第26話やるべきことは格闘

「うおおおおおおああああああああああああッッッツ!!!」




 界人は身体を大きく開き、渾身の大声で威嚇してみるが、エゾヒグマはその巨体に見合わぬ速度でまっすぐに向かってくる。


 明らかに、界人を貴重な餌を横取りしようとする盗人だと見做しているらしいヒグマは、桃色の舌を振り回しながら突進してきた。


 


 ツキノワグマに襲いかかられたことなら、何度もある。


 だがその場合、ツキノワグマは飛びかかる寸前で方向を変えて逃げ去る――つまり威嚇のために迫ってくる場合がほとんどで、界人自身も金太郎のようにクマと相撲を取ったことはない。


 だが――この赤毛の巨体の両眼には、そのときのツキノワグマのような怯えの色はない。


 明らかに界人を敵、もしくは餌として認識している腥さが湛えられていた。




 咄嗟に、界人は横飛びで突進を躱した。


 突進を躱されたエゾヒグマは慌てたように巨体に急制動を掛け、不機嫌な唸り声を上げる。




「冗談だろ……!? こんな化け物、誰が持ち込んだんだ……!!」




 界人は赤毛の巨体に思わず話しかけた。


 これは――いくら日本最大級の猛獣と言っても限度があるような巨体だった。


 ツキノワグマが最大で200kg程度になるのに対し、目の前のヒグマはどう見ても3・400kgはあり、夏痩せの影響も感じさせずにまるまると肥え太っている。


 この南国の島では冬眠の必要などないのはわかるが、よほど餌が豊富であるのか、巨体には生気と殺気が満ち満ちていて、どう見てもタダでは帰してくれそうにない。




「信じられねぇ……! ヒグマなんてこんなところに絶対にいるわけない、いるわけないのに……!」




 界人が混乱する間にも、ヒグマは次の動作に入った。ぶわんと赤毛を揺らして踏み込むや、数メートルの距離を一気に詰め、界人にのしかかった。


 爪を掛けられなかったのは不幸中の幸いだった。背骨がへし折れそうな勢いで地面に組み敷かれつつも、界人は死にもの狂いでヒグマを蹴りつける。


 クマは涎を散らしながら界人の頸部を狙って噛みつこうとするが、界人が盾のように構えたサバイバルナイフに邪魔されて上手く行かない。




 これ以上格闘を続ければ絶対に殺られる。


 愚の骨頂だろうがなんだろうが、殺られる前に殺るしかない。


 人間という獣に戻り、この巨体と命のやり取りをする他ない。


 界人は覚悟を決め、右手に握ったサバイバルナイフを必死になって逆手に持ち替えた。




 狙うべきは、この狂いじみた巨体で唯一無防備な器官――この小玉のような目しかない。


 界人の顔面を爪で引き裂こうとしたらしいヒグマが前足を上げるのと同時に拘束が緩み、界人は歯を食いしばった。




「うおおおおおおおおおおッッッツ!!」




 ドカッ! という感覚とともに、サバイバルナイフの刃がヒグマの左目を深々と刺し貫いた。


 ダメ押しで界人は渾身の力で握り締めたサバイバルナイフのグリップにひねるような動きを与え、ヒグマの頭蓋骨内を掻き回すように引き回した。




 ヒグマが絶叫し、ぶるんと頭を振り回した。


 それでも絶対に離すもんかとサバイバルナイフの柄に両手で齧り付くと――ヒグマが身を捩り、それとともにサバイバルナイフの刃がズルリと抜けた。




 深手を負ったヒグマは界人から離れて首を振り回し、夥しい量の血を飛び散らせながら粗い息をついている。


 界人はありったけの殺気と怒気を込めてサバイバルナイフの鋒をヒグマに向けた。




「俺はここで死ぬわけには行かない――! 失せろ、この野郎ッ!!」




 精一杯の啖呵を切ると、ヒグマはぶるんと身を揺すり、這々の体で逃走を開始した。草原に点々と血の跡を残しながら、その巨体が藪の向こうに消えたところで――界人の全身から力が抜けた。




 思わず、がっくりと地面に膝をついて、呼吸を整えようと躍起になる。


 しばらくして呼吸が落ち着いてくると――不意に、強い痛みが肩口に走った。




◆◆◆




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