第17話やるべきことは誤解を解くこと

 そう呼びかけて見ても、目の前の小柄――東山みなみの表情は緩まなかった。


 まるで界人が怪物であるかのようふに、身体と表情を強張らせたまま、命綱であるかのようにサバイバルナイフを構えている。




 これは――一体どういうことだ。


 この人は何故サバイバルナイフなんか持っている?


 何故俺に怯えるのだ? 何に怯えている?


 どうして――俺との接触を拒絶するのだ。




「東山さん――!」

「嫌、嫌! それ以上近寄らないで! 私をほっといてください!」

「ほっとけないだろ! 東山さん、あの海難事故から生き残ったんだろ!? 同じ生存者だ! なら一人じゃ危ない、一緒に来てくれ!」

「ぜっ、絶対に嫌ですッ!!」




 引き攣った声で界人の提案を拒絶し、東山みなみは強く頭を振った。




「お願いだから――お願いだからほっといて! 近づいてきたら、さっ、刺しますッ! ほっ、本気ですから!!」




 本気――の声に聞こえた。「わかった、近寄らないよ」とジェスチャーつきで界人はそう宣言した。




「それなら質問に答えてくれ。――東山さん、今までどこにいた? どこに流れ着いた?」

「それは――船になにか衝撃が走って、おろおろして……気がついたら砂浜に倒れてたんです。後は何も覚えてません」




 なんだと? 界人は顔をしかめた。




「船は……沈んだんじゃないのか?」

「わかりません、わかりませんッ! 私は何も見てない、その時私は船室にいたんです!」

「ということは、東山さんは部屋の外に出てないんだろう? 救命胴衣も持たずに……それで――なんで助かるんだ?」

「わかりませんよッ! とにかく、私は何も覚えてない! 何も知らない! これでいいですか!?」




 質問そのものを拒絶するかのように、東山みなみは叫んだ。


 いけない、これはいけない……その恐怖の正体が何かはわからないが、今の東山みなみは考えることそのものを拒絶しているように思えた。まるで手負いの獣だった。


 手負いの獣とは、生き残るために行動する状態というよりは、何にでも噛みつくことを優先する状態の獣の事を指す。あまり放っておいて無茶をされるのが怖かった。




「かっ、界人君――!」




 と――背後から榛原アリスの声が聞こえ、界人は目だけで背後を見た。

 

