第38話やるべきことはダウンヒル

「榛原さん……?」

「いやーん! 気持ち悪いー! 世間様から現役JKグラビアクイーンって言われて何万人ものオスを興奮させてる九十二センチのGカップという爆乳にヒルがついて私の血を抜こうとしてるの! 私、抜かせるのには慣れてるけど抜かれるのは得意じゃないの! 界人君、取ってくれるよね!?」

「ぬ、抜かせるって……!」




 榛原アリスが媚びるような視線で見てきて、同時に東山みなみの顔が一層赤くなった。なんだかよくわからない状況である。


 抜かせる、抜かれる……何のことだろう。榛原アリスはヤマビルのように人の生き血でも啜る趣味があるのだろうか。


 この人、見た目は美しいのに怖ッ……榛原アリスという人への脅威評価を改めなければならないなと思っていると、榛原アリスが巨大な胸を両肘で寄せ、媚びるような目で界人を見つめた。




「界人君、取って? この国宝級の爆乳からヒル取って、ね?」

「え? あ、ああ。わかった、ちょっと待ってて」

「いやーん! 私、今からクラスメイトの男子におっぱい触られちゃうんだ! 事務所に怒られちゃう! 東山さんと界人君が今なんかちょっといい感じになってたのに邪魔しちゃうんだ! 私って罪な女――!」

「は、榛原さん――!」

「よーし、ヤマビルめ。さっきは勘弁してやったがもう許さないぞ。喰らえ!」




 そう言って、界人は木の葉に包んだ塩を取り出し、榛原アリスの胸元に引っ付いたヤマビルにパラパラとふりかけた。




 えっ? と信じられないぐらい冷たい声と表情で、榛原アリスが界人を見つめた。




 途端に――塩をかけられたヤマビルが痙攣した。


 苦しむように身を悶えさせ、小さく丸くなったヤマビルが――やがて力尽きたように榛原アリスの胸元からコロリという感じで落ちた。




「よし、退治したぞ。榛原さん、よかったな」




 ニッコリと笑いかけたのに、一方の榛原アリスが焦点の合わない視線で界人を見つめた。




「は――? 何よ今の?」

「ふふん、すごいだろ? 塩はヤマビル退治の特効薬なんだぜ。ヤマビルは身体の殆どが水分だから、水分を奪う塩は劇薬なんだ。爺ちゃんもよくこうやってヤマビルを取ってくれたんだ。蒸留した時に手に入った奴を持ってきてよかったよ」




 ニコニコと説明すると、榛原アリスが何故なのか頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。




「え、榛原さん――?」

「塩対応、文字通りの塩対応かよ……! 私にだけ甘いんじゃないのかよ……!!」




 榛原アリスは頭を抱えたまま、何事かブツクサと呪いの言葉を吐き始めた。




「こっちは大事な商売道具にヒルまで乗せたんだぜ……! フルスイングでぶち壊しかよ……! どんな伝説のバッターなんだよ八代界人……! ここまで塩対応だと自信なくすよ……!」

「え、え、なんか俺またやっちゃったか? なんだ伝説のバッタって? イナゴ?」

「ほらほら、こいつはこういう奴なんだよ……! ……ああもうダメだ、本格的に自信なくなった。私なんかグラビアクイーンじゃない。貧乳です、物凄い貧乳JKです。突き出すどころか胸板がえぐれてます、はい」

「はっ、榛原さん、仮にも男の子の前であんまりはしたないことは……!」

「へへ、笑ってよ東山さん。私、ちょっとおっぱいデカいぐらいで激しく調子乗ってたんだ。おっぱいなんて所詮脂肪の塊じゃん。スーパーで無料で配ってる牛脂みたいなもんじゃん。こんなのになんの価値があるってんだよ、バカバカしい……」




