3

 そこでわたしは目を覚ましたのだ。


 寝ぼけた頭を懸命に働かせて、さっきまで見ていた夢の内容をノートに書き付けた。


 わたしを特にいじめていた男子が仲間と廃工場に忍び入って、穴に落ちて死ぬ夢だった。それがいつの日かは分からない。


 わたしはどうしようかと迷った。もし他人の行動を変えることが出来ても、災難はわたしに降りかかることになる。


 ただ、こんなに酷い夢はおじいさん以来だった。悪い夢と言っても、普段見るのは死ぬような酷い夢じゃない。転んだとか、先生に怒られたとか、遅刻したとか、指を怪我したとか、些細なことばかりだった。


 いくら自分をいじめていたとしても、その子が死ぬのを待つような、そんな気持ちにはなれなかった。回避できれば回避してあげたい。自分に出来ることはあるだろうかと、毎日男子達の話す内容に耳をそばだてていた。


 ある日の昼休みに男子の話す声が聞こえてきた。


「あのさ、親が話してたの聞いたんだけど、にこにこマートの近くの廃工場、明日から取り壊すんだって。壊される前に中に入ってさ、探検してみない」


 わたしは本を読む振りをして男子達の会話を聞き取ることに集中した。


「放課後、待ち合わせて行こうぜ」


 放課後……。わたしはしっかりその言葉を覚えておくことにした。どうにかして夢と違うことを、少しでも起こさなければいけない。


 学校が終わり、乱暴にランドセルを持って男子がわらわらと数人走って教室を出て行ったのを確認して、わたしは慌てて追いかけた。


 かなりの人数が廃工場に行く約束をしたようだ。校門の前で他のクラスの男子と待ち合わせをしているのが分かった。


 男子の集団に近づいて、「危ないからやめようよ」と言って、「はい、そうですか」と男子が行くのをやめるとは思っていなかった。力尽くで止めないと……。多分、一分二分止めたところで夢の内容が変わるとも思えなかった。


 意を決して、足下の小石を掴む。わたしは言い出しっぺの男子に向かって、小石を投げた。小石は弱々しく弧を描いて彼に向かって飛んで行った。


 コツンと小石が彼のランドセルに当たって落ちる。彼の意識をわたしに向けるには、それだけで充分だった。

「なんだよ!」


 意表を突かれて、彼が驚いたような顔つきで振り向いた。小石をぶつけられたことには気付いてないようだった。ただ、振り向いた先にわたしがいることが問題だったようだ。


「中里、なんだよ。なんか用か? それとも、先生に告げ口するつもりかよ」


 わたしは精一杯声を張り上げて、「危ないよ。やめたほうがいいよ」と告げた。でも彼に死ぬかもしれないからとは言えなかった。


「なぁ行こうぜ」


 仲間の一人が男子に声をかけた。


 わたしは引き留めるつもりで、足下の小石を手に取って、もう一度男子に小石を投げた。小石は、彼の胸に当たって落ちた。


「早く行こうぜ」


 他の男子が無駄な争いを避けようと、自分たちの楽しみを優先するようにわたしが引き留めたい男子に声をかけた。けれど、石をぶつけられた彼はわたしにヽヽヽヽ石をぶつけられた事実が気に食わなかったようだ。


「中里のくせに生意気なんだよ!」


 顔を歪ませて怒鳴ると、わたしめがけて駆け出した。

 そうだ、これを狙っていたのだ。わたしは必死で走ってできるだけ時間を稼ごうと逃げた。どうせ、追いつかれるのは分かっている。痛い思いをするのも分かっている。けれど、彼が死ぬよりましだ。死ぬと分かっているのに見過ごせなかった。本当に死ぬかどうかそれは分からないけど、そのときのわたしは彼が死ぬと信じていた。


