第43話やるべきことは武装
「あの、界人君」
ようやく帰り着き、どっかりと砂浜に腰を下ろした界人に、榛原アリスが遠慮がちに声をかけてきた。
「あの、さっきのことなんだけど――」
「あ、うん……。さっきはごめんな、急に怒鳴りつけたりして」
「そういうことじゃない。界人君、今度はちゃんと説明して」
真っ直ぐな榛原アリスの声に、界人は内心ため息をつきたくなった。
「界人君、今朝もなにかに襲われたんでしょ? それってさっき森の中にいたヤツなの? 私たちを心配させまいとしてるのはわかるけど――それじゃ私たちだって何もわからないよ。界人君だけで何もかも理解しないで、お願い」
榛原アリスの問いに、しばしどう伝えようか迷って――界人は誤魔化すことを遂に諦めた。
界人は座ったまま二人に向き直った。
「榛原さん、東山さん」
「はっ、はい!」
「やっぱり、この島は普通の島じゃないことは確定だ。――今朝の俺、信じられないだろうけど、ヒグマに襲われたんだよ。北海道にしかいないはずの、あのヒグマにだ」
界人の言葉に、二人が同時に目を見開いた。
「ひっ、ヒグマ、って……! いくらなんでもそんな馬鹿な……!」
「いいや、間違いない。ツキノワグマがいるだけでもおかしいこの島に、そんなものがいたんだ。俺はのしかかられてワイシャツを滅茶苦茶にされたよ。今生きてるのが不思議なぐらいだ」
「やっ、八代君、大丈夫だったんですか!? 怪我はしてないんですか!?」
「それは――奇跡だったとしか言いようがないな。今も五体満足だよ。心配はない」
自分の間違った能力については、流石に伏せた。
今はこれ以上、二人を動揺させたくない。
いや、それ以上に――この二人にまで奇異の目で見られることは、界人には耐えられそうにない。
「けれど――さっき森の中で出会った奴はそんなもんじゃなかった。アレはヒグマなんかじゃない。もっともっと――表現が難しいけど、とにかくヤバい奴だと思う。アレが恐竜だって言われても俺は納得する。そんなレベルの話だと思ってくれ」
「き、恐竜――」
自分たちは一体どれだけの状況に放り込まれたのだと呆れるように、東山みなみが絶句した。
確かに、自分だって頭を掻き毟り、全ての思考や懸念を放棄してこの砂浜に寝転がりたいぐらいの状況ではある。
起こるはずのない海難事故、流れ着くはずのない島、いるはずのない生存者、いるはずのない生物――この島は、この状況は、どれだけ自分たちをからかいたいのだろう。
「とにかく――桐島さんたちと合流したいことはしたいけれど、あんな化け物がいるんじゃ、とにかくこのナイフ一本をお供にジャングル踏破なんて流石に不安だ。何かで武装しないと」
界人のその言葉に、東山みなみがぎょっとした表情を浮かべる。
「ぶっ、武装って、まさかこんな島に銃や爆弾があるわけ――」
「そんな物騒なものじゃなくてもいい。例えば、原始人が使ってるような、槍とか弓矢とかだよ。それならこの島でも何とか作れないことはないさ」
「そっ、そんなもので、その、ヒグマとか、それ以上の怪物に太刀打ちできるの?」
「いざとなったらやるしかないよ、榛原さん。道具による武装は人間の本能なんだ」
界人の言葉に、二人は顔を見合わせた。
「いいか、人間は爪も、牙も、寒さを凌ぐ毛皮すら持ってない。多少よく目は見えるけど、犬みたいに嗅覚が優れてるわけでも、聴覚が鋭いわけでもない。そんな人類がどうやってこの地上で生きてこれたか。それは道具で武装したからだ」
そう、それは界人が、あの山の中の一軒家で何回も何回も祖父に刷り込まれた教え。
人間という「動物」が持っている本能の話だった。
「人間もやっぱり動物の一員なんだよ。自分たちが自然界では特別ひ弱な存在であることを自覚して、自己の能力に頼らず、外部から爪や牙を獲得する能力を本能的に獲得した――それが武器だ。だったら俺たちも武装しなけりゃならない。あいつらに対抗する爪や牙を作るんだ」
