深海の羽衣〖陸ノ箱〗②
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場面が変わって、私は、小学校へと続く長い長い上り坂の入口に立ち、頂上を見上げていた。今回は小学五年生だろう。自分の姿を確認するまでもない。この坂に関係のある記憶は、たった一つ。あの日、ここで気絶した事件だけだ。
当時の私は、体が弱くて学校を休むことが多かった。だから学校に行ける日は、できれば行きたいと思っていたのだが、当時の担任はそんな気持ちをぶち壊すような人だった。体調が悪いので体育を休みたいと言っても、怠けていると決めつけるような人だった。
私だけではなかったはずだ。
おそらく他の児童たちのことも、偏見の塊でアレコレと難癖つけていたに違いない。そういえば、同級生の男の子が、あの担任と取っ組み合いのケンカをしたことがあった。彼はガキ大将だったけれど、弱い者いじめを最も嫌う、正義感あふれる少年だった。そんな彼が、担任に突進していったのだ。よほど、腹に据えかねた何かがあったのだろう。
もちろん、ここで倒れた理由は、あの担任がいる教室に行きたくなかっただけじゃない。それなら、学校に行かなければいいだけだ。
当時、たとえ微熱であっても高熱でなければ、学校や仕事を休まないという考えが当たり前だった。もちろん、大人になった今の私は、間違った考えだと理解しているけれど、当時はそういう風潮だった。だから、体調が悪いと家族に訴えても、熱がないんだから学校に行きなさいと言われて、なかば追い出されるように家を出たのだ。
学校には行きたくないけれど家にも帰れない、前の門には虎、後ろの門には狼がいるような、追い詰められた心がピークになったとき、自分を守るために、心は、気絶という方法を選んだのだろう。
その後、母が学校に直談判をしたところ、別の教員が担任になっていた。
「毒を以て毒を制す、ってやつかしらね。」
坂を上がれば、あの担任がいるのだろう。せっかくだから、何か一言ぶつけてやろうかとも思ったけれど、回れ右をして海に向かった。
文字通りのズル休みだ。
ルールが絶対だった自分が、こんな行動に出るなんて考えられないことだけれど、これだって、自分の心と体を守る方法の一つだ。どう考えても、道路のど真ん中で気絶して倒れるほうが、精神的にも肉体的にも負担がかかっている。
文字通り逃亡することだって、時には必要なのだ。
いつものテトラポットに腰を下ろし、あぐらを組んだ。そして、スカートのポケットに手をつっこみ、巾着袋を取り出した。
「あら? これ、何かしら。」
巾着袋に、記憶の箱の鍵ではないものが入っている。袋の中には見当たらないけれど、固くて小さいものの感触だけはある。どうやら、生地と生地の間に隠されているようだ。巾着を裏返しにすると、パッチワークかワッペンのような小さい生地が軽く縫い付けられているのが見えた。
「これ、縫い直しているわね。他の糸より新しいわ。」
迷わず糸をほどいて生地を外した。そして中から、和紙に包まれた『小さな何か』を取り出すと、和紙を丁寧に開いた。中に入っていたのは、黒光りする鍵だった。
「何か書いてあるわ。」
鍵を包んでいた和紙には、短歌のようなものが書かれてある。
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耐へ難き夢は現か
ぬばたまの闇箱と鍵 君をば助く
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ずいぶん古い短歌……、違う、和歌だ。意味はよく解らないけれど、どうやらもう一つ箱があるらしいことは、理解できた。
鍵を包み直し、巾着にしまったところで、記憶の箱が姿を現した。
私は、少しためらったけれど、いつも通り鍵を記憶の箱に差し込んだ。
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