31話 朝チュン

 ――ふと気がつくと、目の前に弥生の可愛らしい寝顔があった。

 寝起きで頭が覚醒しきっていないからか、彼女の顔が近くにあっても動揺はしない。

 それでも深夜テンションではないので、ある程度の理性は持ち合わせていた。


「どうして弥生の手を握ったりなんかしたんだ……」


 後悔する。

 これじゃあまるで恋人同士みたいじゃないか。


 いや、正直に言おう。

 握りたい気持ちはあった。

 でも、それを認めてはいけないのだ。

 認めたら「兄妹」という括りの中にはいられなくなってしまうから。


 しかし、その思いも空しく今もこの手はちゃんと彼女の手を握っている。

 彼女の手もまた満足げに俺の手を握り返していた。

 だが幸いにも彼女はまだ寝ている。

 立つ鳥跡を濁さずとも言うし、気づかれる前に解いてしまおうと思った。


 しかし……。


「……解けない」


 俺は彼女を起こさないように握っていない左手を使いながらゆっくり彼女の手を解こうとしたのだが、力が入っていてなかなか解けない。

 それどころか俺が解こうとすれば、それを嫌がるように彼女の手により力が入るのだ。


 おかしい。


 普通、寝ていれば自分の意志で手に力を入れることはできないはず。

 できたとしても、彼女が俺の手を握ろうとしているとは思えない。


 ……いや、撤回しよう。

 ハグをせがんでくるくらいなのだ。

 手を繋ぐことも、もしかしたら望んでいるのかもしれない。


 それでも、望んで握れるものとは思えなかった。

 だって、彼女は今も寝ているのだから。


「どうして……」


 呟いたその時。


「なんで解こうとするの?」

「っ――!?」


 心臓が跳ね上がる。

 全身の熱が抜けたかと思うと、それを嘘だと言わんばかりに体が火照り始める。

 背筋が凍るとはこういうことを言うのだろうか。


 口が音に応じて動くと、ゆっくりと彼女の目が開いた。


「な、なんで。寝てたはずじゃ……」

「上手だったでしょ。寝てるするの」

「ふり? ってことは、起きてたのか?」

「最初からね」

「ち、違うんだ。弥生の手を握ろうとして握ったんじゃなくて、いやそうかもしれないけど、と、とにかく気づいたらこうなってて、あの、その……」


 まずは俺が弥生の手を握りたくて握ったという事実を否定しなくてはいけない。

 それが自分の心に嘘をつく行為であっても、彼女にそれを悟られてはいけないと思ったから。


 しかし焦っているせいか思うように言い訳が出てこない。

 おかげで本音が少し出てしまったような気もして、余計焦りに拍車をかけていた。


 あたふたしていると、不意に弥生がクスリと笑みをこぼした。


「動揺しすぎ。そんなにビックリした?」

「いや、ビックリするだろ。こちとら寝てると思ってたのに」

「だって、目を覚ましたら朝陽君も起きてたんだもん。それこそビックリしたよ」


 なるほど、奇しくも同じタイミングで起きたのか。

 それでビックリして思わず寝たふりをしてしまったと。


「いや、そのまま起きててくれた方が嬉しかったんだけど」

「だって、起きちゃったら手繋ぐの終わりじゃん」

「…………」


 否定できなかった。

 だって、今まさに終わらせようとしていたから。

 だから寝てるふりをやめたのだろう。


「もう起きるの?」

「そのつもりだけど」

「もうちょっと寝てようよ。まだ朝陽君と一緒に寝てたい」

「……お前、最近よく甘えてくるよな」

「だって、これが本当の私なんだもん」


 駄目だ、これ以上この話を掘り下げたら戻れなくなる。

 脳が警鐘を鳴らしている。

 かといって別の話題に舵を切っても同じような気がする。


「……少しだけだぞ。たくさん寝てたら葉月に邪魔されるからな」

「やった」


 結果、おとなしく弥生のおねだりを受け入れることにした。


 そうだ、変に彼女を煽るのがダメなんだ。

 俺が全部耐えればいい。

 そうすれば少なくともこの場はやり過ごせる。


 ちなみに葉月のことを邪険に扱うのは本心じゃない。

 こう言わなければずっとこのままのような気がしてならなかったから仕方なく言ったのだ。


「…………」

「…………」

「…………」

「……ねぇ、なんで何も言わないの」

「だって寝るんだろ?」

「寝るってそういう意味じゃない。もうちょっとベッドでゆっくりしてようって言ったの」

「でも、何も喋ることないけど」

「えぇー。……まぁ、いっか。こうして一緒に居られるだけでも」


 本当に。

 どうしてこの人は意識させるようなことを言うのだろう。

 一緒に寝てから歯止めが利かなくなってる気がするし、本当にやめてほしい。


 いや、別にやめなくてもいいんだけど。

 むしろ嬉しいんだけど。


 自分の気持ちに噓をつくのが、すごく苦しかった。


「……ねぇ、朝陽君」

「なんだよ」


 聞き返すと、弥生は俺の手を握る力を強めながら言った。


「ありがとう、私のわがままを受け入れてくれて」

「別に。嫌なわけじゃないから」

「嫌じゃないってことは、朝陽君もわたしとこういうことしたいってこと?」

「それ、は……」


 拒否。

 したいのに、できない。

 したら弥生を傷つけるとか、そんな優しさがあるからじゃない。


 俺も、弥生とこういうことをしたいと思ってるから。


 思ってしまっているから。


「……ごめん。な質問だったね」


 苦笑すると、弥生は俺の手をほどいて起き上がった。


「そろそろ起きようか。葉月ももう起きてるだろうしね」

「そ、そうだな」


 俺も弥生に続けて起き上がる。


 苦笑の合間に見えた彼女の儚い笑みが、しばらく頭から離れなかった。

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