22話 取り合いっこ
「――何してるの?」
背後から聞こえる驚愕を帯びたそんな声に、俺は冷や汗をかきながらギチギチと音が鳴りそうなくらいぎこちなく振り向く。
そうして視界に入ってきたのは……この上なく青ざめた弥生の姿だった。
「や、弥生……」
「おはよう、お姉ちゃん」
葉月はなぜか勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
そのせいで、弥生の怒りはついに爆発した。
「おはようじゃないでしょ! どうして葉月が朝陽君と……ハ、ハグなんかしてるのさ!」
「どうしてって、私は癒やしをもらってただけだよ?」
「意味が分からないでしょ! どうして癒やしをもらうような展開になってるのよ!」
「おいっ、あんまり大きな声を出すと親父や母さんが起きてくるぞっ」
「っ……」
俺が言えたものではないのかもしれない。
でも言わないと本当に親父や母さんが目を覚ましてしまう。
まだ早い時間帯のため、少しでも長く休んでいてほしかった。
結婚式の準備のためにも。
弥生にもそれが通じたのか、何か言いたげな顔をしながらも口を閉じてくれる。
「お兄さんが言ったんだよ。『俺にできることがあればなんでもするぞ』って」
「朝陽君……?」
「ち、ちょっと待て、どうして俺に矛先が向く。俺はただ単に頑張ってる葉月を心配してそう言っただけだ。それに俺と弥生は付き合ってるわけでもない。こうして咎めるのはお門違いじゃないのか?」
「それはそうだけど……そしたら不公平じゃんっ、葉月だけハグしてもらって。私も朝陽君にハグしてもらいたいっ」
「は、はぁ!?」
若干頬を赤らめながら言う弥生の言葉に、今度は俺が大きな声を上げてしまう。
「ダメ。今お兄さんは私とハグしてる最中なの。お姉ちゃんは引っ込んでて」
「葉月はもう十分でしょ。今度は私」
俺の後ろを回って葉月の前に立つ弥生。
二人は至近距離で睨みあっていた。
これが、取り合いになるヒロインの気持ち。
なんというか、気分はいいが気分が悪かった。
矛盾していそうで矛盾していないことにどうか察してくれ。
「ち、ちょっと待ってくれ。ほら、結婚式の準備をするんだろ? だったらこんなことやってないでさっさと――」
「朝陽君は黙ってて!」
「お兄さんは黙っててください!」
バチバチと火花が散る二人の間に、俺が入り込む余地など少しもなかった。
◆
――結果、あれだけ憤っていた弥生がなぜか一歩引いたことであの戦いは終幕を迎えた。
まさに戦いと豪語できるほどの激しいつばぜり合いだった。
……と、まるで他人事のように思い返してはいるが全く他人事ではない。
戦いが終わった後も葉月にハグを要求され、結婚式の準備をしようと説得するのに一苦労だった。
結局ハグはせずに終わったものの、準備をしているさなかに浴びせられる不満げな彼女の視線が痛い。
本当に、なぜこんなことになってしまったのか……。
「ふう……」
そんな視線に耐えながら、朝ご飯を挟んでリビングを結婚式仕様にする飾りつけを終えた俺は、一休みするために自室へと戻ってきた。
デスクチェアに腰を下ろし、深く息をつく。
親父と母さんももう目を覚ましており、今は一緒にタキシードやドレスに着替えてもらっている。
葉月は結婚式を始めるにあたって最終確認をしながら、同時に披露宴用の料理にも取り掛かっていた。
ちなみに、後で俺も合流する予定である。
弥生はさっきまで一緒に飾りつけをしていたが……今は何をしているのだろう。
「――朝陽君、いる?」
噂をすればなんとやら。
部屋の外から、弥生の声が聞こえてきた。
「あぁ、いるぞ」
返事をするとガチャリとドアが開き、そこから弥生が顔を覗かせる。
部屋には入ろうとせず、本当にただ顔を覗かせるだけだった。
彼女はほんのりと頬を染めており、目を細め、口を尖らせて何かを言いたそうにしていた。
「どうした?」
声をかけると、彼女はぽつりと一言。
「……ハグ」
「っ……」
忘れてると思ってたのに。
「……とりあえず、入って」
一階で大忙しにしているので大丈夫だとは思うが、葉月にこの場面を見られたらどうなったものか見当もつかないので、弥生に部屋に入るよう促す。
彼女はハグをしてもらえると思ったのか、ぱぁっと表情を明るくして部屋に入ってきた。
「まだハグをするとは入ってないぞ」
補足すると、彼女の表情は元に戻ってしまった。
「なんで私にはできないの」
「できないとは言ってない」
「じゃあなんでしてくれないの」
「それは……」
……言えない。
弥生とハグしてしまったら、もう妹とは見られなくなってしまうかもしれないとは。
それくらい今の彼女は魅力的に見えてしまうのだ。
ただ、それは葉月が魅力的に見えないとかそういう問題ではない。
年齢の問題だ。
自身よりも葉月の方が年齢が下だから、かろうじて妹と認識できているのだ。
大人になると消える年齢差の精神的な高い壁が、今だけはとてもありがたかった。
だが、目の前の彼女とはその壁がない。
だからこそ俺はここまで彼女とハグすることを渋っていた。
「……不公平じゃん」
弥生が悲しそうに眉尻を下げる。
その姿に俺は……耐えられなかった。
「……一回だけ」
「えっ?」
「一回だけなら、ハグしてやる」
立ち上がる。
両腕を広げて、弥生を迎え入れる体勢をつくった。
一回だけなら、耐えられるかもしれない。
そんな淡い期待を込めながら。
「ほら」
促すと、弥生は強張った表情でゆっくりと俺の背中に腕を回す。
それと同時に、俺も彼女の体に腕を回した。
少しして、彼女が深く息を吐く音が聞こえた。
「……ありがとう」
「あのとき引き下がったのは、こうしてまた俺にハグをせがむためだろ」
「そうすれば、変に葉月と争わずに朝陽君とハグできると思ったから」
「もう十分争ってたと思うんだが……」
弥生から香る匂いは、葉月のよりも優しかった。
甘さは少し控えめだが、だからこそずっと嗅いでいたくなるいい匂い。
抱き心地もすごく良くて、本当は二人で一つだったんじゃないかと錯覚するほどのフィット感だった。
だからこそと言うべきか、なのにも関わらずと言うべきか、高鳴る鼓動が止まらない。
だけどこのドキドキは、葉月とハグをしたときに感じたものとは違うような気がしていた。
「朝陽君の心臓、ドキドキ言ってる。すごく早い」
「き、聞くな」
「私も聞きたくて聞いてるわけじゃないよ。ただあまりにも朝陽君の心臓が頑張ってるから、どうしても聞こえちゃうの」
俺は自分の小さな心臓を呪った。
「こういうとき、小さい心臓って便利だね」
「バカ」
弥生は楽しそうにクスリと笑みをこぼす。
そうして俺たちは、約二分もの間ハグをしたのだった。
誰か、一度でも弥生とのハグに耐えた俺を褒めてほしい。
限りなくアウトには近かったが、あれは耐えたんだ、絶対。
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