その言葉に、榛原アリスは奇妙に納得したような表情を浮かべ、東山みなみは一層困惑した表情になる。
決然と言い切った界人に、榛原アリスが確信的な口調で言った。
「ということは、界人君にはそのための知識もあるってことだよね?」
「ああ、嘘みたいな話だけど、黒曜石をかち割って石器を作ったこともある。俺の爺ちゃんはそれぐらいはするし、させる人だったからね」
「せ、石器なんて、そんなの原始人じゃあるまいし……!」
「大丈夫だよ、東山さん。界人君を信じていい」
榛原アリスの言葉に、東山みなみが言葉を飲み込んだ。
困惑全開の東山みなみを安心させるかのように、榛原アリスはニカッという感じで微笑んだ。
「東山さんだってわかってるでしょ。界人君はこの状況下で適当なことは言わないし、言えないよ。この状況で思ってもないことを言って私たちを安心させる嘘をつけるぐらい、まだ人間的に進化してないってことをさ」
その一言に、はっ、と浅く息を漏らした東山みなみが、数秒後にはえへへと笑った。
「そ、そうでした、ね。八代君はまだそこまで進化してないんでしたよね。それなら安心でした……」
榛原アリスと東山みなみは、そこでお互いに顔を見合わせてヘラヘラと笑い始めた。
その笑いに、界人も流石に何かを察した。
「え? え? 二人ともなんか妙な感じで納得してない? なんか俺がまだ人間じゃないって感じのことを……」
「いや界人君こそ、何を今更慌ててんの? 外見は人間だけど、中身はまだ四割ぐらい動物のままでしょ。だから私たちだって信頼できるの。人間的に信用できないより、本能的だから信用できる、いいことじゃん」
榛原アリスの言葉に、はっ、と界人の中の何かが騒いだ。
信頼――人生で一度も言われたことのない言葉。
お前は変わっている、お前は何も知らない、お前には常識がない……そのテの言葉は街に降りてから掃いて捨てるほど言われてきたけれど、信頼できる、と言われたのは初めてのことだった。
なんだか再び、界人の全身の皮膚が粟立つ感覚がして、全身が痒くなってきた。
どうにも榛原アリスの言葉を聞くと、自分の体がおかしくなってしまう。
本当にこれ、蕁麻疹じゃないのか――? 居心地の悪いような気持ちとともに後頭部をボリボリ掻き毟った界人に、よし、と榛原アリスが声を上げた。
「界人君。桐島さんたちがいる場所にアタックするのはいつにする? 準備が必要なんだよね?」
「え? あ、ああ――武器作りと、食料の調達も必要だ。そうだな……三日、三日もあれば準備ができると思う」
「よし――! なら三日後、いよいよ進軍開始だね! それまでに頑張って立派なアマゾネスにならないと! 東山さん、気合い入れよう!」
「はっ、はい! 私なんかが頑張れるかどうかわかりませんけど、頑張って私もアマゾネスになります! 八代君、ご指導ご鞭撻よろしくお願いしますね!」
「え? ええ……? ああ、うん、できる限りのことはするけど……」
うーん、やはり女の子という生き物はよくわからない。
普通、この状況下でこんな事態に発展したら、少し落ち込むとか不安に思うとか、そういうことになるはずだけど、なんだか今の二人は落ち込むどころか、やる気に満ち溢れているようにしか見えない。
どうも女の子という生物は、逆境に置かれれば置かれるほど元気を取り戻す生き物であるらしい。
女の子って、本当によくわかんない生き物だなぁ――。
界人は面映ゆいような、その反面、なんだか勇気づけられたような、不可解な気持ちとともに二人を眺め続けた。
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