6話 入夏弥生

 あれから一週間後。

 親父と皐月さんが籍を入れ、俺たちは正式的に家族となった。

 休日のうちに引っ越しも済ませ、これからは全員入夏家の人間として人生を歩んでいくことになる。


 そうして新たに問題として出てくるのが「入夏弥生」という問題だ。

 学校にも既に苗字の変更は伝わっているらしく、週明けから弥生は学校でも「入夏弥生」として過ごしていくことになる。


「ごめんねお父さん、私まで送ってもらって」

「全然構わないぞ、何か負担になるわけでもないし。帰りも迎えに来るから、何も用事がなかったら朝陽と一緒においで」

「うん、ありがとう」


 ただでさえ人気者の弥生なのに苗字が俺と同じになるなんて、特に男子なんか絶対面倒くさいことになるに決まってる。


「……どうしたの? 頭抱えちゃって、車酔いでもした?」


 思わずため息をつくと、隣で車に揺られていた弥生が素っ頓狂な声を上げた。


「弥生はお気楽でいいよな」

「ん、どういうこと?」

「……なんでもない」


 まぁでも弥生にも特に女子からの質問の嵐が来そうだから少しか面倒くさいことにはなるか。


「お互いにこの危機を乗り越えようぜ……」

「へっ? あぁ、うぅん……?」


 俺の言葉の意味が分からなかったのか、終始微妙な反応の弥生であった。



         ◆



 ——そうして現在。

 ホームルームにて、弥生の苗字が変更になったことを担任から告げられた後。

 案の定、俺と弥生の周りにはたくさんの人集りが出来ていた。


 弥生の方はどうなっているか分からないが、少なくともこちらは十数人に囲まれている。

 知らない顔もちらほらいることから、どうやら他クラスからわざわざやってきた奴もいるようだった。


 情報の伝播でんぱが早すぎやしないか?


「入夏弥生のって、お前の入夏だよな?」

「もう同居はしてるのか? 入夏さんの家での様子はどんな感じなんだ?」

「どうしてお前が……入夏さんなんかと……!」


 好奇心や妬みが心の内で暴れつつも弥生にそれを聞かれたくないのか、ものすごい形相でぼそぼそと喋る男たち。


 もはやオスだ。

 獣だ。

 狼だ。


 男の本能はこういうものなのだと改めて認識させられたような気がした。

 もはや弥生の前に俺が食い散らかされそうな勢いすら感じる。


 やめてくれ、俺は至ってノーマルだ。

 と、そんな分かりにくいボケをかましている余裕はない。


「まさか、もう入夏さんとデキてるってことはないよな??」

「それはないから安心してくれ」


 誤解されては困るため、そこだけは瞬時に答えておく。

 しかし男子たちの勢いが収まる気配は全くない。


 このままチャイムがなるまで我慢しないといけないのか。

 思いやられていると、突然誰かに腕を掴まれる。


「!?」


 とうとう嫉妬に怒り狂った奴に暴力を振るわれるのかと思ったが、俺の腕を握っていたのはまさかの弥生だった。


「ほら朝陽君、逃げるよ!」

「名前呼び……!?」


 どこからか掠れたような声が聞こえる。

 しかし、それにいちいち反応している場合ではなかった。


 もうどうにでもなれ……!


 弥生に連れ出された俺はそんな思いで教室を抜け出し、廊下を走るのだった。



         ◆



「はぁ、はぁ……!」


 人気のない空き教室に逃げ込むと俺ははげしく痛む胸を押さえ、壁に寄りかかりながら座り込む。

 それに気づいた弥生が慌てて駆け寄ってきた。


「ご、ごめん! 走らせちゃって……」

「大、丈夫だ。それよりも、少し……休ませて、くれ」


 視界が揺れているのを感じながら俺は呼吸を整えることに専念する。

 こうして走ってみると、改めて俺の心臓は他人ひとよりも貧弱なのだと感じさせられた。


 やがて心臓は段々といつもの調子に戻っていき……胸の痛みも治まった。


「だ、大丈夫?」

「あぁ、もうなんともない」

「……よかった」


 その声が震えていることに気づき、俺は弥生に視線を向ける。


 見ると、彼女は泣きそうな顔をしていた。

 本気で俺のことを心配していたようで、表情には不安と焦りが入り混じっている。


「そう簡単には死なないから安心してくれ」

「そうは言っても、やっぱり心配だよ。……本当に、ごめんね」


 弥生は依然として俺に謝ってくる。

 どうにかして彼女を安心させたかったが、笑いかけても意味はない。


 一体どうすれば元気になってくれるだろうか。

 必死に頭を回転させ咄嗟に思いついたのは……彼女の頭を撫でることだった。


 視線を落としている彼女の頭に、俺はそっと掌を置く。


「っ——」


 そのままゆっくりと動かし、髪型を崩さないようにしながら弥生の頭を撫でた。

 嫌がられるか不安だったが、幸いにも嫌がる様子はなく彼女は何も言わない。

 それどころかほんの僅かに頭を突き出し、撫でるのを催促してくるほどだった。


 彼女の頭は暖かく、髪の毛が柔らかい。

 撫でているこっちまで気持ちよくなってしまい、俺も無心になって彼女の頭を撫で続けた。


「——あ、あの」


 そうして何十秒撫でていただろうか。

 弥生の呟きに驚いた俺は彼女の頭から手を引いた。


「ご、ごめん!」

「……朝陽君って、意外と積極的なんだね」

「そういう意味で撫でたんじゃ……というか、意外とってどういう意味だよ!」

「だって朝陽君、家でも学校でも私から話しかけないと話してくれないし」

「う、うるさいっ……」


 誰の美貌のせいだと思ってるんだ、と内心で愚痴る。

 すると彼女は不意に口元に手を当てて笑った。


「その調子なら、本当に大丈夫そうだね」

「だから言ってるだろ、大丈夫だって」

「うん。安心させてくれてありがとう」

「っ……」


 彼女のはにかむ笑顔が眩しい。

 その「安心させてくれて」が頭を撫でたことを指しているのだと思うと、余計に恥ずかしくなってしまう。


 返す言葉に困っていれば、タイミングよく(?)授業開始を知らせるチャイムが学校中に鳴り響いた。


「授業始まっちゃったね。……せっかくだし、このまま一緒にサボっちゃおっか?」

「そんな漫画みたいな展開ないから、さっさと教室戻って先生に頭下げるぞ」

「もうちょっとノッてくれたっていいのに〜」


 弥生と二人であの場から逃げ出したことによって、教室に戻ったら結局また質問攻めを喰らうことになるだろう。

 そうすれば弥生の気遣いも俺が苦しんだことも何もかも無駄になってしまうのだが……まぁ、弥生の頭を撫でられたから良しとするか。


 俺は立ち上がり、今度は彼女を引き連れて教室に戻るのだった。

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