51話 好きの行方

 ――決勝戦は、もう既に始まっていた。

 俺は体育館の入り口から二階のキャットウォークへ駆け上がり、弥生のいる女子バレーの試合とそのスコアボードを探す。


「戦況は……!?」


 走ってきたせいで痛む胸を押さえながら辺りを見回すと、ネットの側にスコアボードが置いてあるのを発見する。


 書かれている得点は……16-15。


 よかった、弥生たちのチームが優勢だ。


「……そういえば、弥生に走るなって言われてたんだっけな」


 結局、俺も弥生と同じだ。


 彼女のためなら、どれだけ心臓を傷めても構わない。

 俺のためなら、どれだけ足を傷つけても構わない。


 そして彼女は俺の行動を口うるさく言うことはあれど、俺の行動の理由には一回も口を出したことはない。

 だからこそ俺は、この試合がどんな結果になろうとも、それを見届けなくてはいけない。


「あっ……」


 そんなことを考えていると、相手チームに一点を奪われてしまった。


 この試合は公式じゃない。

 ゆえに勝ち負けは五セットや三セットではなく、時間の都合で一セットのみ。

 しかも二十五点先取ではなく、指定された時間まで戦い続ける制限時間型。


 残り時間はあと三分。


 拮抗しているから何とも言えないが、だからこそ少し不安だった。


「弥生……」


 彼女に視線が行く。


 左足ばかりに重心をかけて、右足に負担をかけないようにしている素振りが非常に気になった。

 やっぱり保健室のあれは虚勢で、まだ右足に痛みが残っていたのではないのだろうか。

 それか、試合の途中で痛みがぶり返してきたか。

 いずれにせよ、あまりいい状況ではなかった。


 でも、彼女は必死にボールに食らいついている。


 飛んで、打って、走って。


 周りの状況を常に見ながら、時には右足に負担をかけてでもボールに近づこうとしている。


 その一生懸命で、がむしゃらな姿に、俺は応援の声を忘れてまで見入っていた。


 ……その時だった。


「あっ――!」


 弥生が体勢を崩した。


 転びそうになるのをなんとか踏ん張るものの、その顔には歯を食いしばるような苦悶の表情が浮かんでいる。


 左足も捻った。


 彼女は今、両足を痛めながらも立っているのだ。


「どうして……!」


 どうしてそんなにも自分を傷つけながら立っているんだ。

 どうしてもっと自分のことを大切にしないんだ。


 思わず首を振る。


 見たくない。


 弥生の傷つく姿なんて、見たくない。


 すぐに試合を止めたいのに……体は動かない。


 痛そうに顔を歪ませる弥生から目が離れない。


 むしろ、もっと見ていたい。


 あまりにも彼女の姿が心に突き刺さるから。


 言いようもない苦しみと愛しさがこみあげてくるから。


 見たくないのに、見たい。


 どうして。


 どうして俺は、こんなにも彼女のことが好きなんだろう――。


 どれだけボールを打っても、そのボールが相手コートの床につくことはない。

 それなのに、好きになる。


 どれだけボールを追っても、もうボールには追いつけない。

 それなのに、好きになる。


 どれだけ高く飛んでも、相手が打ったボールに届くことはない。

 それなのに、好きになる。


 彼女の痛みに耐えながらも必死に動き続ける姿に、俺はずっと胸を打たれ続けている。


 そうして最後、打ち上げられたボールをシュートする瞬間。


 俺は、内から溢れ出てきた思いを精一杯声に乗せて叫んだ。


「頑張れ、弥生――!!」


 その声に弥生は一瞬だけハッとした表情を浮かべるも、すぐ眉間に力を入れて上げた手を思い切り振り下ろす。

 そのシュートは、ついに相手コートの床に届いた。


 その瞬間、試合終了を知らせるブザーが鳴り響く。


 弥生はそれを耳にすると、力尽きるように倒れてしまった。


「弥生……!」


 俺はキャットウォークを飛び出し、階段を駆け下りる。

 そうして人混みが出来ているところを搔い潜り、弥生に駆け寄った。


「弥生……!」


 仰向けになっている弥生の背中を支える。

 俺の方を見た彼女は荒く息をつきながらぼーっと俺を見つめ、どこか嬉しそうに苦笑を漏らした。


「……ごめん、両足やっちゃった。もう歩けないから、保健室まで運んでくれる?」


 どこまでも自分勝手な弥生に一度は視線を外すも、最後には彼女へ視線を戻し、口を開いた。


「……痛かったら言えよ」


 そう言って、俺は彼女をお姫様抱っこする。

 周囲は男子の怒声や女子の黄色い声で溢れかえっているものの、俺はそれらに反応することなく体育館を出た。


 静かな廊下を歩く中、弥生が呟く。


「見に来てくれたんだ……嬉しい」

「お前が怪我するところを見に来たんじゃないわ、バカ」

「えへへ……どう? 運動、少しか好きになってくれた?」


 俺は少し考え込んで。


「……好きに、なったのかな。でも、その理由は分からない。明確な根拠なんてなくて、ただ弥生の姿に心を動かされて、一時的にそう錯覚してるだけなのかもしれない」


 本当は、運動なんか好きになっていないのかもしれない。


 でも、と付け加えて、そこで俺は弥生に今日初めての笑顔を見せた。


「弥生に心を動かされているうちは、運動を好きでいることにするよ。……ありがとう、弥生」

「そう……よかった」


 そこで弥生もさっきの苦笑とは違う純粋な笑顔を見せてくれて。


 廊下を進む俺たちは、しばらく笑い合うのだった。

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