第25話やるべきことは危機の察知

「……よし、こんなもんだな」




 血抜きを終えたウサギ二匹を前に、界人は満足した。流石に女の子の前でウサギを締めるのはよくないと考えてこの場で作業したが、砂浜を経ってからまだ二時間も経っていないだろう。短い時間にしては上等な結果と言えた。


 しかし――この島の野生動物は思った以上に数が多く、そして警戒心が薄い。本来ウサギなどというものは天敵だらけの生き物であり、人の姿を見るどころか物音ひとつで一斉に逃げ出すものだが、この島はそうではないらしい。捕る気になれば根こそぎ捕れそうだ。




 これで今日の昼食ぐらいまでは確保できたな――。


 その思いと共にウサギを見下ろした界人は、砂浜で首を長くして帰りを待っているだろう榛原アリスの顔を思い浮かべ、少し不安にかられた。




「榛原さん、喜んでくれるかなぁ」




 女の子という生き物を殆ど知らない界人にとっては、こんな血だらけのウサギを持って帰ってどう思われるかは不安なことであった。


 第一、女の子というものは可愛いものが好きであるらしいし、ウサギは界人が見ても可愛いと思える動物だ。


 そんなウサギの皮を剥いで食べるなんて、と言われたらどうしよう。明日から口を利いてもらえなくなったらどうしよう。




 榛原アリスに嫌われたくない――そんな思いが、何も知らない界人の中にも着実に芽生え始めていた。


 何しろ、人生で初めてまともに会話ができるようになった祖父以外の人間である。榛原アリスが女の子であるとか美少女であるとかいう以上に、その事実が重要だった。


 界人が罠なんかでウサギを獲ってくると、祖父はこれ以上なく喜んで褒めてくれたが、それはあくまで相手が祖父であったからであろう。


 ただでさえグラビアクイーンなどと呼ばれ、様々な贈り物も受け取っているのだろう榛原アリスが、こんな血だらけのウサギを見て喜んでくれるかどうか、それがわからない。


 何しろ自分は生まれて初めて見た動くものを親だと思うカルガモの雛のように、榛原アリスという存在から女の子という生き物を学んでいるのである。


 もし榛原アリスに嫌われてしまったら――界人はおそらくもう一生、女の子というものが理解できなくなってしまうだろう。




 どうしよう、さっきは勢いに任せて二匹も獲ってしまったが、やっぱりバナナやマンゴーなんかの果物か何かを探すべきだろうか……。




 考え込んでいた界人の鼻に、異様な臭いが届いたのはその時だった。




 ん? と立ち上がって、臭いのした方に視線を移すと――何かが、地面に横たわっている。




「これは……」




 界人が歩み寄ると、物凄い腐臭が辺りに立ち込めていた。




「シカの――死骸か?」




 ノウサギぐらいならまだわかるが、シカがいるとは驚いた。家畜ではないシカは人間が持ち込んだりしないはずだから、やはりこの島は余程の規模を持った島だと思われた。


 だが――真に驚くべきはその死骸の有様だった。




 何しろ、そのシカは殆どの肉が食い荒らされ、肋骨と背骨が陽に照らされて凄まじい色に腐敗していた。


 毛が辺りに散乱し、シカはまるで白い羽毛ベッドの真ん中に横たわっているように見えた。




 ざわざわ……と、界人の肌が奇妙な予感にざわついた。




「そんなわけない、だろ……」




 これは――この死骸は明らかに、喰われている。


 大型の肉食獣など生息できるわけがないこの孤島に、シカを喰らうような肉食獣が生息している。




 常人ならばなんとも思わないだろうその事実だが――界人にとっては恐怖でしかなかった。




 日本に生息する大型の獣といえば、ヒグマ、ツキノワグマ、イノシシなどだが、そのうちツキノワグマとイノシシは極めて草食性が強い雑食で、滅多に肉など喰わない。


 事実、界人が山暮らしをしていた十数年間でも、雪崩に巻き込まれたカモシカの死骸がちょっと齧られていたぐらいで、祖父が狩ったクマの胃袋の中からごっそり毛が出てくるようなことは――滅多になかった。ましてやクマやイノシシが生きている動物を襲って喰らうことなど、まず有り得ないと断言していいと思う。


 さらに、ツキノワグマは東日本に偏重して生息する動物であり、九州では既に絶滅、四国でも絶滅がほぼ確実視されている動物である。鹿児島以南の、それも孤島に生息しているわけがないし、数十キロの海を泳いで渡来してこれるわけもない。




 ならば――このシカを喰らったものは、一体何者であるのか。




 ざわざわ……と、不快な予感に皮膚が粟立った。


 今まで平和な離れ小島だとばかり思っていたこの島が、急に酸鼻極まる弱肉強食の庭に変貌したような気がした。




 このシカがどのような末路を迎えたのか、確かめる方法をひとつだけ思いついた。


 界人は息を大きく吸い込み、腐臭に耐えながら、シカの頸部を検めた。




 ごっそりと肉が失われ、脛骨が露出した部分に――有り得ない傷がある。


 500円玉大の穴――つまり、牙の痕。

 このシカが何者かに頸部を噛まれて即死したことを示す傷。


 このシカを喰らったものが野犬の群れなどではないことを示す傷だった。




 途端に――不意に、森の空気が変わった。


 鳥たちの囀りが止み、代わりに、ゴフッ、ゴフッ……という物騒な呼吸音が背後に聞こえた気がした。




 界人は慎重にサバイバルナイフの鞘を払った。




 山刀ひとつで獣に立ち向かえるなどとは絶対に思うな、山の中で刃物を護身用として用いるのは愚の骨頂だ。

 たとえ鉄砲を持っていても真正面から飛び掛かられたら絶対に敵わないのだから――。




 祖父が普段から口を酸っぱくしていた教えが頭の中でこだましたが、やるしかない。


 いざとなったら爪も牙も持たぬ人間は、このちっぽけな刃に命を預けるしかない。




 背後に迫った気配が一層大きくなり――界人は覚悟を決めて背後を振り返った。




 途端に、草原の向こうの藪が爆発するように割れ、その中から飛び出して来た赤茶色の獣――。




 界人が初めて出会う、そして生涯遭うことは有り得ないと信じていた獣。


 こんな南国の島嶼部に、それどころか北海道以南には絶対に生息しているわけがない存在。




 狂いじみた巨体の猛獣――エゾヒグマが、涎を吹き散らしながら界人に襲いかかってきていた。




◆◆◆




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