 ビキニ姿に界人のブレザーを肩に掛けた状態の榛原アリスを見て、東山みなみが目を見開いた。


 しばし呼吸を整えてから顔を上げた榛原アリスが、崖に背を預けて縮こまっている東山みなみの姿を見た。




「あ、あなたは……!」

「えっ、は、榛原さん……!? なんで、なんで水着なんですか?!」

「え? あ、ああ~……これはその、ちょっと成り行きで。心配しなくていいよ、寒くないから」

「そっ、それにそのブレザー……! 榛原さん、もしかしてこの男の人と一緒にいて……!?」

「え? うん、そうだけど。この人は八代界人君。顔ぐらいはわかるでしょ?」




 榛原アリスの声に、東山みなみは何故か信じられないものを見るように榛原アリスを見つめてから、キッ、と音が鳴りそうなほど鋭く界人を睨んだ。




「そういうことか……! 男の人っていつもそうですね、私たちのこと何だと思ってるんですか!?」




 え? と界人はきょとんとした。

 その反応に更に苛立ったように、東山みなみは口元を歪めた。

 その瞳には、反抗心などという生易しいものではない、界人に対する異常なまでの憎悪が滲んでいた。




「どうせ、どうせ、俺が助けてやるからその格好でずっといろとか命令したんですよね……! ホンット、男って最低……! あなたはケダモノ、ケダモノですッ!」

「え? そうだっけ榛原さん? 俺、そんなこと言ったっけ?」




 界人は思わず榛原アリスを振り返り、訊ねてみた。




「確か服を乾かすとかなんとか言って、榛原さんが勝手に水着になったんじゃなかったっけ? グラドルにはこれが戦闘服なんだーとか言ってさ」

「え? うん。そうだけど」

「女の子に口裏合わせまでさせて恥ずかしくないんですか! どこの世界に男子生徒の前で常時水着でいる女子生徒がいるんですかッ!」

「いや……どこの世界に、って、そこまで言われるとつらいなぁ」




 榛原アリスがきまり悪く頭を掻くと、東山みなみが、ハッ? と虚を衝かれた顔になった。




「え……? もしかして、自発的にそんな格好を……?」

「うん、仕事柄そういう視線には慣れてるし。第一この人、女の子に対してそういう感情全くないから。私のこの姿見て食べたら美味しそうって言ったんだよ? 信じられる?」

「たっ、食べたら、って、やっぱりそういう……!」

「いやいや、本当の意味で。味噌仕立てて煮込んだら美味そうって、レシピの講釈までしてたし」

「は、はぁ――!?」

「はっ、榛原さん――!」




 東山みなみが握ったサバイバルナイフの鋒が下を向いた。

 今なら飛びかかれるかなぁなどと思ったが、その必要はなさそうだった。




「とにかく、フルネームは東山みなみさん、だったよね? この人は大丈夫。たぶん目の前で全裸になっても動揺すらしないから。でしょ?」

「え? 普通の男って目の前で全裸になられたら動揺するもんなの? 男子のみんなは体育の時間とか普通に裸になって着替えてたと思うけど」

「そ、そんな馬鹿な……!」

「疑うならホラ、見てて」




 言うが早いか、榛原アリスがぎゅっと界人の腕に抱きついてきた。

 ん? と界人は榛原アリスを見つめた。




「ん? 何? 榛原さん、これでなんの証明になるんだ?」

「ホラホラ、この顔よ顔。これが嘘ついてる男の顔? 女の勘で見てどう?」




 榛原アリスの言葉に、東山みなみは珍妙な表情を浮かべてから、ずるずると地面にへたり込んだ。

 なにかの気が抜けたらしいその顔からは、先程までの怯えは消えていた。




「そ、そんな……! お、男の人なのになんで……!?」




 安心したと言うよりは愕然とした、というように、東山みなみは驚愕の声を発する。




「私も最初に喋った時はびっくりしたけどね。東山さん、それだけじゃないよ。界人君はこう見えてめっちゃ野生児だから。すっごく頼りになるから。だから救助が来るまで一緒に行動しようよ、ね?」




 榛原アリスの言葉にも、東山みなみは地面にへたり込んだまま微動だにしない。


 ん? と界人が東山みなみを見ると、苦しげな東山みなみの呼吸音が聞こえた。




「あ、あたま、痛ッ……! う……き、気分、悪い……」




 か細くそう言った東山みなみに、界人はハッとした。


 命綱であるサバイバルナイフが手から抜け落ちそうなほど、握る力も弱まっている。


 ナイフに構わず東山みなみに歩み寄って、界人は俯けたその顔を覗き込んで検めた。




「あんなに走ったのに一滴も汗が出てない。……東山さん、最後に水を飲んだのはいつだ?」




 界人の声にも、東山みなみは反応しない。ハァハァと苦しげに胸を上下させているだけだ。


 これは――間違いない、脱水症状と思われた。急いで処置しなければ医療施設のないこの島では命取りになる。




「これはよくないな……榛原さん、海岸まで運ぼう。悪いけど手伝ってくれ」

「え、う、うん……!」




 言うが早いか、界人はぐったりとしたままの東山みなみを背中に乗せ、榛原アリスの介助つきで背負い込んだ。


 そのまま、肩に回した東山みなみの腕を交差させ、足を抱えた腕で手首を掴んだ。この背負い方なら、歩いた際に東山みなみの身体が跳ねず、体力の消耗が少ないのだ。




「あと、そのサバイバルナイフも一緒に持っていこう。榛原さん、枝の払い方を教える。枝を左手で握ったら、ナイフは必ず利き手の方向、右方向に払って。でないと滑った刃で左膝を割るぞ。いいな?」

「わ、わかった。こういう感じ?」

「そうそう、いい感じだ。……それじゃ、東山さんを運ぶぞ」




 腰を壊さないように慎重に立ち上がって、界人は苦しげに息をしている東山みなみを砂浜へと運び始めた。




◆◆◆




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