第6話やるべきことは水の確保
「界人君、こんなのでいいかな?」
界人が着々と準備を進めていた時、榛原アリスが戻ってきた。
その手には指定通り、少し錆びている以外はほぼ新品に近い一斗缶がある。
「おお、まさにそれが欲しかったんだ。……ちょっと貸してくれるか?」
榛原アリスの手から一斗缶を受け取った界人は、鼻先を蓋に近づけ、慎重に匂いを嗅いだ。
シンナーのような揮発性の刺激臭はせず、代わりに、サラダ油の匂いがした。しめた、どこかの船が食用油を入れていたらしい、安全性の高い缶だ。
「……よし、想定以上にバッチリだ。ありがとう、榛原さん」
「界人君、こんなんでどうやって水を蒸留するの? やったことあるの?」
「やったことはないけれど、大体の理屈がわかってれば再現は出来る、と思う」
界人にはその自信があった。祖父がよく言っていた。野生で生き抜くために必要なのは必ずしも経験ではない、あるものを組み合わせて新しい道具や発想を生み出す発想力や柔軟性――つまり、インスピレーションなのだと。
「要するに、煮沸した蒸気を冷やして水に戻す、それが蒸留だ。冷却には水を使ったりするのが常道だけど、それだと得られる水が少なさ過ぎると思う。そこでこれを使う」
界人は先程近くで拾ったダクトホースを示した。ダクトホースは、先端を一メートル程度残して、ほぼ全体が界人によって砂浜に埋められている。
すっかりと埋められたダクトホースを見て、榛原アリスが困惑顔を浮かべる。
「そのホース……どうして砂浜に埋めちゃったの?」
「砂浜は意外に熱伝導が悪いんだ。陽に炙られてる表面より少し下はかなりひんやりとしてる。熱い砂浜も少し足を潜らせれば快適に歩けるものなんだけど――今回はそれを利用する」
「どうやって?」
「まぁ見てなって」
界人は一斗缶を海水で丁寧に洗ってから、中に水を半分ほど入れた。一斗は約十八リットル、半分で九リットルとなる。榛原アリスと二人で飲むとして、この暑気で水の消費が早まるとしても一日六~七リットルぐらいであろうから、一回の蒸留で十分過ぎる水が得られるだろう。
次に界人は、砂浜の周辺から調達した石で作った即席の竈の上に一斗缶を置いた。その口にダクトホースを差し込み、海水で濡らしたボロ布を巻き付けて隙間をパッキングする。
後は――微妙に傾斜をつけて埋めたホースの出口に、これまた漂流物の4リットルペットボトルを差し込めば――準備完了である。
「よし、出来たぞ。後は下から火を炊いて海水を蒸発させれば……」
慎重に慎重に、界人は火を大きくしてゆく。
それに比例して、一斗缶の中がボコボコと騒がしくなる音がした。
祈るような気持ちで竈から離れ、埋められたホースの先端の前にしゃがみ込むと――来た。最初の一滴が、ぽたりとペットボトルの中に落ちた。
榛原アリスが目を丸くした。
「界人君――!」
「いいや、まだまだこんなもんじゃないはず。俺の計算ならもっともっと大量に――!」
界人はそう言い、固唾を飲んでホースの先端を見つめた。
ぽたり、と落ちた水滴は数秒ごとに勢いを増し、ついに一筋の流れになった。それだけにはとどまらず、砂浜によって急速に冷やされた蒸気はどんどんと水滴へと変わり、最終的にはじょろじょろと音を立ててペットボトルにたまり始めた。
「すっ、凄い! こんなのほとんど蛇口みたい! やったね界人君!」
「あぁ、これなら一日分の水の確保はすぐだな。煮沸も出来て一石二鳥だ。やれやれ、上手く行ってよかったよ――」
思わず笑みをこぼすと、おっ、と榛原アリスが声を上げた。
ん? と榛原アリスを見ると、榛原アリスが少し得意げに笑った。
「界人君、初めて笑ったね」
「え?」
「笑ってるところ、初めて見た。しかも凄いイキイキしてるじゃん。元々結構涼しい顔立ちしてんだからさ、笑ってた方がいいよ、界人君は」
そう言って、榛原アリスはますます笑みを深くした。その一言に、界人は己の顔を触ってみた。
ああ、確かに笑っているらしい――口元がいつもより緩んでいる、気がする。自分でも新鮮な気持ちで顔を撫でていると、榛原アリスがケラケラと笑った。
笑ってから――あ、と榛原アリスはやおらなにかに気がついた表情になった。
「あ!」
「え?」
「そ、そうだ、すっかり忘れてた! 私のスマホ――!」
随分慌てた様子で、榛原アリスは焚き火の近くに広げてあった己のブレザーに駆け寄り、内ポケットに手を突っ込んだ。
しばらく、ポケットから取り出したスマホを見つめた榛原アリスは、あああ、という悲惨な声を上げた。
「やっぱり、海水に浸かったせいで壊れちゃった……」
そう言って、半泣きで榛原アリスは真っ黒な画面を界人に見せてきた。
◆◆◆
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