クラスのアイドル女子と一緒に無人島に流れ着いたら、やるべきことはサバイバルだろうか、それともラブコメだろうか。
佐々木鏡石@角川スニーカー文庫より発売中
遭難
第1話やるべきことは脱出
「八代君ってさ、なんかいつも寂しそうだよね」
不意にそんな声をかけられ、八代界人は横を見た。
いつ隣に来たものか、今の自分と同じように、船の手すりに寄りかかって海を見ている女子生徒の姿があった。
まず目に入ったのは、明らかに染めたものではない、灰色がかった髪の色だった。
その端正な顔立ちのどこかに、自分とは違う人種の血を感じる不思議な雰囲気の人。
誰だっけ、と逡巡してから、界人はとりあえずその人の名前を口にした。
「君は、えっと――榛原アリスさん、だったよね?」
「人に名前を確かめられるのは、高校では初めてだね」
榛原アリスは苦笑した。
「私が知らなくても、相手は私のこと知ってるって場合は多いけどさ」
「あ――ごめん。榛原さんって、その、有名人、なの?」
「本当に私のこと知らないんだね。なんか新鮮だなぁ」
榛原アリスは何故なのか機嫌よく笑った。
「一応これでも、世間様からはグラビアクイーンなんて呼ばれてんだけどな、私」
あぁ、とその単語を聞いて思い出した情報があった。
クラスメイトである男子たちが話していたのを、聞くともなく聞いたことがあった。
このクラスには、今大人気の現役グラビアアイドルが在籍していて、彼女はデビューして数年で瞬く間に多数の雑誌の表紙を飾るまでになったのだと。
まさに高校生離れしたプロポーション。
ひと目で人を虜にする人懐っこい笑み。
アリスという名前に象徴される、この国とはまた異なる国に由来する、不思議な魅力を持つ少女――。
それがおそらく、この榛原アリスのことを言っていたとするなら、それも納得だった。
異性どころか同性の知り合いさえ皆無の界人にもわかる。
この人は自分とは違い、人に愛されるために生まれてきたような人なのだと――彼女が自ずから纏う雰囲気からでも、それは十分わかった。
「あ、ごめん――俺、そういうの、全然ウトくて」
「謝らなくていいよ。――それより、ねぇ、さっきの質問に答えなよ」
「質問って?」
「なんでいつもそんな寂しそうなのか、ってさ」
榛原アリスに見つめられて、界人は眼下の白波を見つめた。
寂しそう――人から話しかけられること自体が稀だったこの高校生活に於いて、そんなことを言われたのは初めてだった。
なんと答えようか迷っていると、榛原アリスがぽつりと言った。
「八代君ってさ、家族いないでしょ」
その指摘に驚いて、界人は榛原アリスを見た。
「な、なんでそれを――?」
「うーん、なんでかな。私と似てるからかな。たまにさ、私もそんな顔するらしいんだよね。自分じゃ気づけないけどさ」
榛原アリスにも、家族と呼べる存在がいないのか。
少し驚いている界人に構わず、榛原アリスは遠い水平線を見つめている。
修学旅行先は南国・沖縄と聞いて青い海を想像していたのに、今の海は暗い鉛色で、水平線には今にも泣き出しそうな重い雲が立ち込めている。
「でもね、なんか違うんだよね、八代君とは。八代君、今はいないけど、昔はいたでしょ、家族」
「う、うん――一応。爺ちゃんに育てられたんだ、俺」
「そしてなおかつ、その爺ちゃんは八代君のことを大切にしてくれた」
「そうだよ、とっても大切に育ててくれた」
「うん、やっぱりなぁ。私とはそこが違うんだなぁ」
榛原アリスはそんなことを言って、手すりの上に重ねた腕の上に顎を乗せた。
「八代君の寂しさはね、なんていうか……亡くした寂しさなんだよね。私の最初から何もない寂しさとは違う気がするんだ」
「ごめん……よくわかんないな」
「うーんとね、宝物のオモチャを壊して泣くのって、最初からオモチャを買ってもらえなくて泣くのとは、ちょっと違うと思わない?」
「あぁ、そういうことか」
界人が頷くと、「でもね」と榛原アリスが界人を見た。
「私よりも何倍も寂しそうなんだよな、八代君。なんていうか……サバンナから連れてこられて、狭い檻の中で塞ぎ込んでる鬱病のライオンみたいな、そんな感じがするんだよね」
