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 入社して三回目の金曜日。明日が休みだからか、同期の子達が飲みに行く話をしている。わたしは聞こえないふりをしてパソコンに向かった。


 昼休みに川添さんとデスクで昼ご飯を食べているとき、初めてマンションのことを聞いてみた。


「川添さん。あの……、うちのマンション、何か曰くがあったりするんですか?」


 川添さんからしたら急にそんなことを聞かれたのだから、不審そうな目でわたしを見ても不思議じゃない。


「さぁ? そんなの聞いたこともないかな」


 川添さんは素っ気ない態度で答えると、スマートフォンに目を落とした。


「あ」


 不意に顔を上げ、わたしの顔を見て言う。


「マンションで起きたことじゃないけど、結構近くで、うちのマンションに住んでた人が自殺したりとかはある。でもマンションで自殺するわけじゃないんだよね。もし気になるなら調べてみたら? 新聞とか」 


 わたしは弁当に詰めたおかずを箸で突きながら、どうやって新聞を調べたら良いのか考えた。やっぱり昔の新聞を置いているのは図書館くらいだろうか。この地域の図書館ってどこにあるんだろう。


 まだこの土地に疎いわたしは新聞を調べるよりも簡単なほうを選んだ。


 昼休み時間中に白石さんに思い切って電話をしてみる。白石さんは何か相談したいことがあったらいつでも電話してって言ってたから大丈夫だ、相手にしてくれると念じながら、呼び出し音を聞いていた。


 三コール目で白石さんと繋がった。


「中里さん、どうされたんですか?」


 わたしが名乗ると、白石さんがいつもの通り優しい声で訊ねてきた。


「ちょっと聞きたいことがあって……。あのマンション、立つ前は何があったんですか?」

「うーん……。確か駐車場だって聞いてますよ。わたしが入社する前のことなんで、社に戻って確かめないと定かじゃありませんけど。……急がれますか?」


 ほんの少しだけ、白石さんが困ったような声音で聞いてきた。


「全然、全然急いでません」


 知りたいだけで、白石さんに面倒をかけたくない。日頃からいろいろと電話してるのもあって迷惑かもと思っていたから慌てて答えた。


「じゃあ、分かり次第お電話しますね」


 わたしはそっと電話を切った。これで、あの夢に何か進展があれば、夢が示す事柄をよく理解できる気がした。このままだと、現在とは関係ない事柄で、とんでもないことがわたしの身に起きる気がして怖かった。




 電話を切った頃にちょうど昼休みが終わった。席に戻ると、川添さんがわたしをじっと見てくる。険しい顔つきだから、内心ひやりとする。午前中の仕事で何か失敗でもしたのだろうか。


「中里さん」

「はい」


 わたしは神妙に返事をした。


 すると、川添さんが微かに笑った。


「いやだな、怒ってるんじゃないよ。ちょっと気になることがあって」

「はい」

「あのさ、最近ちゃんと食べてる? 何か悩み事とかない?」


 意外な質問に、わたしは戸惑った。


「ちゃんと食べてます」


 悩みはあるけど、相談しても気味悪がられるだけだから黙っておいた。


「ちゃんと食べてたらそんなにやつれないんじゃないかな。無理なダイエットとかしてるんじゃないの

?」

「え、でもちゃんと食べてますよ。ダイエットもしてないです」


 心外だった。そんなに不健康に見えるのだろうか。食事を抜いたり、無理なダイエットだってしてないのに。


 堤さんが料理を持って来てくれるからむしろ食べ過ぎているくらいだ。それに手作りご飯のおかげで、スリムになってきて嬉しいぐらいなのだ。


「ちょっときて」


 川添さんに肩を叩かれて席を立つように促された。わたしはなんだろうと素直に川添さんについてトイレまで行った。


 トイレには全身を映せるくらいの大きな鏡がある。


 大きな鏡を見て、エレベーターでのことを思い出して少し不安になる。


 鏡にはわたしと川添さんが映し出されていた。変な物は一切映ってないのに少しほっとした。でもそれもつかの間。


「ちょっと異常な痩せ方と思うよ。一体、今何キロなの? みんな心配してるんだよ」

「まさかぁ」なんて笑いながら、改めて鏡を覗き込む。何も変なところなんてない。川添さんこそおかしな事を言ってないか。

「わかんないの? それじゃあ、もう病気だよ。よく見てみなって」


 川添さんがわたしの腕を取って自分の腕と比べてみた。


 川添さんの血色の良い腕と、わたしの骨張った青白い腕。視線を顔に移すと、いつの間にか顔つきが変わった自分がいた。


 頬がこけて、血色を失った青い顔が自分を見返していた。


 会社で着ている制服のブラウスが大きすぎて、だぶだぶにしわが寄っている。スカートはウエストのサイズがあってなくて腰で引っかかっている有様だった。


「あれ……?」


 わたしの目に映っていたさっきまでの自分と、今気がついた自分の姿は全く別人のようだった。


「なんで……」


 意味が分からなくて、何度も呟いた。


「確か焦げ臭いって言ってたよね? それに声が聞こえるって。わたしからしたら、中里さん、病気に見えるよ? 悪いこと言わないから、明日にでも心療内科に行ったほうが良いと思うよ。土曜の午前中受診できるところ、ここら辺にたくさんあるし」


 心療内科……。わたしは精神の病気なの? 川添さんは焦げた臭いも声もわたしの気のせいと思っているのだ。きっと痩せたのは拒食症とでも思ったんだろうか。


 そんなこと言われてもわたしは言い返すことが出来なかった。今自覚した自分の姿は確かに病的だった。


 急に不安になってきて、気難しい顔つきになってしまう。


「病院探すの手伝うよ」


 わたしの様子を見た川添さんが気を遣ってスマートフォンで検索を始めた。


 近くの病院をいくつか見せられて、紹介状がなくても診てくれる心療内科に決めると、わたしは腑に落ちないまま病院をカレンダーに登録した。

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