8話 初めてのプリン
「——いいですか? スイーツは他の料理よりも分量に気を遣わなくてはいけません。少しでもバランスが崩れてしまえば、一気に味が悪くなってしまうからです」
キッチンに移ってからというもの、葉月はまるで先生のような雰囲気を醸しており意外にも乗り気だった。
エプロン姿で人差し指をピンと立てているところが可愛らしい。
「分かりました先生。ところで今日は何を作るんですか?」
「先生はやめてください」
試しにその雰囲気に乗ってみると、葉月に鬱陶しそうな目で睨まれる。
どうやらお気に召さなかったらしい。
料理番組みたいにいけると思ったんだけどな……。
「今日は、たまたま家に材料が揃っていたのでプリンでも作ろうかと」
「プリンか……難しそうだな」
「お兄さんはプリンに限らず、何かお菓子を作ったことはありますか?」
「いや、ないな。そもそも葉月のカレーを食べるまで、料理にはそんなに興味がなかったから」
「じゃあ今日は初めてのお菓子作りということで、分量も以前私が作ったときと同じにしましょう。カラメルソースが少し難しいですが、それさえ乗り越えれば後は簡単ですからね。じゃあまずはお鍋にお砂糖とお水を入れてください。話にも出した通り、まずはカラメルソースから作りますよ」
「分かった」
葉月の言う分量に従い俺は砂糖と水を鍋に入れ、それを中火にかける。
「ここで混ぜてしまうとお砂糖が固まってしまいますので、変にいじらずにじっと我慢です」
「じっと我慢な」
鼻で笑い復唱すれば、葉月が怪訝な表情で俺の顔を覗いてきた。
「どうして笑うんですか?」
「いや、『じっと我慢』っていう表現が可愛かったからさ」
「かわっ……別に可愛くないです。それに、他に言い方がないじゃないですか」
「『少し待つ』とか『そのまま待機』とか、いろいろあるぞ?」
「うっ、それはそうかもしれませんけど……」
論破されて口をもごもごとさせる葉月。
可愛いと言われることにも慣れていないのか、恥ずかしさで染まる頰がまた可愛い。
「と、とにかく! 今はそんな話はどうでもいいんです。お兄さんはカラメルソースの味は甘い方がいいですか? それとも苦目の方がいいですか?」
「どっちかと言えば俺は苦目の方がいいかな」
「だったら市販で売られているプリンのカラメルソースよりも少し濃い目に色をつけましょう」
そんな会話を挟み、俺たちは再び鍋を凝視する。
やがて砂糖が溶けて茶色く色づき始めたので、葉月の指示に従いゴムベラで優しく混ぜて色を均一にする。
更に時間が経つと色が濃くなって来るから、そこで少量の水を加えるようだ。
ようやくカラメルソースらしい甘苦い匂いがしてきた。
「お兄さん、ここが一番の難所です。少しでも火を入れすぎると一気に焦げてしまいますので、タイミングを見極めてお水を入れてください。ただし一度お水を入れてしまえば、それ以上苦みを出すことは出来なくなります。一発勝負ですよ」
「わ、分かった」
「カラメルソースはすごく熱くなってるので、一気にお水を入れると飛び散っちゃいます。なのでお水を入れたら、すぐお鍋に蓋をしてください」
「わ、分かった」
葉月の指示にも熱が入り、ここが山場なのだと感じさせられる。
一発で成功するかどうかわからない。
そんな不確定要素に心臓の鼓動が高まっていたが、一回目なんだし失敗しても仕方ないと自分に言い聞かせる。
やがて、その時は俺の心臓が落ちつく前にやってきた。
火を止めて待っていると、ものの数秒で一気に茶色が濃くなる。
普段見るカラメルよりも少し濃い目…………ここだっ!
タイミングを見計らった俺は鍋に水を入れる。
ジュッ!という音が聞こえたと同時に、俺はすぐさま鍋に蓋をした。
「そうです! ある程度中のカラメルソースが落ち着いたら蓋を開けて混ぜ、鍋底をボウルに張った水に一瞬だけ浸けて加熱を止めてください」
「わかった」
そのまま葉月に言われた通りの手順で作業を進めていく。
やがてそれを終えると、一気に肩の力が抜けた。
朝の出来事に勝るとも劣らない疲労感だった。
「お疲れ様です。これでカラメルソースは完成なので、次はプリン作りになります」
「そっか、これで終わりじゃないのか……」
「どちらかと言うと次が本命ですけどね。とは言っても、これ以上難しい工程はもうないので、ここからは肩の力を抜いて作業できると思いますよ」
慣れないことをすると疲れる。
ましてやカラメルソース作りには普段の料理よりもシビアさを求められたから、余計に体力を使ってしまった。
しかし葉月は慣れているからか、疲れを見せるどころか微笑すら浮かべている。
……いや、きっとそれだけではないだろう。
「料理、好きなんだな」
俺そう言うと、葉月は照れくさそうに笑みを浮かべた。
「最初は失敗ばかりで嫌いだったんですけどね。料理は私の担当ということもあって諦めずに練習し続けたら段々と成功することが多くなって、それと同時に楽しいって思えるようになったんです」
「葉月は努力家なんだな。俺だったらすぐに諦めてるぞ」
「私だって、別に努力家なわけじゃないですよ。……現に今だって、人間関係で努力をすることから逃げてますから」
葉月の表情が曇る。
彼女が言っているのはきっと不登校のことだろう。
今の状況に満足して維持を望んているのであれば、自分で「逃げている」とは言わないはずだ。
だから彼女自身も、きっとこの状況を何とかしたいと思っているのだろう。
今はその気持ちがあるだけで、十分だった。
「……逃げたっていいんだぞ」
「えっ?」
「葉月は逃げることを悪いみたいに言ったけど、俺は悪いとは思わない。もし葉月に『前に進みたい』っていう気持ちが少しでもあるんだとしたら、むしろ逃げるのはいいことだ。だってそれは、いつか必ず前に進むための力になるから」
「それは……」
「『逃げている』っていう負い目を感じながら、それでも前に進みたくて、でも進めなくて逃げ続けてる。それだけで、葉月は十分努力家だよ」
「っ——!」
今はいろんなストレスに押し潰されて命を断つ人も少なくない。
そんなストレスに耐えながら逃げ続け、それでも前に進みたいと思っている葉月は十分努力をしている。
俺の言葉に瞳を震わせている葉月の姿に、もう疑いの余地はなかった。
「……ありがとう、ございます」
声を震わせながら小さく呟く葉月に、俺は静かに頷いた。
「……なんかしんみりした空気になっちゃったな。ほら、次が本命なんだろ? この先も教えてくれよ、葉月」
苦笑しながら声をかけると葉月は俯かせていた顔を上げ、出会った時には想像もつかなかったような優しい笑顔を浮かべた。
「はい、任せてくださいっ」
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