深海の羽衣〖天女〗①


 ある年の九月、母のように慕っていた祖母が、永遠の眠りについた──。



   ꧁꒰ঌ˙˚ 天女 ˚˙໒꒱꧂



 祖母の容態が急変した──。


 叔父から連絡があったのは、朝食を終えて、仕事着に着替えていたときだった。私は、慌てて会社に連絡し、車の鍵を乱暴につかむと、祖母が入院する病院へと車を走らせた。


 ✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼


 祖母が体調を崩して緊急入院をしたと連絡があったのは、ひと月前のことだ。そのときも私は、今日と同じように車を走らせていた。


 意識はあるだろうか、私のことが分かるだろうか、頭をよぎるのは、とにかく悪いことばかり。

 息を切らして病室に入ると、酸素マスクをつけた祖母が、私を見つけ嬉しそうに笑った。


「思ったより元気そうでよかった。緊急入院って聞いたから……。ごはん、ちゃんと食べてる?」


「看護婦さんも、ごはん食べてって言うんだけどね、のどを通らないんだよ。」


 祖母は、ほんの少し寂しそうで悲しそうな、でも、とても静かな微笑みをたたえた。


「もう少しで、お迎えが来るってことだねえ。」


 尊敬し、愛し、慕い続けた祖母との永遠の別れが近づいている。このときが、初めて《死》を近くに感じた瞬間だったように思う。


「あれあれ。泣かなくていいんだよ。おまえは本当に、しかたのない子だねえ。」


 祖母は、私をそっと抱きよせると、子守唄を歌ってくれた幼いころのように、私の頭をそっとなでた。


「いいかい? 人生は、死ぬまで勉強なんだ。」


 祖母は、その命が風前の灯火になった今も勉強し続けている。きっと、お迎えのその瞬間までも、学び続けるのだろうと、祖母の匂いに包まれながら、私は思った。


「でもね、死ぬ前に、おまえに言わなければならないことがあるの。」


 若いころを思わせる、よく通るまっすぐな声で、祖母は言った。そして、私の頭から手を離した。私は顔を上げ、祖母の目をまっすぐ見た。


「おまえは、『天女』なんだ。」


 あまりに唐突な祖母の言葉は、私から思考を奪ってしまった。このときの私の目は、白黒していたに違いない。そんな私を見て、祖母はふふふと笑った。


「驚くのも無理のないことだけれど、本当なんだよ。おまえは、『天女』なんだ。」


 祖母は、引き出しに手を伸ばし、着物のはぎれで作った巾着袋きんちゃくぶくろを中から取り出した。そして、袋をもてあそびながら、祖母は昔話を始めた。


「昔々、ひとりの美しい天女が、人間の世界におりてきました。天女は、海辺を歩くのが好きでした。」


 それは、私が幼いころに祖母が話してくれた寝物語だった。私は今でも、この物語をはっきりと覚えている。しかし今、祖母があえてこの話をしているということは、きっと、何か意味があるのだろう。

 私は、幼いころに聞いたときとは違う思いで、祖母の物語に耳を傾けた。

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