29話 弥生、泣き出す

「……ごめん。こんなこと言ったって、朝陽君が困るだけなのにね」


 涙を手の甲で拭いながら、弥生は自虐にも近い言葉を呟く。

 俺は首を横に振った。


「そんなことない。ずっと一緒に居たいって言ってくれただけでも、嬉しいよ」

「……ありがとう」


 笑いかけると、それを見た弥生も笑顔を浮かべてくれる。

 俺が彼女を元気づけようとしているはずなのに、彼女の微笑みは俺まで元気づけてくれるような、慈愛に満ちた笑みだった。


 ――それから俺たちは少し休憩をとることにした。

 トイレに行ったり、スマホを眺めたりと、とにかく気分転換をしようとした。


 その甲斐あって、少し時間が経てばさっきまでの暗い雰囲気も消えていた。


「なんであんな映画を選んじゃったのかなぁ。私が想像してたのは、もっと楽しい雰囲気の映画観賞会だったのに」

「確かに。すごいしんみりしちゃってたもんな」


 まさか映画一本であんな雰囲気になるとは思わなかった。

 とはいえ、面白かったのは確かだ。

 構成も良かったし、魅力的なキャラクターたちの掛け合いに笑った部分もある。


 おまけに弥生に必要とされていることも分かったし……って、こんなことを考えていてはダメだ。


 俺と弥生はあくまで兄妹。

 普通は妹にこんな感情を抱きはしない。


 ……まぁ、妹がいたことなかったから分からないんだけど。


 とにかく、気を抜いたらいけない。

 気を抜けば、すぐに弥生をそういう目で見そうになってしまう。


 ……って、そうなってる時点でもうやばいのでは?

 思えばこうして彼女を意識してしまうような言動をされたとき、俺はいつもその誘惑に負けてしまっている。

 でもこうして自覚があるということはまだ大丈夫ということかもしれない。

 いや、きっとそうだ。


 負けるな、朝陽。

 打ち勝つんだ、朝陽。


 妹たちの誘惑に。

 心の内に飼う、人間としてのさがに。


「……どうしたの? そんな考えこんじゃって」

「ナンデモナイヨ」

「どうしてカタコト……?」


 やばい、さっそくボロが出そう。


「と、とにかく! 次は何の映画を見るんだ?」

「次はねー……」


 俺の言葉に弥生は思い出したように再びリモコンを操作し始めた。

 隣で、俺は彼女に気づかれないようにそっと安堵の息を漏らす。


 最近、本当に危ない。

 少しでも気を抜けば、すぐに彼女を異性として意識してしまう。

 正確には、なのだが。


 傍から見れば抑える必要なんてないかもしれない。

 俺たちは血が繋がっていないのだから、そういう関係に発展しても何ら不思議はないだろう。


 でも、違うんだ。

 そういう関係に発展してしまえば、大切なを壊すような気がしてならないんだ。

 三角関係になってしまうとかそんな生ぬるいものじゃない、もっと大きなを。


 今の俺にはそんな責任を負う勇気も、心の強さも、そこまでするほど気力さえなかった。

 だから、俺は彼女たちを異性として見たくないのだ。


 ……って、気がつけばすぐにこういうマイナスな思考になってる。

 気分転換しきれていなかったかもな。


「あっ、これだよ、私が見たかったやつ!」


 少しでもネガティブなことを考えないようにしようと思考を放棄すると、不意に弥生が声を上げる。

 テレビを見るとそこに映っていたのは……ホラー映画のサムネイルだった。


「ホラー?」

「見たことはないんだけどね。ストーリー重視の映画だから初心者にもおすすめらしくて、一回挑戦してみたかったの。それでも一人だとちょっと怖かったから、誰かがいるときに見ようと思って。朝陽君はホラー得意?」

「あんまり見たことないからなぁ……人並み程度くらいだと思うけど。でも、いいよ。俺も気になる」


 自分がどのくらいホラーに強いのか。

 好奇心を刺激されて、ちょっと楽しくなってきた。


「じゃあ、これを見よう!」

「もう零時回ったから、これで最後な」

「分かった!」


 弥生は元気よく相槌を打ち、瞳をキラキラと輝かせながら再生ボタンを押した。


 ……それが濁り始めたのはいつからだろう。

 あんなに楽しみにしていた様子が、今はその面影すらなかった。


「ち、ちょっと待って。そこいる。絶対いるから。やばいやばい無理無理来る来る……あれ、来ない。ってうわぁぁ!? なんでそこにいるの!?」

「弥生、静かにして」

「これが静かにしていられるかぁ! なにこれ、めっちゃ怖いじゃん! 何が初心者におすすめなぁぁ!?」

「ちょ、くっつくなって!」


 びっくりポイントで驚いてはその反動で憔悴し、驚いては憔悴し、驚いては憔悴し、の繰り返しだった。

 俺はある程度ホラーに耐性があったようでそうでもなかったが、弥生は事あるごとに甲高い声で叫ぶ。

 ついには泣き出してしまうハプニングもあり、映画鑑賞会は彼女のギブアップによってお開きとなった。

 ストーリー重視の評判に恥じず面白かったので最後まで見たかった気持ちはあるが、それ以上に彼女の反応が面白くて終始ニヤニヤしっぱなしだった。


 今度は映画館で一緒に見たいなぁ。


 俺は鼻をすする弥生の背中をさすりながらそう思うのだった。

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