15話 ギャップ萌え
『――弥生ちゃんすごいね! きょうも百点じゃん!』
『うん! お母さんのために頑張ったの!』
『お母さんのため?』
『お母さん最近ね、なんだか疲れてるみたいなの。だから弥生が百点を取って元気づけてあげようと思って!』
『すごいね弥生ちゃん!』
『うん――!』
最初は、嬉しかった。
離婚したお母さんを元気づけたくて、小学生なりにいろいろ考えて、嫌いな勉強や苦手な運動を頑張ろうと思った。
そうしたら周りの友達がだんだんと私のことをほめてくれるようになって、それが当たり前になっていって――。
――だんだん、それに縛られるようになっていった。
『弥生、どうしたの?』
中学生の時、だったかな。
思い切り体調を崩して、それがちょうどテスト勉強の時期に重なっちゃったことがあった。
初めてとった赤点。
満足に勉強ができなかった私は、いつもみたいに高い点数を取ることができなかった。
『なんか、いつもの弥生じゃないね』
複雑そうにそう言われたのが、ものすごく怖かった――。
◆
「――怖かった、幻滅されるのが」
「怖かった?」
聞き返すと、弥生は何かが瓦解したかのように声を震わせながら心の内をさらし始めた。
「朝陽君は、私が何でもできると思ってるでしょ?」
「まぁ、実際何でもできてるからな」
「……そう見せてるだけ。勉強や運動だって人一倍準備しないと何もできないし、料理や片づけはどう頑張っても苦手なまま。でも一回できてるところを見られちゃうと……もう、元には戻れないんだよ」
「弥生……」
「ずっと自分を隠しながら生きてきた。それが苦しくなったりもしたけど、それ以上に本当の自分を知られるのが怖いことを知ってたから隠し通すしかなかった。でも朝陽君がうちに来てから、段々と隠し切れなくなっていって……覚悟はしてたけど、いざ知られたら、やっぱり怖かった」
今まで見てきた弥生の像と本当の弥生に乖離があるから、それが原因で幻滅されるのを怖がっていた。
だから彼女は、自分自身に幻滅した俺を目の当たりにしないように俺を遠ざけていた、ということなのだろう。
俯いている彼女の手の甲に、雫が落ちる。
すすり泣く声が、ただ一つ部屋に響いた。
「ごめん、なさい。遠ざけたりして。私、怖くて……」
失敗することをここまで怖がるのは普通じゃない。
きっと、過去に何かしらあったのだろう。
トラウマになるような思い出が。
悲しむ弥生の姿に感化されて、俺まで視線を下げそうになってしまう。
でも俺は一つだけ深く息をつくと、弥生に笑いかけた。
「俺はホッとしたな、弥生が完璧じゃないって知られて」
「どうして……」
「だって、何もかも完璧だったら逆に怖いだろ」
「朝陽君は、私のこと怖いと思ってた……?」
「最近は慣れたからそうでもないけど、出会った頃は少しだけ、怖いって思ってたな。なんというか、関わりづらかったし」
まぁ、単純に弥生が可愛すぎたからというのもあるのだが……。
「そ、そうだったんだ……」
「そんなに落ち込まなくても。現に今、こうして一緒に居られてるんだしさ」
ショックを受けている姿が可愛らしくて口角が緩んでしまう。
どうやら涙は引っ込んだようだ。
「それに、イマドキはギャップ萌えっていうのもあるんだぞ」
「ギャップ萌え……」
「完璧な人が不意にドジしたりすると、キュンってするだろ。弥生も学校で本当の自分を見せたら、もっとみんなに好かれるんじゃないか?」
「そういうものなのかな……」
まぁ現実はまた漫画の世界とは違うかもしれないが、少なくとも弥生のギャップに胸を打たれる人は少なくないだろう。
嬉しくはないかもしれないが、弥生のガチ恋勢からしたら新たに弥生を推す要因になるかもしれない。
嬉しくはないかもしれないが。
「朝陽君は、私のそういうところにキュンってしたりする?」
