深海の羽衣〖深海の羽衣〗
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祖母の姿は、もうどこにもなかった。祖母は、天に帰ったのだろう。
私は、二冊の手帳を抱きしめて海に向かった。いつもの猫に声をかけ、テトラポットに腰を下ろして二冊の手帳を置いた。
「羽衣さん、そろそろ姿を見せてくれないかしら。私には、あなたの正体が分かっているの。」
あの古ぼけたギリシャ神話とセーラー服を着た、おさげ髪の少女を思い返した。
「あなたは『希望』なのでしょう。パンドラが世界に放った『期待』ではなく。期待は、自分から誰か、あるいは何かにかけるものだわ。だから、裏切られ、絶望する。でも希望は違う。希望は、心の中で光り続け、生きる糧となるわ。もしかしたら、蛍の光のように淡く、弱い光かもしれない。それよりも、期待が放つ光のほうがまぶしくて、そっちに気を取られるかもしれない。それでも希望は、心のずっと奥で、ひっそりと光り続けているのよね。羽衣さん、そうでしょう?」
突然、この世界から音が消えた。波の音も、海猫の鳴き声も、子どもたちの笑い声も。そして、二冊の手帳が白く透明な光を放ち、私を包みこんだ。
「よく頑張ったね。」
光の中で、祖母の声が響いた。姿は見えないけれど、私を抱きしめているのが分かる。
「ばあちゃん、たしかに、羽衣は空を飛ぶためのものじゃなかったわ。でも、空よりも、もっと素敵なところを飛ぶことができそうよ。」
祖母は、とても愉快そうに、そして、とても幸せそうに笑った。
「さあ、もう行きなさい。お前が守る宝から『羽衣』を奪ってはいけないからね。」
白い光は、一本のロープのように細くなり、上へ上へと伸びて、わたしを連れていく。昇るにつれて徐々に小さくなっていく祖母の声は、最後の歌を紡いだ。
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(ずっと傍にいたお前こそが、私の羽衣だったよ。
心の空を舞い、愛を伝える、まさに時の懸け橋だ)
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私は、浜辺で海を眺めていた。海底にいたはずなのに服はまったく濡れていない。そして、『深海の羽衣』というタイトルの、ずいぶんと古い藍色の本を抱きしめていた。
海に入る前に置いておいた腕時計が足元にある。私はそれを拾って腕につけ、時計のカレンダーを確認した。日付は海に潜った日のままだ。すべては幻だったのだろうか。あれは現実などではなく夢だったのだろうか。
私は、首をそっと横に振った。
「いいえ、そんなことはどうでもいいのよ。」
目の前には、幻ではない大きな夕日が、水平線を照らしている。今まで見てきたどの夕日よりも、美しく輝いて見えた。
そして、私は、帰りの列車に飛び乗った。
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