第12話やるべきことは温めること
砂浜は――耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。
波の音、風の音はするものの、それの一切に人工の音がしないのである。
それがこんなにも静かなことであるとは知らなかった。否――忘れていた。
自分の鼓動の音、呼吸の音、久しぶりに聞いたな――と界人が思っていると、ふと、ぽつりと榛原アリスが言った。
「言っとくけど」
「え?」
「これ、滅茶苦茶特別なことなんだからね」
「と、特別?」
「そう。女の子にとってはね、男の子と二人きりで星を見るってことは、物凄く特別なことなの」
榛原アリスはそう言いつつも、こちらを見ようとすらしない。
話しかけてもいい雰囲気ではあるので、界人は重ねて問うた。
「そうなの?」
「そうだよ」
「どれぐらい特別なこと?」
「ああもう――なんでそんな事聞くの。それに答えるのも恥ずかしいぐらい特別、って言えばいい?」
「あ――そうなんだ。ごめんな、妙なこと聞いて」
「本当だよ」
ぶうっ、と、榛原アリスが頬を膨らませてから、再び沈黙した。
「学園のみんな、やっぱり大勢、死んじゃったんだろうね」
不意に――榛原アリスがそんな事を言い、弛緩していた精神に緊張の針が突き立った。
どう返答しようか迷って――結局界人は沈黙することを選んだ。
「これでもさ、仲のいい子たちだっていっぱいいたんだよ? 毎日話しかけてきてくれる子、一緒にお弁当食べてた子、新しいグラビアが載る度に雑誌を買ってくれてた男の子、私のことを好きだって言ってくれた男の子――」
指折り数えるように言って、榛原アリスは膝頭に顔を埋めた。
「みんな、みんな、いい人たちだったのに……死んじゃったのかな」
ずっと、ずっと、榛原アリスはそれを言い出したかったのだろうことは、幾らなんでも界人にもわかった。
死――普通に街で生活している限りでは、決して身近ではない運命。その運命が降り掛かって来るとしても――あの事故はあまりにも唐突すぎた。
ぐすっ、と、榛原アリスが洟を啜った。
「私、こんなの嫌だ。忘れてしまいたい、あんな事故……起こってないことにしたい。目を開けたらみんなと一緒に沖縄のホテルに着いてて、目の前には綺麗な海が広がっててさ……」
界人にも、榛原アリスの言っていることが痛いほど理解できた。
こんな事故、起こってないことにしたい。叶うことならそう願いたかった。
「それで、予定通りみんなと馬鹿騒ぎしながらバスに乗って、美ら海水族館でジンベイザメを見て写真を撮るの。それから国際通りに行って、海に出て、みんなと泳いで、クラスの男子たちにスケベな目で見られて。それでも、それでも力いっぱい、馬鹿みたいにはしゃいで……。今、今目を開けたら、そんなことになってないか、って――」
界人は何も言えずに、ようやく輝きを放ち始めた一番星を見つめた。
あの星はこの地上を、あまりに凄惨に過ぎたあの海難事故を、どんな気持ちで見つめていたのだろうか。
「ごめん、ごめんね界人君。こんなこと言ったって仕方がないのはわかってる。でも、でも、私、受け入れたくない。楽しい修学旅行があんなことになっちゃったなんて、私、私――」
何も言わずに、界人は立ち上がった。
それからすっかり埃じみたブレザーを拾い、今まさに消えようとしている焚き火で内面を炙った。ぱちりと熾火が爆ぜ、ブレザーに小さく穴を開けたが、構いやしなかった。
もはや何も言わずに嗚咽を漏らす榛原アリスの肩に、界人はブレザーを掛けてやった。
一瞬だけ、嗚咽が止んだ気がした。
「ごめん、こんなことしか思いつかないんだ、俺。寒いときには温める、俺にはやっぱそれぐらいしか出来ないんだよ。ごめんな」
界人がぼそぼそと言うと、榛原アリスがぎゅっとブレザーの裾を掴み、膝ごと全身を覆うようにした。
その所作を見て、界人も気の毒に思った。
きっと――きっと、榛原アリスは、寒かったのだろうと思った。
祖父以外の人との繋がりなど何ひとつ持たぬ界人よりも、何倍も。
「榛原さん、明日になったら、みんなを探しに行こう。どんな形になっててもいい、どんなに数が少なくってもいい、俺たちが――みんなを見つけてやろう。それが生き残った俺たちの仕事だ。そうだろ?」
その言葉に、榛原アリスの嗚咽が一層激しくなる。わああああっ、と声を上げ、身体の一切の水分と空気とを絞り出すように、静寂の砂浜に悲痛な声を響かせ続けた。
結局、すっかり沈んだ太陽の、その残光の一片が消えるまで――榛原アリスは泣き止まなかった。
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