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「何かありました?」
白石の言葉に美海子が白石に顔を向け、目線を合わせた。力なく首を横に振っている。
「会社に連絡します」
美海子はそう言って、部屋の隅に寄っていった。
五〇三号室に続いて、三〇三号室の亜都里まで失踪したのだろうか……。そうであってもそうでなくても、家族に電話をして知らさないといけないと思い、非常時の連絡先を教えてもらうため、白石も会社に電話した。
「お疲れさまです、白石です。今、『リバーサイド■■南』三〇三号室に来てるんですけど。はい、あんまり良くないですね。それで非常時の連絡先を知りたいんですけど。はい」
そう言ってバッグから手帳とボールペンを取り出してメモの準備をする。
「はい、準備出来てます」
電話口で教えられた番号を手帳に書き留めた。
「ありがとうございます。今からご家族に電話をしてみます」
そばに美海子が立っていて神妙な表情を浮かべている。
白石は教えられた番号に電話をかけてみた。
『はい、もしもし』
女性の声だ。白石は亜都里の母親だろうと思い、亜都里の件を切り出した。
「もしもし、わたくし、F市で管理会社をしていますラッキールームの白石と申します。中里亜都里様のお母様ですか?」
『はぁ、そうですけど、なんですか』
胡乱な声で母親が答えた。
「娘様のことでお電話差し上げました。お時間いただいてもよろしいでしょうか」
『亜都里の?』
心配している様子はない。むしろ迷惑そうだ。切られる前に用件を言ってしまわなければと、白石は早口で話す。
「実は娘様と連絡がつかなくなりまして、今、娘様の借りられている部屋まで来てるんですが、いらっしゃらなくて」
『出掛けてるんじゃないんですか』
「いえ、一日に連絡がつかなくなってすでに二週間経っているんです。それでご家族にご連絡しなければと判断いたしました。貴重品も全て置かれたままでしたし、もし、ご実家に戻られているのであれば問題ないのですが……」
言い切る前に母親が口を挟んだ。
『あの子は家出してるんです。そちらにいることも存じませんでした。あの子が自分からいなくなったのですから、自由にさせようと思っています』
要するに放置しておけと言っているようなものだ。
「一応警察に届け出を出されてみては……」
『あの子のことですから困れば電話をかけてきますよ。警察のご厄介にはなりません。もういいですか? ちょっと手が離せなくて』
遠くから『お義母さーん』という若い女性の呼び声がする。
『嫁が呼んでますから。それじゃあ、失礼しますね』
と、一方的に切られてしまった。
白石はしばしスマートフォンの画面を睨みつけたまま黙っていた。実の娘が行方知れずになっているのに、困ったら電話してくると言って捜索願も出さないなどあり得るのか。実家に戻るわけでなく、頑なに安い物件を紹介してくれと必死で頼んできた亜都里の姿を思い出した。
「どうしたんですか?」
美海子が心配そうにしている。
「いえ、今中里さんのご実家に電話したんですけど、お忙しいみたいで……」
「中里さん、ご実家と仲が悪かったみたいですし、そのせいじゃ?」
さすがに会社の先輩には悩み相談くらいはしていたようで、孤立していたわけじゃないと知り、なんとなく良かったと白石は思った。
しかし、状況は変わらない。亜都里は一体どこへ行ってしまったんだろう。
「どこか心当たりはありますか?」
「中里さんの行きそうな所……。彼女、あんまり遊びに出掛けるってしないみたいで、そういう話を聞いたことないですね。それにこっちに知り合いや友人は一人もいないと言ってましたから」
美海子も亜都里の行きそうな場所が分からず困り果てている様子だ。
白石は自分が警察に捜索願を出してはどうだろうかと思ったが、赤の他人で単なる管理会社の担当者では警察は受理してくれない。ただし、亜都里の会社の上司ならば捜索願を提出できる。
「あの、会社の上司の方に警察へ捜索願を出していただくことって出来そうですか?」
一か八かで訊ねてみた。
「出来ると思いますよ。二階に住んでた人の捜索願を部長が出したみたいだから」
白石はほっとして、美海子にその手続きを願い出た。
「分かりました」
見つかるといいですねと美海子は心配している割りにあっけらかんとした様子だ。
この部屋に得体の知れない穴があると、美海子は知らないのだから仕方ない。もしかすると、階段を使うことが習慣になっているから、エレベーターのことも知らないのではないか。
しかし、それが普通なのだ。
得体の知れないものが見えてしまう人間はこのマンションを恐ろしいと思う。失踪したうちの何割かは本当の夜逃げかもしれない。
白石は亜都里が最悪の形で見つからないことを祈るばかりだった。
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