33話 朝陽の想い
調理実習を前日に控えた夜。
俺は自室でひとり頭を抱えていた。
弥生とは、あれから一言も話していない。
彼女を視界に入れることすら怖くて、ここ最近俺の見る世界に彼女はいなかった。
「……どうすれば、よかったんだろう」
弥生の言う通り、素直に料理を教えていればよかったのだろうか。
そうすれば、こんな衝突も怒らなかったのだろうか。
「『何も分かってない』『知ったようなこと言わないで』か……」
そりゃ分からないさ。
俺は大切な友達を失ったことがないから。
そもそも、そこまで大切な友達に出会ったことがないから。
だからこそ、俺は言える。
本当の俺を受け入れてくれないようなら、お互いのためにも俺はその友達との関係を切ることだってできるだろう。
それが、俺の優しさだから。
自分の素を受け入れてくれないような友達を、果たして大切だと言えるのだろうか?
ありのままの自分を大切にしてくれない友達と、関わる必要はあるんだろうか?
そもそも、それは友達と言えるのだろうか?
「……きっと、弥生は言えるんだろうな」
本当の自分を受け入れてくれないような人でも、弥生は大切な友達だと思えるのだろう。
そしてそれが、きっと弥生の優しさなのだ。
「だったら……どうすればよかったんだ?」
そんな大切な友達との関係を続けるために、自分を偽り続けるのか?
その方が幸せなのか?
俺は違う。
自分を偽るのはただ苦しいだけだ。
だから俺は、本当の自分を受け入れてくれる人とだけ関わりたいと思う。
でも、弥生は違う。
自分を偽ってでもすべての人と関わるほうが幸せだから、彼女は自分を偽り続けたいと思う。
「……どっちが、弥生にとって幸せな結果になるんだ」
自分を偽り続けていたら、いつか壊れてしまうのは目に見えている。
自分に嘘をついて生きる辛さは、俺も経験したことがあるから。
でも、だからといって俺の幸せを弥生に押し付けるのも違う。
――付き合えないなら、そんなことしないで。
弥生の悲痛な声が、いま言われたのかと錯覚するほど鮮明に蘇る。
心臓を引っ掻かれたかのような強い痛みが走る。
「俺だって……」
俺だって、できることなら付き合いたいよ。
弥生のそばにいて。
弥生と触れ合って。
弥生と笑い合って。
もう、嘘はつけない。
きっと好きなんだ。
弥生のことが。
好きに、なってしまったんだ。
でも……無理なんだ。
俺は弥生とは付き合えない。
兄妹だから。
家族だから。
その関係を壊してしまえば、きっと取り返しのつかないようなことが起こってしまうから。
「どうすれば、いいんだ……」
絞り出すように呟くと、ふとあの時発した自分の言葉を思い出す。
『教わりたいんだったら、葉月に教わってくれ』
弥生は、葉月に料理を教えてもらったのだろうか。
「……聞いてみる価値はあるか」
ここでひとり悩んでいても仕方がない。
少し、誰かと話そう。
そう思い立ち、俺は部屋を出るのだった。
◆
「お姉ちゃんに料理を教えたりはしてませんけど」
「そうか」
俺はリビングのソファでテレビを見ていた葉月を訪ねたが、どうやら弥生は葉月に料理を教わっていないらしい。
意外だった。
あの物言いなら、きっと教わっていると思っていたのに。
「……あの、お兄さん」
「どうした?」
葉月が不安げな表情で俺を呼んだので優しい声音で問い返すと、彼女は躊躇いながらもやがて口を開いた。
「お姉ちゃんと何かあったんですか?」
「……やっぱり、気づくよな」
「当たり前です。ご飯の時間も会話がないですし、それどころか目を合わせようともしてません。嫌でも気づきます」
「……怒ってる?」
葉月の視線はいつもより鋭く、語気も強い。
なんで怒っているのだろう、とその覇気に若干気圧されていると、それに気づいたらしい葉月が首を横に振った。
「怒ってるわけじゃないんです。ただ、心配で。お兄さんも元気なさそうですし」
「俺は大丈夫だよ」
「大丈夫じゃなさそうだから言ってるんです。……話せるんだったら、聞きますよ? 私には、それくらいしかできませんし」
実際、大丈夫じゃなかった。
弥生に強く言われて、言葉も交わせなくなって。
しかもそれが好きな人なのだから余計メンタルにきている。
葉月の心配そうな声音に、今は頼りたい気分だった。
「……じゃあ、ちょっと聞いてもらってもいいか?」
「もちろん」
俺は葉月の隣に腰を下ろすと、事の流れを話し始めた。
まず弥生がダメな自分を曝け出すのが怖くて、そんな自分を隠しながら友達と接していること。
明日に調理実習があるから、ダメな自分を隠すために俺に料理を教わろうとしたこと。
俺が周りはダメな弥生を受け入れてくれる、と弥生に説得したこと。
それでも弥生は、ダメな自分を曝け出すのが怖いと思っていること。
そして、俺が弥生が幸せになる方法を探していること。
付き合えないなら
そこが一番俺のメンタルにきている部分ではあったけど。
「なるほど、大体わかりました。……大変でしたね」
「俺はそうでもない、大変なのは弥生の方だ。料理を教わってないんだとしたら、明日は一体どうやり過ごすつもりなんだろう」
あくまで調理実習だから、何か大きくやらかすことはないと思う。
それでも弥生がどのくらい料理が苦手か分からないから、なかなか心が休まらなかった。
「なぁ、俺はどうしたらいい? どうすれば弥生が心から笑ってくれるんだ?」
もう、余裕がなかった。
いまいちど弥生のトラウマが発動すれば、それこそもう立ち直れなくなるかもしれない。
弥生の悲しんでいる姿を、俺は見たくない。
藁にも縋ってしまうくらいの強い思いで葉月に問いかけると……彼女は口元に優しく弧を描いた。
「……お兄さんは、優しすぎるんですよ」
そうして、俺の頭をそっと撫でてくれる。
「相手を思いやることは、すごく大事なことだと思います。でも、それだけじゃ何も伝わりません。大事なのは『相手にどうあってほしいか』です」
「どうあってほしいか……?」
「お兄さんは、お姉ちゃんのダメな自分を隠しながら周りと接する様子を見たことはありますか?」
「それは、もちろん」
弥生が隠しているのはダメな自分だけじゃない。
どうすれば、相手が悪い思いをしないか。
どうすれば、相手が自分から離れていかないか。
そんな思いが強すぎるゆえに、自分の意見や表情まで偽ってしまっている。
「それを見た上で、お兄さんはお姉ちゃんにどうあってほしいと思いますか?」
……本当の、弥生であってほしい。
自分を偽るのは苦しそうに見えて、こっちまで苦しくなってしまうから。
弥生には、心から笑っていてほしいから。
だから、弥生には本当の弥生でいてほしい。
「それをそのまま伝えてあげればいいと思いますよ」
「そのまま……」
「お姉ちゃんはきっと聞き入れてくれると思います。だって、お兄さんの想いですから」
ニコッと笑う葉月の笑顔に、胸の内が温かいもので満たされていく。
俺は「お兄さんの想い」という葉月の言葉を、頭の中で反芻していた。
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