パンドラの記憶
福子
パンドラの記憶【図書館】
わたしは活字が苦手だ。だから、本など読まないし、興味もなかった。
娘はわたしと違い、本とともに成長したと言っていい。娘が幼かったころ、ご本を読んでと、何度も何度もせがまれたものだ。ためしに文字を教えてみたら、自分でどんどん本を読むようになった。
成長した娘は作家になった。それがきっかけで、わたしは本を読むようになった。そして、この年齢になって、本の面白さが少しずつ分かるようになった。
本は世界のカケラだと思うと、わたしは娘に言った。
「図書館に行くといいよ。いろんな、世界のカケラと出会えるから。」
娘のアドバイスで図書館を訪れたときの感動は忘れられない。地元の小さな図書館だけれど、ひっそりと棚に収められている一冊一冊に、それぞれの物語があるのだと思うと、胸が震えた。
今は、仕事帰りに本を借りるのが、週に一度の楽しみとなっている。読むのは遅いので、借りるのは一冊だけ。それでも、今までになかった世界が広がるのは、会社と自宅の往復しか知らないわたしにとって、とても新鮮だった。
今日は金曜日だ。わたしは、前の週に借りた本を持って、会社帰りに図書館に立ち寄った。
先週の借りた本は、サスペンスだった。内容は、ありがちかなと思ったけれど、密室のトリックが素晴らしく、犯人の心理も読み手に伝わりやすいものだった。
今日は、どんな本との出会いがあるのだろう。
窓口の女性に本を手渡した。こざっぱりとした服装の若い女性は、はにかんだような微笑みを浮かべた。
「こんにちは。今日も借りられるのですか?」
「ええ。週末の楽しみなの。」
少しだけ世間話をして、わたしは、書棚に向かった。
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この図書館で、他の住民と会ったことがない。そもそも、ここを利用する人はそれほど多くないのだろう。日々の生活に追われて、本を読む心の余裕なんてないのかもしれない。わたしがそうだった。
掃除の行き届いた書棚をひとつずつ見てまわる。おもしろそうな本を見つけると、バッグから白い手帳を取り出して、読んだことがあるかどうか確認した。
手帳には、これまで読んだ本のタイトルと作者の名前、内容を思い出せるように、印象に残った言葉などが書きこまれている。前に読んだものをもう一度読むのもいいのだけれど、できれば、いろんな本を読みたい。わたしは、ひとつひとつ確かめながら本を選んだ。
「これは……、ああ、先月読んだわ。こっちは……、ああ、先々週だったわね。──あら?」
一冊ずつ確認しながら歩いていると、濃い藍色の本が目に留まった。人差し指で、スッと取り出してみると、布張りの表紙はすり切れていて、紙も色あせている。かなり古い本のようだ。
「えーっと……、『深海の羽衣』……かしら。作者は、……読めないわね。……子? 女性かしら。」
本を開いてみると、古い書体で書かれている。
「なんだか難しそうだわ。わたしには、まだ早いわね、きっと。もう少し本に慣れたらにしましょう。」
本を棚に戻して、他の本を探し始めたけれど、どうしてもあの本が頭から離れない。あの藍色の本が、わたしの頭の中でどんどん膨れあがった。
「……やっぱり、読もう。」
わたしは、藍色の古ぼけた本を手に取ると、受付で手続きをした。
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自宅に帰って、今のテーブルに借りた本を置いた。そして、手帳を開き、今日の日付の欄にタイトルを書きこんだ。
手帳が必要な仕事をしているわけではないから手帳なんて持ったこともないのだけれど、娘が自分の色違いの手帳をプレゼントしてくれた。せっかく読書するのだから、読んだ本を書き留めるといいよと、本好きの娘らしいプレゼントとアドバイスを、遠慮なく受け取ったのだ。
娘は、新作を書いていて、書斎に籠っている。夕飯の時間にならないと、出てこないだろう。それまで、少し時間がある。
「ちょっと読んでみようかしら……。」
いつもなら、夕飯が済んでから読み始めるのだけれど、どうしても、はやる気持ちが抑えられなかった。
わたしは、ちょっとだけだからと自分に言い聞かせ、本を開いた。
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