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「駐車場の前はアパートで、やっぱり火事で全焼して何人か死んだんだよ」

「いつ頃の話なんですか?」

「わたしが小さい頃からだから、今までにわたしが知ってるだけで二回は燃えちゃったわね」


 ふんわりとコーヒーの香りが漂ってきた。


「二回もアパートが燃えたんですか?」

「いやいや、一回目は平屋で二回目がアパート」


 老人がコーヒーをすすりながら訂正した。


「どれも不審火だったんですか?」


 マンションのボヤが不審火だったと聞いたので、関連があるのかと疑った。


「酷い話だよ……。アパートの火事はよく覚えてるよ。ガス自殺を図った女性がいてね、爆発した上、全焼して。人がねぇ」

「そうそう、何人もね」

「いつ頃の話なんですか」


 老人が思い出そうとしてか、目玉を上に向けた。


「そうだなぁ……。確か、二十三年くらい前かな」


 わたしが生まれる前の出来事なんだ。


「すごい昔ですね」


 すると、ママがおかしそうにクスクス笑う。


「二十三年なんてあっという間よ、わたしらからしたら。ついこの間みたいな感じで」

「それでも俺が覚えてる一番古い火事は、無理心中で焼死した親子だなぁ」

 親子の無理心中、それも焼死、と聞いてわたしは背中が寒くなった。あの声、あの夢。あれはやっぱり親子なんだ。どんな理由かは分からないけど、過去に実際にあったことだったんだ。

「家が焼けたあと、かなり長い間、娘の幽霊が出るって噂が立ったな」

「幽霊?」


 夢で見た過去のことなら、聞けるだけ聞いておかないと何があるか分からないと思って、もっと詳しく教えてもらうことにした。


「うん。半裸の女が立ってるって噂でね。体中黒く炭になっててな、死んだ娘かどうか判別もつかない幽霊だったらしい」


 半裸で体が炭になって黒い……。あの黒い人間はやっぱり焼け焦げて死んだ人間だったんだ。黒い人間で出来た山も過去に死んだ人達なんだ。

 過去に起こったことがどうして夢に出るんだろう。わたしがしてはいけないことは火事に関係すること? でもやっぱり火に関係することを避けるくらいしか思いつかない。過去のことを夢に見るのは初めてのことだから。一体どんなメッセージをわたしに送っているんだろう。


「なんで、火事が何度も起こるんだろう……」


 わたしが呟くと、二人が顔を見合わせた。


「それは、あそこが悪い土地だからよ」

「悪い土地……?」


 老人が胸ポケットからたばこを取り出した。


「吸っても良いかな?」

「あ、はい」


 たばこに火を付けて口にくわえると、たばこの先がジジジと赤く点る。深く吸って、顔をちょっと背けると一気に吐き出した。


「悪い土地って言うのはな、人がたくさん死んだってことなんだ。ただ死んだわけじゃなくて、元々この辺りは江戸時代から遊郭があってな、戦後も長いこと赤線が近くにあった。それだけで悪い土地にはならないが、マンションを建てるとき、あそこから古い年代の骨が大量に出てきたんだよ。江戸時代に寺があったらしくてな、明治の頃に移転したんだ。ひいじいさんが言ってたけどな、そのとき無縁さんだけ移動させなかったそうなんだ」

「あそこはねぇ、骨の上にマンション建てちゃったのよ。だから何が起こってもおかしくないわね」


 ほんとほんとと、二人は頷きあった。

 そのあとは、二人とも近所の噂話に花を咲かせて、わたしはその話に相づちを打って、おとなしくしていた。


 お通しを出されてお酒を勧められたから、コーヒーしか頼まずに出るのはダメかもと、二杯飲んだ。その頃になると近所から常連客がやってきてカウンターに座ってママや老人と話し始めたので、そっとお会計をした。


 請求された料金に驚いたけど、スナックでは普通なのかもと素直に払う。まだ二十一時で、ひと晩外で明かすわけにも行かなくて、またネカフェに行くことにした。

 ネカフェに行くと財布はスッカラカンになる。しかもキャッシュカードを通帳と一緒にマンションの部屋に置いてきてしまった。今夜戻るのはとてもじゃないけど無理だと思ったので、明日、なんとかしようと決めた。





 翌朝、キャッシュカードと通帳を取りにいかなくちゃと、躊躇う足を無理矢理に『リバーサイド■■南』に向けた。気が進まないけど、一文無しで■■を彷徨くわけにはいかない。


 エントランスを通って階段を三階まで上り、一番奥のわたしの部屋の前で立ち止まる。ドアノブに鍵を誘うかどうしようか迷う。どうしても一人でこの部屋に入る勇気が出ない。クローゼットの前を通って、大事なものを入れたチェストに行くまでに何があってもおかしくない。穴だって部屋から逃げ出すときはなかったけど、今はあるかもしれない。


 隣の部屋の川添さんは帰省しているし、堤さんに何度もお願いするのは気が引けるし、それともお願いしたほうがいいんだろうか。どこまで頼って良いか加減が分からない。


 どうしようもなくて、わたしはドアの前に蹲って途方に暮れていた。

 日差しの角度が変わり、太陽が少しずつ上がってくる。新聞配達のスクーターが裏の道を通り過ぎるのがエンジン音で分かる。

 時刻を確かめると八時になろうとしていた。

 勇気を出して部屋の中に入ろうかと迷い始めたとき、頭上から声をかけられた。


「あれ? どうしたの?」


 わたしは聞き慣れた声に思わず顔を上げる。


「堤さん……」


 逆光を浴びて堤さんの顔がよく分からないけど、覗き込むように腰をかがめている。疲れきっているせいか、なんだか堤さんが大きく見える。その手には容器を持っていた。


「おはよう」


 こんな所に蹲っているわたしを変に思っただろうか。


「おはようございます……」


 堤さんは気にもしてないらしく、わたしに容器を差し出す。


「これ、作り過ぎちゃったから。昨日はどうしたの? 留守みたいだったけど」

「あ、あの……」


 今は受け取れないと言おうと思って立ち上がった。


「今日は遠慮します……。いらないっていうより食べれないから……」

「食べれない? 具合でも悪いの?」

「違うんですけど……。その……、もし良かったら玄関で待っててくれますか? 実は一人で部屋に入るのが怖くて」


 わたしは急いで鍵を開けて玄関に堤さんを招き入れた。


「わたし、ここで待ってれば良いの?」

「待っててください。お願いします」


 急いで部屋に上がり、ベランダ側へ迂回してクローゼットを避けた。チェストの引き出しを開けて通帳とキャッシュカードと保険証など貴重品を掴むと、クローゼットに目を向けないように玄関へ走った。

 電気の点いてない薄暗い玄関に、容器を持った堤さんが佇んでいる。わたしは堤さんと一緒に外へ出た。

 キャッシュカードを取りに行っている一瞬の間に決めた言葉を口にして頭を下げる。


「あの、またお願いして良いですか」

「どうしたの」

「今夜泊めてください……」


 しばらく堤さんが黙っていたので、わたしは不安になって顔を上げた。


「今夜だけじゃなくても良いよ」


 その言葉を聞いて、わたしは泣きたくなるくらいほっとした。毎日どこに寝泊まりしたら良いのか分からなくて、ずっと胸が苦しかったから。もう悩まなくて済むと思って心から安心できた。


「ありがとうございます!」


 普通、何かあったのかとしつこく聞かれると思ったけど、堤さんはわたしの言葉をスッと受け入れてくれた。

 わたしは堤さんに付いていって、四〇三号室に上がらせてもらった。

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