二章 兄妹か、恋人か
26話 甘えん坊さん
「……すみません、私の分の朝食まで」
「いいんだよ。葉月はいま病人なんだから、何も気にするな」
「ありがとうございます」
結婚式の翌日、葉月は糸が切れたように体調を崩してしまった。
いつでもどこでも結婚式のことを考え身を粉にして働いていた彼女だから、こうなってしまうのもある程度予想はしていた。
しかし、予想はしていてもやはり心配である。
熱も四十度近くあり、体のだるさや咳も止まらないらしい。
ここまで彼女に負担をかけていたのだということを思い知らされたような気がして、少々情けなく感じていた。
でも、それを表に出すことはない。
だって、俺が不安げな表情を浮かべていたら、きっと彼女まで不安な気持ちになるだろうから。
実際、彼女は辛そうに眉尻を下げていた。
「朝食、大丈夫でしたか? ちゃんと起きて作れましたか?」
「大丈夫だよ。言っただろ、俺は起きなきゃいけない用事があったらちゃんと起きられるって」
「それはそうですけど……」
「葉月は優しいな。辛いはずなのに」
「それ、バカにされてるように聞こえるんですけど」
「え、なんでだ?」
「何でもないです」
「えぇ……?」
可愛らしく頬を膨らませる葉月に、俺は思わず苦笑してしまう。
弥生も葉月も変に気を使わなくなったのはとても嬉しいが、それで不機嫌になってしまうことが増えたのは
まぁ、今回に至っては葉月が本気で怒っているわけではないのが分かっているからいいのだが。
というかそもそも、俺が彼女たちの地雷を踏まなければいい話なのだが。
「これは……おかゆですか?」
俺が持ってきたお盆の上の料理を見て、葉月は目を丸くする。
「あぁ。少しでも食べやすいものをと思ってな。美味しいかどうかは分からないけど」
「私が料理を教えたんですから、美味しいのは決まってます。その謙遜は、私を傷つけちゃいますよ?」
「ご、ごめん……」
「いいですよ、お兄さんにその気がないことは十分わかってますし。優しいですから」
意味ありげに「優しい」という言葉を強調する葉月。
……なるほど、彼女はどうやらその言葉が気にくわなかったらしい。
「嫌味ったらしいなぁ」
「実際、嫌味ですし」
「……前言撤回、葉月、優しくない」
「そのロボットみたいな口調をやめてください」
葉月は言いながら口元に手を当ててクスクスと笑みをこぼす。
……よかった、笑ってくれた。
「そうですよ、私は優しくないんです。だからお兄さんに、おかゆを食べるのを手伝ってもらいます」
「手伝う?」
「そうです。さあ、まずお盆を床に置いて、おかゆの入ったお椀とスプーンを持ってください」
「ん? ほいほい……」
葉月が俺に何をさせようとしているのかは分からないが、とりあえず彼女の言うことに従うことにした。
お盆を床に置き、その上に置いてあったおかゆ入りのお椀とスプーンを手に取る。
「そのままおかゆをスプーンで掬ってください」
「うん。……ん?」
自分の行動に違和感を覚えつつも、脳死でおかゆをスプーンで掬う。
そこで俺は気づいた。
もしかして、葉月は――。
「……いただきますっ」
時すでに遅し。
小さく言葉を漏らした葉月は、おかゆを乗せたスプーンをぱくっと口に含んでしまった。
「なっ――!?」
「……やっぱり美味しいじゃないですか」
嬉しそうに笑みを浮かべる葉月。
可愛いと思うと同時に、あざとく感じてしまう。
俺の反応を掌で踊らされているように思えて仕方がなかった。
「お前……これくらい自分で食べてくれよ」
「嫌です」
「なんで」
「何でもです」
「どういう意味だよ……」
思わずため息をついてしまう。
もう一つ、変に気を使わなくなったおかげで、弥生や葉月の距離が近くなった。
いや当たり前と言えば当たり前なのだが、こちらとしては彼女たちを意識したくないので大変やめていただきたかった。
とはいえ、これから日が経つにつれてもっと遠慮がなくなっていくのだろう。
先を思うと、ため息をつかずにはいられなかった。
「……ほら」
それでも俺は葉月に食べさせることをやめない。
というか、やめられない。
拒否して彼女が傷つくところを見るのは心苦しいから。
「『あーん』はないんですか?」
「お前なぁ……」
「ダメ、ですか……?」
下がる眉尻。
不安げな瞳。
見せかけなのはわかっている。
それでも、俺はチョロかった。
「……あーん」
「あーん」
上機嫌な様子でおかゆを食べる葉月。
……逆らえるわけないだろ。
「うん、美味しいです」
「お前、本当に具合が悪いのか?」
「悪いですよ。頭だって痛いし、体だってだるいです」
でも、と葉月は付け加えて、柔らかく、幸せそうに微笑んだ。
「お兄さんがそばにいてくれるから、ちょっと楽になりました」
「っ……」
今度は違う。
見せかけじゃない、心からの笑顔。
つい昨日家族として誓ったばかりなのに、もうそれを崩されそうになっていた。
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