三〇三号室 【 白石 】

1

 ゴールデンウィークが明けても、亜都里と連絡が取れない。あのとき、亜都里のマンションに駆けつけ、部屋の鍵を開けて中の様子を見に行ったときも、亜登里はいなかった。


 しんと静まり返った室内。ベランダに逃げると言っていたが、遮光カーテンが閉まったままのサッシにだれかが触れた様子もなかった。強いて言うなら、暖かい外に比べて部屋の中は真っ暗で寒かった。それなのに、さっきまでだれかいたような気配は残っていた。


 電話を繋げたまま、あの日、亜都里の助けに応じて、白石も必死でどうすればいいか考えた。けれど、電話口から聞こえる亜登里の声が次第に悲鳴のようになり、唐突に消えた。


 何度も彼女の名前を呼んだが、二度と亜登里の声は聞こえなかった。


 そのまま玄関に上がる。玄関には灰色のスーツケースとバッグ、脱ぎ散らかしたパンプスがあった。部屋に入ると服やタオル類が散らばっていた。部屋の真ん中、ローテーブルの下にスマートフォンが落ちていた。


 あの穴は消えていた。いつまた現れるか分からなくて、白石は亜登里がいるか確認したあと、部屋を出たのだった。





『リバーサイド■■南』へゴールデンウィーク中も様子を見に行った。電話はコール音がするばかりで、亜都里が出ることはなかった。多分、あのとき白石がスマートフォンをテーブルの上に置いて、部屋を去ったときのままなのだろう。


 郵便受けにはチラシやダイレクトメールが突っ込まれたまま放置されている。他の空室のチラシなども集めて、管理人室に置いているゴミ袋に捨てた。


 ゴールデンウィーク明けから一週間後、亜都里の会社から電話があって、社員が向かうので亜都里の安否確認をさせてほしいと言われた。どうやらこの一週間、亜都里は出勤していないようだった。


 エントランスで待っていると、三○二号室に住んでいる美海子が制服姿で駆けつけてきた。


「おはようございます。今日はお手数をかけてすみません」


 頭を下げる美海子に白石も会釈する。


「良いんですよ。心配ですね。中里さん、もう一週間もお休みされてるんですか」

「ゴールデンウィーク後の休暇は取ってないそうです。ただ、ゴールデンウィーク前から様子がおかしかったし、無断欠勤するような子じゃないですし」


 中里さんは真面目だからと美海子が呟いた。


 そのまま、彼女がエレベーターではなく階段に向かったのを見て、白石は後を追った。


「わたしは一日に中里さんとお会いして話をしたんですが、そのときも様子はおかしかったですね。ただ、無断欠勤されるほど悩まれていたかどうかは分からなくて……」


 階段を三階まで上り、廊下の突き当たりにある三〇三号室の前に立った。


 インターフォンを鳴らして声をかけるが、返事はない。美海子もいっしょに亜都里に声をかけた。


「中里さん、いたら返事して」


 数分呼びかけていたが何の応答なく、白石は美海子と目を合わせた。どちらともなく頷き、白川は鍵を開ける前に呼びかける。


「中里さん、入りますよ」


 鍵を開けドアの隙間から中を覗いた。


 異臭はしない。一日に中に入ったときと変わりない。あれから亜登里は戻ってきてないのだろう。


「入りますよ」


 音を立てないように、そっとドアを開き玄関に立った。


 シンという静けさが空気を震わせている。音がなさ過ぎて耳鳴りがした。玄関にはスーツケースとバッグ、脱ぎ散らかされたパンプスがそのままあった。廊下には鍵も落ちている。あれから誰もこの部屋を訪れていないのか。


 二人が部屋に入ると辺り一面にタオルや服が散らかっていた。


「泥棒……?」


 美海子が驚いたように呟いた。荒らされたように見えるが、散らかり方に規則性があって不自然だ。わざと床に服やタオルを広げているように見える。


 遮光カーテンを広げてベランダを見るが、室外機以外何もない。閉め切られたサッシを開けようとしたら鍵がかかっていた。


 ロフトに登ったが、特段気になるようなものはなかった。ここにも亜登里の姿は見当たらない。


「出掛けてるんですかね……?」


 そう思いたくて白石は呟いた。出掛けてなどいないことは百も承知だ。


 美海子がテーブルに置かれたスマートフォンを拾い上げる。


「でもスマホとか靴……、財布も持たずに出掛けますか? それに部屋が怖いって荷物まで持ち歩いてたのに……」


 近所に遊びに出たわけではないと思うから二人とも押し黙った。


「中里さん、この部屋が怖いって言ってました」


 美海子が口を開いた。


「わたしにも。だから他の物件を紹介しようと思ってたんですが、そのときにはもう……」

「会社を辞めたいとは言ってませんでした。やつれるほど何かで悩んでたみたいですけど、勝手に会社に来なくなるような子じゃないですよ」


 美海子が何か手がかりはないかとスマートフォンの電源ボタンを押す。ロックがかかっていて中を見ることは出来ないが、不在着信の表示があった。と言うことは、このスマートフォンはかなり前から放置されていることになる。電池残量も残り少ない。



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