45話 無理をしないで

 弥生と葉月におすすめされた本を一通り買って、店を出る。

 しかし店内で立ちっぱなしだったからか、意識が少しだけボーッとしていた。


 心臓が痛い。

 頭も痛い。

 このままでは、倒れてしまう。


 動かなくなってきている脳が必死に警鐘を鳴らしていたため、俺は隣にいた弥生の肩を掴んで訴えた。


「ごめん、少し休憩したい……」

「朝陽君、顔色悪いよ!? どうしてもっと早く言ってくれなかったのさ!」


 弥生の言葉に返答したいが、胸と頭の痛みでそれどころではなかった。


「ベンチ、ベンチ……あった、あそこ!」


 弥生が指をさした先には白いコンクリートタイルの敷き詰められた広場があって、その縁をなぞるように何個かのベンチが並んでいた。

 俺は弥生と葉月に支えられながら、なんとか一番近くのベンチに腰を下ろすことに成功する。


 体から力を抜くと、痛む胸を押さえながら大きく深呼吸を始めた。

 しかし、肺が言うことを聞かずに呼吸が不安定なってしまう。

 俺がなんとか落ち着きを取り戻そうとしている様子を、弥生と葉月は心配そうに見つめていた。


 やがて段々と呼吸が安定してくると、俺は最後に一息ついてゆっくりと口を開く。


「……もう大丈夫、ありがとう」

「ほ、本当に? 本当に大丈夫なんですか……?」


 葉月が俺の左手を握りながら震えた声を発する。

 その目尻には、涙が薄っすらと浮かんでいた。


「そうか。葉月は初めてだったよな、俺のこの状態を見るの。心配かけてごめん。とりあえず、今は大丈夫だよ」


 まだ若干胸が痛むがすぐに収まるだろうし、わざわざ葉月の不安を煽るようなことは言わなくてもいいだろう。

 大丈夫だと伝えれば、葉月は安堵したように肩の力を抜いた。


「初めてとか関係ないよ。今回は特に酷かったでしょ? どうしてもっと早く言ってくれなかったの?」

「それは、二人の邪魔を邪魔したくなかったから……」


 せっかく弥生と葉月が二人で楽しそうにしていたのだ。

 数少ない貴重な時間を無に返すようなことはしたくなかった。


 しかしそんな俺の思いがかえって彼女たちを不安にさせてしまったようで、弥生は苦しそうに眉尻を下げた。


「私たちのことを気にかけてくれるのは嬉しいけど、もっと自分のことを大切にして。私たちはそうじゃないけど、朝陽君は下手したら死んじゃうんだよ?」

「……ごめん」


 俺の謝罪に弥生は何か言いたそうな顔をして再度口を開いたが、何も言わずに口を閉じて視線を下げる。


 きっと、謝ってほしいのではないのだろう。

 でも俺は彼女たちに対して謝ることしか出来ない。

 弥生もそれを察したのか、特に何か言葉を返してくることはなかった。


 周りの喧騒が気にならないくらいの沈黙が俺たちを支配する。

 しかし、それを葉月の震えた声が破った。


「……本当に、無理しないでください。お兄さんが死んだら、私……」

「葉月……」


 葉月が俺の手を握ってくる。

 その手はかすかに震えていて、彼女が心の中に抱えている不安を如実に表していた。

 表情もとても心細そうで、今にも消えてしまいそうなくらいに儚げな顔をしている。


 その姿に、俺は改めて反省させられた。


「……ごめん、もう無理しないよ。これからは、何かあったらすぐに言う」

「約束だよ。ちゃんと……ちゃんと言ってね」

「あぁ、もう一人で抱え込んだりしない」


 葉月の反対側に座っていた弥生も、不安そうな表情をしながら俺に体を寄せる。

 その様子を見た葉月はむっとした表情を浮かべながら、やっぱり俺に体を寄せた。


 周りの視線が少し痛いが、今回こうなってしまったのは俺の責任だ。

 だから、今は二人のしたいようにさせてあげよう。


 俺も、今は彼女たちと体を寄せ合っていたい。


 大切な人が、俺のために涙を流してくれている。

 場違いにも思えるこの喜びを、密かに噛み締めていたかった。


 しかし……。


「――なぁ、流石にもう離れてくれないか? 空が赤くなり始めてきたぞ」


 どれくらいの間、体を寄せ合っていただろうか。

 空は赤らみ始め、太陽が地平線の彼方にその身を隠そうとしていた。


 もう帰らないと、晩ご飯の時間に間に合わなくなってしまう。


「やだ、もうちょっと」

「もうちょっとだけ、こうしていたいです」


 しかし弥生と葉月がこう言うものだから、帰ろうにも帰れなかったのだ。


 彼女たちの甘えてくる姿はすごく可愛いが、こう何分も同じやり取りと続けていると流石にうんざりしてしまう。


「離れてくれないと、もうくっつかせてやらないぞ」

「そ、それはやだ」

「い、今すぐ離れます」


 少しだけ脅してやれば、すぐに離れる彼女たち。

 あまりにも単純すぎて、思わず笑みが漏れてしまった。


「よし、じゃあ帰ろうか」

「道中苦しくなったら、ちゃんと言ってね」

「分かってる。次からは、ちゃんと頼らせてもらうよ」

「あっ、お兄さん。夕食の材料を買いたいので、帰り際にスーパーに寄りたいです」

「分かった」

「歩く距離が伸びたから、これで朝陽君がちゃんと頼ってくれるか分かるね」

「試されなくても、ちゃんと頼るって」

「えぇーどうかなー?」


 そんな他愛もない会話をしながら、俺たちは帰路につくのだった。

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