「お、俺?」
「うん」
「……ま、まぁキュンってするかどうかは分からないけど、微笑ましく思ったりはするかもな?」
「そうなんだ」
あ、危ない。
いきなりブッこまれたから一瞬思考が止まった。
本当に心臓に悪い。
ちなみにこれは本心だ。
微笑ましく思うことはあっても、キュンってすることはきっとない……はず。
というか、ないと信じたい。
曲がりなりにも弥生は妹なのだから。
「……また朝陽君には元気づけられちゃったね」
「別に、いつでも元気づけてやるよ」
「うん、ありがとう」
柔らかく笑みを浮かべる弥生に、俺も笑い返すのだった。
◆
――あれから俺たちは、結局勉強を続けることにした。
わだかまりも解けたことで勉強もはかどり、弥生に分からないところを教えてもらったりもした。
「二人で勉強すると楽しい」と言った弥生の気持ちが、今なら少しだけわかるような気がした。
そうして晩御飯を挟み夜まで勉強していた俺たちだったが……。
「……寝てる」
休みの合間に風呂に入ってきた俺は、部屋で弥生が居眠りしているのを見つけた。
テーブルに突っ伏す腕の隙間から、彼女の可愛らしい寝顔が覗いている。
きっと先ほどまで勉強を頑張っていたのだろう。
ノートに敷き詰められた小さな文字たちがそれを物語っていた。
弥生は本当の自分と闘いながら、それを隠すために今まで頑張ってきた。
そう思うと、同情とともに感心のような気持ちが湧いてくる。
……夏休みの間は、弥生の勉強に付き合ってあげよう。
非常に気持ちよさそうに眠っているのでそっとしておいてあげたかったが、このまま寝かせておくと体を痛めてしまうかもしれない。
彼女がまだ風呂に入っていないのもあって、俺は心の中で謝りながら彼女を起こすことにした。
以前はここからわだかまりが発生してしまったが、ここは俺の部屋なので問題ないだろう。
「弥生。……やよいー」
肩をやさしく叩きながら起こすと、弥生は「んん……」とうめき声を上げながら顔を上げる。
焦点の合っていなかった目が、次第に俺を捉えた。
「おはよう。起こしてごめんな」
「あれ、わたしねむって……」
「あぁ、ぐっすりだったぞ」
「おふろあがってきたの……?」
「あぁ。次、弥生の番だから起こした」
「ん、ありがと……」
まだ半分寝ている様子の弥生。
雰囲気がほわほわとしていて、すっごく可愛い。
ただ目を擦りながら立ち上がる姿を眺めているだけなのに、どうしてものすごく幸せな気持ちになるのだろう。
そう思っていた矢先。
「ほゎっ」
「危ないっ‼」
寝起きで体に力が入らなかったのか、後ろに体勢を崩して倒れそうになる。
気の抜けた声を上げる彼女を、俺は咄嗟に抱きしめた。
普段運動をしていないせいで彼女を支えるのに一苦労したが、何とか片膝立ちになることで体勢を安定させることに成功する。
彼女の上半身を立てた片膝に預けると、俺は大きく息をついた。
「危ない……」
「ご、ごめん。私、寝ぼけちゃってて……」
どうやら今ので完全に目が覚めたようだ。
先ほどまで曖昧だった滑舌がはっきりとしている。
「まったく、気をつけろよ」
「うん、助けてくれてありが――」
言いかけて、固まる。
……?
「どうした?」
「あっ、い、いや、なんでもない、よ?」
「そうには見えないんだが……」
寝起きだった白い顔とは打って変わり真っ赤な顔をしている弥生。
紡ぐ言葉もたどたどしく、ただ事ではないのは確かだった。
「だ、大丈夫! 大丈夫だから! 私、お風呂行ってくる!」
頭と背中を支えていた俺の手を跳ね除け、弥生は逃げるように部屋を出ていく。
残された俺は。
「また、やらかしたのか……?」
と、不安になってしまうのだった。
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