 運動音痴のわたしがいくら懸命に走っても、逃げ切れるわけはない。彼にあと少しで追いつかれそうになったとき、わたしは交差点を脇目も振らず突っ切った。


 激しいブレーキ音と共に、乗用車がクラクションを鳴らした。それに気付いたわたしが右方向を見たと同時にドンッという衝撃が体に走った。


 ふわりと宙に体が浮き、右半身が痛みに疼いた。周囲で驚いている通行人の表情が読み取れるほどゆっくりとわたしは弾き飛んだ。


 地面に左肩から落ちたときに鈍い音がした。脳天を突き上げる痛みと、右半身の鈍い痛み。その両方がわたしの全身を襲った。


 痛みに頭がくらくらして、起き上がりたくても力が入らなかった。


 わたしを追いかけていた彼はどうなっただろうか。


 でも確信していた。彼は死なずに済む。夢を変えた代わりにわたしが代償を払ったからだ。


 周りが騒がしい。だれかが救急車を呼んだようだ。サイレンの音が近づいてくる。近くにいた大人がわたしに声をかけて、意識を確認している。わたしはぼんやりとした頭で、良かったと思った。




 目を覚ますと、白い天井が見えた。オレンジ色の光が天井に当たっている。首は動かせず、左肩が固定されているようで、右腕も自由に動かせなかった。体中がズキズキと痛む。固定されているからこのくらいの痛みですんでいるのか。口の中も痛い。唇の端が切れているのかテープが貼られている。


 視界に点滴を下げたハンガーみたいなものが見えて、「病院?」と脳裏に浮かんだ。


 どうにか周りの様子を確かめようと頑張ってみた。でも首も固定されていて、匂いと音だけで多分病院だろうと思うことにした。


 わたしの周りには誰もいないようだった。


 やがて看護師がやってきて、わたしが目を覚ましたことに気付き、声かけのあとどこかへ行ってしまった。


 気がついたらどうも寝てしまっていたみたいで、目を開くと母と兄が病室にいた。


「自分から道路に飛び出したんですって? どれだけの人に迷惑をかけたと思っているの。おかげで相手の方にお詫びをしに行かなくちゃいけなかったのよ。そんなにたくさんの方にご迷惑をかけて、心から反省しなさい」

「パパは仕事で忙しいから病院には来れないんだってさ。亜都里もこんなことしてパパやママの気を引きたかっただけだろ? こういうことしてみんなにおまえのこと心配させて、ほんとにしようがないやつだな。こんなことして愛情を確かめようなんて、子供のすることだぞ」


 違うと言いたいけれど、きっとわたしの言葉は彼らには届かない。成人しても同じ気持ちだ。彼らにとってわたしはいないほうがいい存在だから。厄介なことを起こしたり、ろくでもないことを言い当てたりする気味が悪い子供でしかないのだ。


 分かっていたけれど、わたしはこのまま死んだほうが良かったかもしれないと、耳が聞こえなくなったりして彼らの言葉が耳に入らなくなれば良いのにと心から思った。


 言い返せばもっといやな思いをするから、黙っているしかない。


「パパやママがおまえを見捨てても、俺はおまえの味方だからな」

「まぁ、竜樹ちゃんは優しいのね」


 母が鼻声で兄を褒めた。兄に頼っても相手にしてくれないと分かっている。兄がわたしのギブスを力一杯叩いた。痛みが響いて、わたしは顔を歪めた。


「な、なんだよ。ちょっと叩いただけだろ、わざとらしく痛がるなよ」


 言いたいこと言うと、兄は「塾があるから」と先に帰ってしまった。

 あとに残った母が、病院から準備するようにと言われたものを詰めたボストンバッグをベッドの脇に置いた。


「忙しいのに、面倒ばかりかけて……。今はママが洗濯とかしてあげるけど、自分で動けるようになったら自分でやってね」


 そう言って、母は帰っていった。

 松葉杖で歩けるようになったら、母は宣言通り病院には金銭を渡す為だけに来た。父も兄も一度も顔を見せないまま、わたしは退院した。




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