5話 心臓

 ——切った野菜からある程度予想はついていたが、夕食のメニューはカレーとポテトサラダだった。

 五人分の食事がテーブルに並べられており、それを囲むようにして全員再集合していた。


「いただきます」


 合掌する。

 いつもは自分で作ったものを食べていたため、他人の作った食事にありつくのは久々だった。

 ワクワクしながらまずはカレーを一口頬張る。


 瞬間、俺は目を見開いた。


「……美味いな」


 カレーは味付けのほとんどをルーに任せてしまう(と思っていた)ので差が分かりづらいだろうと思っていたのだが、葉月の作ったカレーは普段俺が作るカレーとは全く別の食べ物だった。


「そうでしょ。うちの家族はあんまり辛いものが得意じゃないからいつも甘口なの。でもそれだと甘くなりすぎちゃうから、葉月が上手く調整してくれてるってわけ」


 まるで自分が作ったかのように自慢気に話す弥生。


「これは……コーヒーか?」

「コーヒーとビターチョコレートを少し」


 葉月が淡々とした口調で補足してくれる。


 なるほど、ルーの甘さを緩和しつつコクをプラスしているのか。

 だからここまで深みのある丁度いい味わいになる、と。


 俺も隠し味を入れることはあったが、それは全てネットに載っているレシピ通り。

 だから隠し味というもの自体を特に気にしたことはなく、組み合わせるという考えにも至らなかった。

 ルーそのものの旨味も損なわれていないため、分量にもかなり気を使っているのだろう。

 そうして俺がたどり着いたのは……。


「俺、葉月に弟子入りしたいかも」


 そんな考えだった。


「な、何を言ってるんですか?」

「今までは食べられればそれでいいと思ってネットに載ってるレシピでしか料理をしたことがなかったからさ。だからこう、葉月みたいに新しい旨味を開拓していきたいっていうか」

「そ、そんな大層なことをしてるわけじゃないですよ」

「えっ、なになに、二人ともいつの間にそんな喋るようになったの?」


 俺と葉月の会話に弥生が参戦してくる。

 先程の自慢話に反応してもらえなかったせいか、俺と葉月の関係を執拗に気にしていた。


 可愛い。


「もう打ち解けたみたいね」

「あぁ、そうだな……と、ちょっとみんな聞いてもらってもいいか?」


 親父の発言にみんな耳を傾ける。

 自然と会話はフェードアウトしていった。


「朝陽のことで少し話さなくちゃいけないことがあるんだが……」

「何かあったか?」

の話、母さんたちにはまだしてないだろ」


 あぁ、そういえばそうだった。

 俺にとってその事実は当たり前すぎて、話すことすら忘れてしまっていた。


「えっ、何? 朝陽君に何か病気でもあるの?」


 親父の言葉を耳にした皐月さんが不安気に呟く。


「病気ってわけでもないんだが……」

「親父、俺から話すよ」


 これは俺自身のことだから、自分でちゃんと話をしたい。

 そう思い親父に制止をかけると、俺は目の前に座っている三人に向けて喋り始めた。


「実は俺の心臓、生まれつき他の人の心臓よりも二回りくらい小さいんです。弥生は知ってると思うけど、そのせいで運動が出来なかったり、しばらく歩くだけでも血が回らなくなって立てなくなるんです」

「そうなんだ……弥生は知ってたの?」

「担任の先生から説明があったから。体育の時間もずっと見学だったし、いつも暇そうにしてるもんね」


 皐月さんが心配そうな目つきで俺のことを見つめてくる。

 そこで俺は付け加えた。


「今のところ命に別状はないみたいなので、心配しなくてもいいですよ。普通に生活は出来るので。……ただ、登下校は親父の車なんですけど」

「今のところってことは、これから命に関わってくるかもしれないってこと?」

「それは……まだ分かりません。過度に心臓に負担をかけなければ大丈夫だとは思うんですけど」


 俺には専門的な知恵が何一つないので、これ以上は話すことが出来なかった。


「……心配かけてすみません」

「朝陽君が謝ることじゃないわ。それで一番辛いのは朝陽君だろうし」

「ありがとうございます。今後迷惑をかけることになるかもしれませんが、頭に入れておいてくれると嬉しいです」

「分かったわ」


 皐月さんに加え、今度は弥生まで不安そうな表情を浮かべている。

 きっと「これから命に関わってくるかもしれない」という言葉が気にかかっているのだろう。

 本当なら言いたくはなかったのだが、迷惑をかけてしまうかもしれない以上伝えておくしかなかった。


「……後、もう私に敬語は使わなくていいからね」

「あっ、すみま……ごめん。分かったよ」

「うん、その意気よ。さぁみんな、早く食べないとせっかく葉月が作ってくれたカレーが冷めちゃうわ」

「弥生ちゃんと葉月ちゃんも、全然タメ語でも大丈夫だからな」

「うん、ありがとう」

「ありがとう……ございます」


 皐月さんや親父の声かけにより、その場の雰囲気は段々と先程の調子に戻っていった。

 その心遣いが、何よりもありがたかった。


 ——そうして晩飯を食べ終わり、葉月とともにキッチンで洗い物をしていた時。


「……お兄さん」


 ふと隣にいた彼女に声をかけられる。


「ん、どうした?」

「さっき、心臓の小ささは生まれつきだって言ってましたけど、小さい頃から激しい運動とかは出来なかったんですか?」

「小さい頃どころか、俺は生まれてこの方運動をしたことは一度もないぞ。お陰で毎日退屈なんだ。だから新しい家族が増えてくれて、今とってもワクワクしてる」


 これからの日々を想像し期待に胸を躍らせていると、それとは裏腹に。


「そう、ですか……」


 少し残念そうな表情を浮かべる葉月の顔が、眠りにつくまで頭から離れなかった。

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