23話 朝陽の優しさ
「――来たぞ」
キッチンに顔を出すと、葉月は丁度披露宴の料理に取り掛かろうとしていたところだった。
「ナイスタイミングです、ここにある野菜を全部切ってください。切り方は壁に貼ってあるメモ書きに書いてありますので、その通りにお願いします」
「了解」
またハグをせがまれないかと少々警戒をしていたのだが、葉月はやるべきことに追われている様子。
いらぬ心配だったようだ、と俺は胸をなでおろした。
「って、改めて見るとすごい量の野菜だな。こんなに使うのか?」
キッチンのワークトップには、昨日買ってきたいろんな野菜たちが各々山をつくっている。
昨日も多いとは思っていたが、改めて見ると壮観だった。
「全部ですよ。今日は結婚式ですからね、ちょっと張り切っちゃおうかと」
葉月は腕をまくりながら楽しげに言う。
まるで赤子の手を捻るかのような余裕の表情に、頼もしさを感じずにはいられなかった。
「流石だな」
「私は私で別の準備があるので、野菜のカットお願いしますね」
「あぁ、任せとけ」
俺も腕をまくって気合を入れると、壁にマスキングテープで貼られたメモ書きを見ながら野菜を切り始めた。
「そういえばこの状況、俺が初めてこの家に来た時と同じ状況だな」
「本当ですね」
俺が野菜を切り、葉月が隣で別の作業をする。
あれからまだ一ヶ月も経っていないというのに、もう懐かしく思えてくる。
それはきっと、この家でいろいろなことがあったからだろう。
葉月に料理を教わったり、弥生と一緒に勉強をしたり。
それまで退屈だった日々が一瞬の間に楽しいことで埋め尽くされて、懐かしく思うのも難しくなかった。
「……ごめんなさい、無愛想に接してしまって」
「まだ気にしてたのか」
「だって、本当に申し訳なくて……」
「出会って初日に言っただろ、初対面の人と接するならそういう態度になっても仕方ないって。むしろそれが普通なんだよ」
「でも、お兄さんは優しく接してくれました」
「それは俺がおかしいだけだよ」
初めて対面する物や人、事柄に対して警戒するのは、生物が持つ一種の生存本能だ。
人間の場合はそこまで大袈裟に表現しなくてもいいかもしれないが、それでも自分を守るための大切な能力なことに変わりはない。
だが、俺にはその能力が欠如していると言っても過言ではなかった。
「自覚するんですね……」
「だって、自分から見てもおかしいと思うからな」
「どうしてそんなに優しいんですか。お兄さんならきっと、見ず知らずの他人にだって優しくしますよね?」
「それは分からないけど……どうして、か」
今まで考えたことがなかった。
自分のことを自分で「優しい」と思ったことはないが、弥生にも言われたしきっとそうなのだろう。
ただ、どうしてと聞かれると答えづらいものがある。
「まず一つに、ある程度心に余裕があるからだろうな。俺だって余裕がないときはそんなに優しくできないだろうし」
「でも、お兄さんはそれじゃ説明できないほど優しいです」
「あ、あの……そんなに褒められると照れるんですけど」
顔が熱い。
さっきまでは我慢して葉月の話について行こうとしたが、もう限界だった。
「す、すみません。褒めてるつもりはなかったんですけど……」
「末恐ろしいな」
それだけ言って褒めてるつもりはないって、一体俺はどれだけ優しいんだ。
「でも、本当なんですもん。羨ましいくらいに、お兄さんは優しいんです」
「そう言われても、俺は別にそう思ったことがないからなぁ……例えば、初めて俺に会ったときの葉月は俺のことを警戒してただろ?」
「はい」
「それで無愛想になってたとしても、決して悪気があったわけではないじゃんか」
「そうですね。私は決して『お兄さんに不快な思いをさせてやろう』と思っていたわけではありません」
「だからだと思うんだよな」
「どういう意味ですか?」
何も分からないといった様子の葉月。
作業している手はそのままに、眉間にだけしわが寄っていた。
結構分かりやすく説明したつもりなのだが、どうやら一ミリも伝わっていないらしい。
「つまり、相手に悪気があるわけではないからどんなことでも許せるというか」
「でも、その場ではそんなこと分からないじゃないですか。初対面にとってしてみたら、相手の人柄だって分からないですよね?」
「それでも俺は、その人にはその人なりの、そうなってしまう事情があるんだと思うから」
例えば、心に余裕がなかったり。
例えば、そうなってしまう性格をしていたり。
例えば、葉月みたいに過去の経験がそうさせてしまったり。
悪気があったとしても、その悪気が生まれてしまった外的要因があるのかもしれない。
もしかしたら相手も悪気を感じているけど、それでもそうせざるを得ない状況なのかもしれない。
そう考えると、一概には相手のことを否定したくないのだ。
極端に言ってしまえば、たとえその人が誰かを殺していたって俺は頭ごなしに否定はしたくない。
ただ、それは人を殺すという行為とそれに対する思いを抜きにした上での考えだ。
人を殺すことは絶対にあってはならないし、大切な人が誰かに殺されたら俺はその人を一生恨むだろう。
もしかしたら、それだけに留まらないかもしれない。
だから事情があったら人を殺してもいいのかと聞かれれば、俺は首を横に振る。
でも、その人がそういう行動に走ってしまったことにだけは同情してあげたかった。
だって、この世に悪い心しか持っていない人はいないと思うから。
みんな心のどこかに、きっといい心を持っているはずだから。
「この前葉月が俺に怒ってたのも、きっと何か俺がしたからなんだろ? それが何かは葉月に教えてもらわない限り分かんないけど。でも、だから葉月が怒るのはしょうがないことなんだ。俺が悪いから」
「……お兄さんはおかしいです」
「自負してるつもりだ」
理解できないのも無理はない。
俺だって、どうしてこんな考えに至っているのか理解できないから。
強いて言うなら、性格なんだろう。
「……と、野菜全部切れたぞ」
あんな大量にあった野菜たちも、葉月と雑談しているうちに切り替えてしまった。
始める前は苦労しそうだと思っていただけにありがたかった。
きっと葉月との雑談がなければ、今頃ヒーヒー言いながら野菜を切っていただろう。
「ありがとうございます」
「ほかに俺ができることはあるか?」
「お母さんたちの様子を見てきてくれませんか? お兄さんじゃなくて、お姉ちゃんでもいいですけど」
「なら、弥生に頼んでおくよ。あと他には?」
スマホで弥生にメッセージを送りながらそう言うと、葉月は苦笑を浮かべた。
「ありがとうございます、でも大丈夫ですよ。あとは私が全部しますので、お兄さんは休んでいてください」
「でも、これだけの料理を一人でするとなると時間もかかるし大変だろ、結婚式の最終確認だってあるんだし。まだ時間に余裕があるとはいえさ」
「それはそうですけど……」
「だから、何かやらせてくれよ。葉月だけに全部背負わせるわけにはいかないから」
いくら葉月を中心に結婚式を行うとしても、流石に彼女の仕事量が多すぎだ。
この結婚式はみんなで成功させるものだと、俺は思ってる。
だから、あと少しだけでもいいから俺に頼ってほしかった。
「……そういうところですよ」
「何が?」
「何でもないですっ」
何やら意味深なことを言う葉月に問いかけると、彼女は不機嫌そうにそっぽを向く。
彼女と言動が理解できなかった俺は、頭に疑問符を浮かべることしか出来なかった。
「じゃあ、ハグしてください」
「ごめん、それ以外で頼む」
「なんでぇ!?」
キッチンに葉月の残念そうな声が響き渡るのだった。
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