四〇三号室 【 白石 】

1

 ゴールデンウィーク中の平日に、白石は早朝から管理担当している物件の外回りをしていた。ようやく帰ってきて遅い昼食をとっているとスマートフォンが鳴った。表示されたのは亜都里の電話番号だった。


 今度は何だろうと思う。この間の角大師の護符のことだろうか。あれは効いたのかなと思いながら電話に出た。


『白石さんっ、堤さんの部屋。堤さんの部屋に忘れ物をしたんですけど、堤さん、いなくて……、中にその……、荷物を』


 と急に言われて何のことか分からず聞き返すと、少しは落ち着いた声音で亜都里が答える。


『四〇三号室の堤さんの部屋に忘れ物をしたんです。でも、堤さんがいなくて、荷物がそのままで……、荷物を取りに行きたいんですけど、白石さん、部屋のドア開けてもらうって出来ますか?』


 やはり意味が分からない。四〇三号室は空室で、間違っていなければ『堤』は失踪してしまった前住人だ。でもそれを何故亜都里が知っているのだろう。


 亜都里には多分白石と同じような厄介な能力があるのだと思っている。そのせいで彼女はいつも怪異に振り回されている。


 何度四〇三号室が空室だと言い聞かせても、亜都里は信じてくれない。これでは埒があかないので、現場に行って勘違いであること、亜都里が観たり聞いたり体験したことは夢のような幻だと、たとえ堤の幽霊がいたとしても、しっかり現実を知ってもらわないといけない。


 ただ、中に入った、泊まったと言い続けているのは不思議だった。マスターキーと部屋の鍵は管理会社が保管している。だから誰も中に入られない。もしかして亜都里を招き入れた第三者がいるのだろうか。そうだとしたら無視できない。管理者としてきちんと確認しておかないといけないと思った。


「今からそちらに行きます。不法侵入されていないか確かめますので、そのままお待ちください」


 そう言って、急いでマスターキーを持って『リバーサイド■■南』へ向かった。




 廊下の奥に立つ亜都里を見つけた。


「なかざ……」


 名前を呼ぼうと思ったが、すぐに白石は口をつぐんだ。


 亜都里の横に誰か立っている。赤い色がゆらゆらと陽炎のように揺らめいていて、よく見るとそれが服の色だと分かった。服はワンピースになったり、サマーセーターやニットになったりして定かではない。顔や手足はモノクロで、これも揺らめいて煙のようだ。肩までの髪に柔和な顔つきなのは見て取れた。手には容器を持っていて、何度も亜登里の顔を窺っている。悪意がある表情でもなく、どちらかというと寂しげな様子だ。


 顔立ちには見覚えがあって、確かに亜都里がしきりに口にする『堤』に似ている。しかし、『堤』は半年前に失踪したはずだ。彼女がなぜ幽霊となって亜都里の側にいるのか。失踪したと思われている『堤』は実は死んでいたのだろうか。


 白石は目の前で陽炎のように揺らめく『堤』を横目に見ながら、亜都里の前に立って少し会釈をした。


「おはようございます」

「おはようございます……」


 亜都里は酷く不安そうだ。


「四〇三号室に入られたって本当ですか?」


 白石が持っているこれは特殊な鍵で結構高価なものだ。簡単には作られない。だから、亜都里が懸命に中に入ったと言うのは、白石には到底信じられないことだった。


 もう一度亜都里に念を押す。


「『堤』さんとおっしゃってましたか? 本当に」

「はい、堤さんです。ここに越してきた日から親切にして下さってました」


 そうなると、目の前にいる『堤』が何らかの形で亜都里に働きかけたと言うことか。亜都里は『堤』が生きていると信じているから、いくら失踪したと伝えても信じないのだ。できるだけ諭すように言い聞かせる。


「『堤』さんは確かにこの部屋を借りられてましたけど、もう半年以上前の話ですよ。それ以降、この部屋は空室のままです」


 亜登里の表情が不安から何か懸念するような表情に変わる。


「堤さんに何かあったんですか?」


 こんな言い方をしたら亜都里が傷つくかもしれないと思いつつも、白石は淡々と告げた。


「『堤』さんは失踪されてまだ見つかってないんです」

「え?」


 驚いたのか、目を丸くして亜都里が白石を見つめた。


 とにかく不法侵入した形跡などを確認しないといけないと思って、「本当に四〇三号室は空室なんです」と言いながら鍵を開ける。


 ガチャリとドアの鍵が開いた。


 鼻先にクリーニングした室内の匂いと、微かなホコリの臭いが押し出されてきた。


 短い廊下を抜けるとロフトのある室内が目に入る。その部屋の真ん中に灰色のスーツケースとバッグがぽつんと置かれてあった。


「中里さん」


 白石は玄関に突っ立っている亜登里を呼んだ。


 慌てて亜都里が部屋に入ってきて、白石の前にある荷物を指した。


「ほら、わたしの荷物……!」


 室内に荷物があると言うことは、『堤』に部屋の中に入れてもらったという亜都里の言葉に嘘はないのだ。けれど、本当に可能なのだろうか。まだ、目の前に佇む陽炎を帯びた『堤』の存在を認めたくないと白石は考えた。



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