 榛原アリスは何かに絶望したかのようにそんなことを呟いている。


 それを見て、自分はまた何かを間違ったのだろうことはわかったが、これにいちいち困っていたのでは話が進まないのも流石に界人にもわかってきていた。




 やれやれ、相変わらず女の子はよくわからんなぁなどと頭を掻いていると――ふと、ふわりと森に風が吹き込み、界人の鼻が何かの匂いを察知した。


 これは――あの十数年を暮らした山の中で何度も嗅いだ匂い。


 その中に様々な生物の生き死にを内包した、生臭いような香り。


 人間が生きていく上では欠かすことの出来ないものの香りだった。




「あ――!」

「うぇ? どうしたの界人君? 今更対応の間違いに気づいた?」

「水だ! 今一瞬、風に乗って水の匂いがした! 多分、川が近くにあるな!」

「え、えぇ……!? 水の匂いってなんですか!? 八代君ってどんな嗅覚してるんですか!?」

「え? 東山さんはわからないか?」




 あっけらかんと言って界人が東山みなみを見つめると、東山みなみは二つ結びを揺らして小首を傾げ「?」のポーズになる。




「み、水の匂い、って……? 例えば塩素の匂いとか、カルキ臭とか?」

「あぁ、あの蛇口から出る薬みたいな臭いな。アレじゃないアレじゃない。生水の臭いだよ。なんというか、生臭い感じというか……」

「生臭い!? その水って飲んでも大丈夫なんですかね!?」

「あぁ、大丈夫だよ東山さん。中流や下流域の川水はともかく、山の水はほぼ湧き水だ。地表に出たばかりだから寄生虫なんかも少ないんだ。飲んでも安心だよ」




 安心させるように説明すると、はっと何かに気づいたような表情になった東山みなみが、「そ、そうですよね」と頷き、なんだか小さくなって顔を俯けた。




「そうですよね。八代君って凄く頼りになるし、男らしい人だから……私たちに嘘なんか言うはずないですもんね……」




 蚊の鳴くような声でそんなことを言った東山みなみの小さな顔が、ぽーっという感じで再び桜色になり、右手を口元に添えて押し黙ってしまう。


 さっきからこの人、なんか変だな……界人が東山みなみの変化に戸惑っていた、そのときだった。




「いやーん! 今度は制服のスカートが木の枝に引っかかっちゃった! このままだとスカート剥ぎ取られちゃう! 界人君、取って取って!」




 再びの猫撫で声に榛原アリスを見ると、榛原アリスがそこらの木の枝にスカートの先っぽを引っ掛け、ゆさゆさと巨大な胸を揺さぶりながら界人を凝視していた。




 流石に――これには驚きを通り越して不気味さを感じた。


 この人、この状況下で何を遊んでるんだろう? 


 そういう遊びがあるのだろうか?


 結局、界人にはその真意がわからず、勇気を出して訊ねてみることにした。




「――榛原さん。ゴメン、それは何やってるの……?」

「あっ、なんか、引っかかった! ……界人君、取ってくれるよね? スカートが引っかかったこのままじゃ移動できないじゃん? 取ってくれるのが男の子じゃん?」

「い、いや、自分で取れるよね? っていうかそれ、明らかに自分で引っ掛けてない……?」

「はっ、榛原さん! それTikTokで一昔前に流行った奴じゃ……!」

「東山さんは黙っとれ。これは女の誇りを賭けた戦いなんだ」




 榛原アリスの低い声に、東山みなみがひっと声を上げて口を閉じた。




「ねぇ界人君! 今の私めっちゃ可哀想じゃない!? 制服のスカートが引っかかって動けないんだよ!? もしかしたら未来永劫この場所から移動できずにホネになっちゃうかもなんだよ!? 取ってくれないと泣くぞ!」

「い、いや、ごめん、言われてる意味がよく……」

「いいから! 考えなくていいから! 木の枝に引っかかったスカート取ってくれればいいの!」

「う、うん、とにかく……取ればいいのか?」

「取ればいい!」




 断固とした口調に、界人も流石にこれはそういうものなのだと思うことにした。


 木の枝に引っかかった、否、引っかけられた榛原アリスの制服のスカートを取ってやると、にまーっ、という感じで、榛原アリスが満面の笑みを湛えた。




「……何?」

「さっすが。界人君、優しいじゃん」

「え、何……?」

「いいの。界人君は優しいってことが改めてわかっただけだから。そうだよね、界人君は東山さんだけじゃなく、ちゃんと私にも優しいんだもんね――?」




 最後の言葉は、意味深な視線とともに東山みなみに向けられた。


 東山みなみが、その視線を真正面から受け止め、少し怯えたようにたじろいだ。




「え、何? 榛原さん、今なにしたの?」

「いいからいいから。ささ、水源の確保、でしょ? 川に行かなきゃ川に!」




 榛原アリスがなんだか物凄く上機嫌な声でそう言い、ぐいぐいと界人の背中を押した。


 それに尻を叩かれるようにして、界人はよくわからない気持ちとともに森の中を歩き始めた。



◆◆◆



【VS】

!!!!!!!!新作連載始めました!!!!!!!!


『幼馴染の四姉妹が俺にキス一回の「課金」で雑用を押しつけてくるんだけど、なんかだんだん重課金になってきる気がする件 ~やがて廃課金へと至るラブコメ~』

https://kakuyomu.jp/works/16817330663752101726

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