侵蝕 【 川添 美海子 】
1
亜都里に対して、いい人であろうと努力していたのに、結局亜都里は美海子に相談もせず、いなくなってしまった。親切にしても甲斐がない。以前の隣人達もそんな感じで失踪した。
会社では彼女たちの予兆に気付かなかったのかと言われたことがある。しかし、分かるわけがない。助けを請われれば、手を差し伸べてきた。美海子自身に、彼女たちの失踪の原因があるとは思っていない。
心配であることには変わりないが、やはり隣人達の失踪や自殺が五年の間に何度もあると、悪い意味で慣れてきてしまう。昔ほど考え込まなくなったし、過剰に自分にも責任があるとも思わなくなった。
ただ、そうした態度を見せると人は美海子を、「冷たい」と評価する。そう思われないために美海子はいい人であろうとした。
亜都里の実家に電話をした白石が、電話を切ったあともスマートフォンを見つめて黙っている。実家と亜都里の仲が悪いのは知っていたから、あまり良い返事ではなかったのだろうと予測できた。無関心でいるのはよくないと美海子は判断して、できるだけ関心がある振りをする。
「どうしたんですか?」
白石がごまかし笑いを浮かべている。白石と亜都里は個人的に親しい間柄なのだろうか、亜都里の家族に何か言われたのだろうか、と美海子は勘ぐった。
「いえ、今、中里さんのご実家に電話したんですけど、お忙しいみたいで……」
「中里さん、ご実家と仲が悪かったみたいですし、そのせいじゃ?」
「どこか心当たりはありますか?」
そんなこと美海子に分かるわけがない。たった一ヶ月で後輩の素行を把握できるほど親しくない。プライベートの話をあまりしない相手が休日に何をするか逐一知っているはずもない。そんなこと訊かれても困るだけだ。
「中里さんの行きそうな所……。彼女、あんまり遊びに出掛けるってしないみたいで、そういう話を聞いたことないですね。それにこっちに知り合いや友人は一人もいないと言ってましたから」
美海子は亜都里から聞いた情報をそのまま伝えた。
「あの、会社の上司の方に警察へ捜索願を出していただくことって出来そうですか?」
「出来ると思いますよ。二階に住んでた人の捜索願を部長が出したみたいだから」
失踪したり自殺したりした隣人で家族がいない人もたまにいた。そういうときは、会社の上司なら捜索願を受理してもらえるのだと知っていたからすぐに返答できた。
「分かりました」
白石があからさまにほっとしているのを見て、美海子は自分の義務はこれで終わったと思った。あとは警察や上司に任せたらいい。
「見つかると良いですね」
それ以外の言葉が美海子には思いつかなかった。
白石といっしょに部屋を出る。白石が鍵をかけるのを見ながら、そういえばここに来たときも鍵がかかっていた。部屋の鍵が廊下に落ちていたのを見た。亜都里が失踪したならば、一体誰が鍵をかけたのだろう。ベランダにも鍵がかかっていた。なんだか、今までの失踪と同じだと気付いた。
皆、貴重品をそのままにして部屋が散らかっていて、ベランダと玄関の鍵が閉まっていた。靴も履かずにいなくなった。
腑に落ちないが、美海子に出来ることは何一つない。警察が原因を解明してくれるだろう。
階段を降り、自動ドアを通り抜けた。
ぷんと微かに焦げ臭い。白石も気付いたのか、眉間にしわを寄せて辺りを見渡している。
「臭いですね」
美海子が同意を求めると、白石も頷いた。
「また地下ですかね」
しかし、火災報知器は反応していないので、気のせいかもと美海子が言うと、白石は首をかしげている。
アプローチに出て、美海子は白石に向き直って、会釈した。
「今日はありがとうございます。帰って上司に電話するようにお願いしてみます」
「はい、どうぞよろしくお願いし————」
背後で、ものすごい音がした。ドーンッという重たいものが地面にたたきつけられる音だ。あまりにも大きい音で、空気が振動するほどだった。びちゃっと何かが自分のふくらはぎにかかった。
白石の顔を見る。顔面蒼白で、固まっていた。何事かと思って、美海子は振り返って後悔した。
アスファルトに人がうつ伏せに倒れている。頭を下にして、肩に首がめり込んだ人。人と言うには形が歪で、四肢が力なくあらぬ方向を向いている。露出している部分はただれていてやけどを負っているように見えた。辺りは赤く染まって、美海子のふくらはぎにも血と白いものが飛び散っていた。
「え?」
頭が潰れているから誰か分からない。分からないが、なんとなく嫌な予感がした。
「中里さん……?」
後ろで白石が震える声で呟いた。
「え?」
白石の顔を見てからまた正面を振り返る。膝が震え始め、手が冷たくなっていく。足に力が入らず、美海子は蹲った。体中に悪寒が走り、思わず吐いた。
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