深海の羽衣〖捌ノ箱〗④


「あれは何だい。ぶつからないように干せないの!」


「……なんのこと?」


 母が言っているのは、居間に干してある洗濯物のことだろう。しかし今回、私には干した記憶がない。


「洗濯したのは、ばあちゃんだよ。」


 母の背後から、声が聞こえた。祖母が、母をまっすぐ見て立っている。


「この子、お腹に赤ちゃんがいるのに朝から晩まで働かされたせいで、風邪を引いちまったんだよ。まさか、寝ていれば腹が大きくなるから、ゴム手袋をはめてでもやれ、なんて、言わないだろうね。」


「そ、そんなこと、言うわけないじゃないか!」


 母の目が泳いだ。そして、フンッと鼻を鳴らし、部屋を出ていった。

 私は、ゴクリと唾をのんで祖母を見た。祖母が言った言葉は、あのとき母が実際に言ったものだ。


「大丈夫かい。すまないねえ。」


 祖母は申し訳なさそうに言うと、私の頬を撫で、


「さ、もう少しお休み。」

 と、微笑んだ。

 私は、祖母にうながされるままに、布団に横になって目を閉じた。


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 ねんねんころりと祖母の声 夢の世界へ導いて

 布団の中で ばあちゃんと あんよとあんよくっつける

 温もり伝わる肌と肌 優しい歌声 子守唄

 ねえねえ今日も唄ってよ ついつい甘えて くちづける

 ずっとこのまま この時を 失いたくない たからもの

 ねんねんころりと 鍵かけて 箱にしまった 永遠とわの夢


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 遠のいていく意識の中で、子守唄が聞こえた。そして、ああ、やっと……、という、祖母の声が響いて意識を失った。



 目覚めると、祖母の姿も母の姿もなかった。枕元には、記憶の箱とオレンジの手帳が置いてある。

 祖母の不可解な行動の意味するところが、少しずつ分かってきた気がする。それが明らかになるとき、羽衣にたどり着くのだろう。


 記憶の箱とオレンジの手帳を手に取った。箱をひざの上に置くと、手帳を開いた。思った通りだ。短歌が書かれている。



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 初孫ができたと喜ぶ

        母親の笑顔見られぬこの身の定め


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「一緒に、喜んで欲しかった……。」


 私は、手帳を閉じると、記憶の箱に鍵を差しこんだ。

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