「あ、ごめん……またよくわかんない」
「そうかぁ、またわかんないか。そうだね……帰りたい、って、常に思ってるというか」
帰りたい。
その一言に、界人の心臓が握り潰されたかの如く収縮した。
「ここじゃないどこかに帰りたい、自分のいるべき世界はここじゃない……もしかしたら、そんな風に思ってない?」
その指摘に、界人は絶句して榛原アリスを見つめた。
「やっぱりね、当たってた。八代君の寂しさは、やっぱり亡くした寂しさなんだよなぁ。最初から帰る場所も何もない私とは違う。違うけど――やっぱりちょっと似てるね」
にっ、という感じで、榛原アリスは寂しそうに微笑んだ。
界人はしばらく無言になった後――榛原アリスと同じように、遥かなる水平線を見た。
「驚いたな――そんなこと言われたの、初めてだ」
「でしょでしょ? わかるんだよね。失礼だけど、一方的に、なんとなく」
「そうか、榛原さんと俺、似てるのかな」
界人はぽつぽつと言った。
この人とは間違いなく初めて会話するのに――不思議なことに、全く苦痛ではなかった。
「俺の爺ちゃんは凄い人だったよ。なんでも知ってて、なんでも出来て――。俺、爺ちゃん以外の人間、ほとんど知らないんだ」
この話をしたのは、祖父が亡くなってすぐに踏み込んできた警察の人間、そして、その後に界人が預けられることになった施設の人間以外には――初めてのことだった。
「でも、爺ちゃんは俺を大切に大切に育ててくれた。物凄い山の中の一軒家でさ、ほぼ自給自足の生活してさ。山の中で獲った獣がその夜のおかずになる家庭とか、風呂を薪で焚く家庭って、なんか普通ではなかなかないことなんだろ?」
「それどころか今初めて聞いたよ、本当にそんなことしてた人の話」
榛原アリスはケラケラと笑った。
「爺ちゃんが亡くなってすぐに施設に預けられて、街に降りてきたけどさ――なんか今もよくわかんないんだよね、人間の普通の生活ってものが。だからなのかなぁ、今も正直、全然学校生活に馴染めなくてさ」
「そうかぁ、それで寂しそうなんだね。八代君は自分が生まれ育ったところに帰りたいんだ」
「いや――そうなのかな」
「えっ?」
「俺――そうなのかな。本当に、あの山奥の一軒家に帰りたいのかな」
今まで一回もしたことのない自問だったが、一度口にすると、今まで考えることを禁じていたなにかのバルブがスルスルと緩み、自然と言葉が出てきた。
「俺――そうでなくても、普通の人と違ってると思うんだ。いや……違うというより、間違ってるんだよ、俺」
「そ、それってどういう……」
「俺にもよくわかんないんだ。でも俺、たまに真剣に思うんだよね。俺、本当に人間なのかな、って」
界人は首を傾げながら、自分の中の致命的な違和感を言葉にしようと躍起になった。
「俺、本当に榛原さんたちと同じ人間なのかな、ってさ。なんか人間によく似せて作られた機械かなんかじゃないのかな、って――思うことがあるんだよ」
「いや……何を言い出すの。八代君、どこからどう見ても人間でしょ? 普通に怪我とかするでしょ? そしたら血も出るでしょ? それなら普通に……」
「本当に?」
思わず低くなった声に、榛原アリスが息を呑んだ。
界人は、重ねて訊ねた。
「なぁ、榛原さん――俺、人間なのかな? 俺みたいなのも、ちゃんと人間、ってことで……本当にいいのかな?」
思わず重ねてそう問うてしまった、その瞬間だった。
ゴォン、という重苦しい衝撃が、巨大な船体を震わせた。
「ん? なんだ――?」
その、途端だった。
ギシッ……という鈍い音とともに、フェリーの巨体に強い衝撃が走った。
今の音、この船体が軋む音か――と思った途端、進行方向に向かってフェリー全体に急制動がかかったのがわかった。
急ブレーキを踏んだ車よろしく、界人と榛原アリスは受け身も取れずに進行方向の床に倒れ込んだ。
「うわっ!? な、何……!?」
床に叩きつけられた痛みを呻く暇もなく、榛原アリスが悲鳴を上げた。
何か尋常ならざる衝撃がフェリーを繰り返し揺らし、巨船がまるで盥のように激しく動揺する。
一体、何が――!?
