃん。お腹を切ったら、いっぱい血が流れるよね。きっと、魚だって痛いよね。」


「何を言ってるんだい!」

 母は、魚を押さえつけたまま、私を見た。

「魚は、食われるために生きてるんだよ!」


 この言葉を聞いた幼い頃、さすがにそれは違うんじゃないかな……、と納得できないまま、母に意見することもなく過ごしてしまったが、今は違う。


 私は、冷ややかなまなざしで、母を見た。


「いくらなんでも、それは違うんじゃない? 人間が捕まえているだけで、人間に食われるために生きてるわけじゃないと思うよ。百歩譲って、この子が生簀いけすで育てられた養殖の魚なら人間が食べる目的で育てているんだから、その言い分も分かるわよ。でも、その子、漁で捕ってきた子じゃない。まず、その時点で、お母ちゃんの言葉は間違っているわ。そもそも養殖の魚だとしても、魚に言わせれば、人間に食われるのは嫌なはずよ。誰だって、死にたくないんだから。だから今だって、まな板の上で必死に抵抗しているんじゃないかしら。」


 そう言うと、私は魚を指さした。母の顔が怒りにゆがみ、私をにらみつけた。そして、母の口が開いた瞬間、世界がゆがんだ。

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