37話 覚悟しててね

「――今日はありがとう」


 夜。

 私は晩ご飯を食べ終わった後、自室で寛いでいた朝陽君を訪ねていた。


 感謝の気持ちを素直に伝えると、彼は苦笑する。


「なんだ、それを言うためだけにわざわざ来たのか?」

「私にとってはそれくらい大きなことなんだよ。道端でするような話でもないし、こうしてちゃんとお礼が言いたかった」


 調理実習の時にみんなに本当の私を打ち明けてから、人と接するのがとっても楽しくなった。

 相手のことを素直な目で見ることができて、とても楽になった。

 そして何より、自分が心から笑えていること実感できて、本当に幸せだった。


 朝陽君の存在がなかったら、私は今も自分を偽り続けていただろう。

 いや、きっとそうだ。

 もしかしたらそれがずっと続いて、自分を偽ることに耐えられなくなっていたかもしれない。


 私は周りと素直に接してみて、如何に自分を偽ることが苦しいことだったのかを実感した。

 周りと素直に接することを知ってしまえば、人が離れていくことよりも自分を偽る方が辛く苦しいことだと思ってしまう。


 つまるところ、朝陽君と同じ気持ちになったのだ。


 それでも、あのときの私には勇気がなかった。

 人が離れていく怖さに立ち向かうだけの勇気が。


 だから、朝陽君を拒絶してしまった。


 それでも朝陽君は、諦めずに私のそばにいてくれた。


 だから、私は前を向くことができた。


「……ありがとう」

「俺は何もしてない、ただそばにいただけだ」

「それを何かしてるって言うんだよ」

「何もしてないのと同じだよ。そばにいたのだって、俺が弥生のそばに居たかったからいただけだ。弥生が頑張ったからこその結果だよ」

「それでも、頑張ろうと思える勇気をくれたのは朝陽君だよ。本当に、ありがとう」

「……そう言われたら、何も言い返せないんだけどな」


 やった、私の勝ち。


 私は心の中でこぶしを握り締めた。


「朝陽君は謙遜しすぎなんだよ。もっと私を救ってくれたことに誇りを持ったっていいのに」

「誇りって言ってもなぁ……自分では本当に何か貢献したとは思えないから」

「でもそうやって私の言ったことを否定されると、寂しいんだよ?」


 そう、寂しい。


 距離を取られているような気がするから。


 その謙遜も私を想ってしていることだって分かってる。

 もちろん本当にそう思えないのも、ちゃんと分かってる。


 それでも本当に私のことを想っているのなら、私の言ったことを素直に受け止めてほしい。


 そうすれば、私は嬉しいから。

 私の言ったことを受け入れてくれたんだって、安心できるから。


「例えば、朝陽君が葉月に料理を教えてもらったとするでしょ? そのとき、朝陽君が『葉月のおかげでここまで料理ができるようになった』って言ったとする。でも葉月に『私はただお兄さんに料理を教えるのを楽しんでいただけですから。全部お兄さんの頑張りのおかげですよ』って言われたらどう思う?」

「それは……あんまりいい気分じゃないな。葉月がいてくれたおかげなのにって、なんかもやもやする」

「そう、もやもやするんだよ。朝陽君がいま私にしてたことはそういうことなんだよ?」

「そっか……ごめん、否定したりなんかして」

「分かってくれればいいんだよ。じゃあ、せっかくだからちょっと練習してみようか」


 私は朝陽君の二の腕をつかんで無理やり彼を立ち上がらせる。


「練習って、必要か?」

「必要だよ。一回やってみれば、すぐそれに気づくと思う」

「そ、そうか……?」

「うん。じゃあ、いくよ?」


 朝陽君は緊張しているのか、わざとらしく姿勢を正す。

 その姿に愛おしさを感じながらも、私は強張っている彼の顔を覗き込んで言った。


「ありがとう、私のそばにいてくれて。朝陽君のおかげで、私は前を向くことができたよ」


 素直な気持ちを朝陽君に伝える。


 でも、朝陽君は……。


「え、えと……あ、あ、あぁ。俺の、おかげだ」

「自分に言い聞かせないのっ」


 彼の返答があまりにもぎこちなさすぎて、思わず声を上げて笑ってしまう。


 あぁ、やっぱり好きだなぁ。


 優しい朝陽君も。


 不器用な朝陽君も。


 全部、全部。


 大好き。


 朝陽君は私とは付き合えないって思ってるんだろうけど、私、諦めないよ?


 付き合えないって思ってても、それでも付き合いたいって思ってくれるようになるまで、私、頑張るから。



――私は笑うよ。ずっと、朝陽君のそばにいるから



 これは、朝陽君への宣戦布告。


 私は笑う代わりに、ずっと朝陽君のそばにいさせてもらうから。


 兄妹じゃなく、彼女として。


 だから、覚悟しててね?


 彼の難しい顔を見つめながら、私は心の中で彼にそう告げるのだった。

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