界人は手すりを掴んで立ち上がり、遥か下の海面を見下ろした。
まるで沸騰するかのように――遥か下にある海が激しく騒ぎ、白泡が船を包み込んでいる。
「か、八代君! 何が起きてるの!?」
「わからない――! もしかしたら座礁したか!?」
「ざ、座礁――!?」
「海底にあるなにかに船が乗り上げたんだ! 爺ちゃんが言ってた、船に乗るなら一番気をつけなきゃいけないことなんだって! 船体に穴が開けば沈没の危険があるって――!」
しかし――同時にそれが有り得ない可能性であることも、界人は理解していた。
いくらこのフェリーが巨大だと言っても、ここはすでに周囲に陸地が全くない大海の真上だ。海底は船底の遥か下のはずで、乗り上げるものなどあろうはずもない。
それに、このフェリーはすでに何千回と同じルートを機械誘導で航行しているはずだ。航路からの逸脱した上での座礁など――常識的に有り得ないはずだった。
しかし、有り得ないことと断ずる最中にも、状況は見る見る激変した。
鋼鉄がひしゃげる、臓腑を揺さぶる音と共に、フェリーの船体が一層激しく軋み上がる。
その轟音と共に、まるで怪物の腕に持ち上げられたかのように、榛原アリスと自分との間の床がみるみる隆起し、折れ曲がってゆく。
海面が逆巻き、水飛沫が暴風に混じって吹き上がってきて、狂いじみたような質量を誇るフェリーの船体は断末魔の悲鳴を海上に轟かせた。
「八代君――!」
もはやなすすべもなく、榛原アリスは刻一刻と離れていく界人を見つめる。
この巨大な船体が、今まさに「く」の字に折れ曲がっていっている――。
有り得ない、と界人は混乱した。いくら座礁したにしても状況の変化が早すぎる。一時間どころか、たったの数分でこの巨大な船体が引きちぎれることなど、常識的に考えれば有り得ないことだった。そう、それこそ、海底に怪物がいて、その腕によって船体が持ち上げられているのでもなければ、こんなことは絶対に――。
その有り得べからざる光景を目の当たりにして、界人はしばし逡巡した。
状況はさっぱり飲み込めないものの、このままではまずい。
もはや沈没を免れないだろうフェリーの上にいたのでは、そのまま巨大な船体の轟沈と運命をともにすることになる。
一刻も早く、この船を捨て、少しでも船体から離れなければならない。
素早く視線を左右に走らせると――幸いなことに、すぐ近くの手すりに、紅白に塗り分けられた浮き輪があった。
それを手に取って小脇に抱えて、ぐい、と顔中の汗を袖で拭い、界人は覚悟を決めた。
爺ちゃん、見ててくれよ――そう祈りながら、界人はデッキの床を蹴って跳躍した。
「榛原さん――!」
界人が跳躍した途端、真っ二つに折れ曲がっていた船体はついに完全に分離した。
床を蹴り、亀裂を飛び越えた界人は、震えている榛原アリスの肩を委細構わず抱き締めた。
「榛原さん、悪いけど俺に付き合ってくれ!」
「えっ――!?」
「爺ちゃんが言ってた、戦艦大和の沈没と一緒だ! このまま船の上にいたら船体が起こす引波で俺たちまで海に引きずり込まれる! 少しでも船から遠ざかろう! 海に飛び込むぞ!!」
そう怒鳴る瞬間にも、真っ二つになった船体の亀裂からはどうどうと海水が流れ込み、足場は急速に傾斜を増していた。全く状況はわからないなりに、あと数分と経たずにこのフェリーが沈むのは確実なことと思われた。
もはや一刻の猶予もなかった。
界人は抱えていた浮き輪を榛原アリスの頭から被せ、両手で抱え込ませた。
「いいか、榛原さんを俺が抱き抱える! だから榛原さんは絶対に浮き輪から手を離すな! 俺を信じろ、わかったか!?」
そう怒鳴りつけると、よほど自分は恐ろしい顔をしていたのか、榛原アリスが小刻みに頷いた。
それを確認し、瞬時息を大きく吸って。
ありったけの腕力を込めた両腕を、榛原アリスの華奢な腰に回して。
一息に持ち上げた榛原アリスの身体ごと――界人は手すりに足をかけ、跳んだ。
十秒にも満たない浮遊感の後――冷たく、暗い世界に身体がすっぽりと包まれる感覚がして。
界人の記憶は、そこから長く途絶えることになった。
◆◆◆
ここまでお読みいただきありがとうございます……!!
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『強姦魔から助けたロシアン娘が俺を宿敵と呼ぶ件 ~俺とエレーナさんの第二次日露戦争ラブコメ~』
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